|
||||||
|
|
■ 郡山さんら会見要旨 「スパイか?」活動説明すると「ソーリー」 イラクの日本人人質事件
弁護士会館と日本外国特派員協会で記者会見した今井紀明さん(18)と郡山総一郎さん(32)の発言要旨は次の通り。
◆今井さん <弁護士会館> 劣化ウラン弾の被害を伝えるためイラクに行った。ファルージャは危険だが迂回(うかい)すれば安全とタクシー運転手らから聞き出発を決めた。六日午後十時半ごろ、アンマンを出発、バグダッド街道で迂回。ファルージャ手前のガソリンスタンドで止まり、少年にドライバーが「日本人だ」と言った。七日午前十一時ごろ拘束された。兵士に「日本人はよくない(死ね)」と言われ、郡山さんが別の車に、私と高遠さんは同じ車に乗せられた。 車内では目隠しされ、手りゅう弾と小銃を突き付けられた。高遠さんはずっと泣いていた。死の恐怖を感じた。二、三十分走り、郡山さんと一緒になった。車を降り一つ目の倉庫で目隠しを取られた。五、六人の兵士のうち二人が武器を持っていた。ジェネラルと呼ばれ英語を話す人物に「スパイか?」と聞かれた。高遠さんが自分自身のイラクでの活動や郡山さんについて説明、場が和んだ。ジェネラルが「ソーリー、ソーリー」「命は保証する」と言った。 ビデオカメラを持った人が入ってきてジェネラルは高遠さんに「泣いてくれ」と指示。「ノー、コイズミ。ノー、コイズミ」とナイフを突き付けられ、すごい恐怖を感じた。撮影は二回。高遠さんは泣いていた。撮影後「ソーリー、ソーリー」と何度も言われた。 一、二日目は命の保証は信用できなかった。三日目から落ち着いた。兵士が「米軍が子供や親を殺している」と言っていた。ファルージャの状況は彼らから毎日聞いた。 体調は三日目から安定。五日目、郡山さんが頭痛で動けなくなり、六日目に高遠さんがしゃべれなくなった。解放の約束を何回も裏切られた。 九日目、門をくぐり解放場所に着いた。日本語が聞こえ驚いた。 <特派員協会> 米軍撤退などを訴える方法として、ぼくらを捕まえるしかなかった犯人に恨みはない。(国内の否定的反応には)正直驚いている。今回の体験を日本の人々に語る責任ができたと思っている。 ◆郡山さん <弁護士会館> 犯人の「ソーリー」は「(拘束して)申し訳ない」の意味だったと三人とも受け止めている。いろんなイラク人と接し、身近に感じた。自衛隊派遣はイラク国民の望みとは違うのではないか。 犯行グループに日本語を話す人はいなかった。 彼ら(犯行グループ)はレジスタンスで、ファルージャを守る自警団。外国人を拘束しメッセージを世界に送ることしかできない不器用な人たち。テロリストじゃない。(ビデオは)演出というより「泣いてくれ」「おびえてくれ」との命令だった。あの状態では言うことを聞くしかない。 拘束時は(解放の)条件が出ていると知らなかった。客観的にみて、家族が政府に自衛隊撤退を願うのは当然。政府の要求拒否は、危険地帯で活躍するNGOやジャーナリストらに脅威だ。 <特派員協会> 犯行グループの声明は解放後に聞いた。自己責任とか自業自得とか言われるが、ぼく自身は信念と誇りを持ってやっている。心外だ。準備ができ次第また行きたい。 ドバイでの(日本の警察の)聴取では、かなり先入観を持っていると感じた。腹立たしかった。高遠さんの精神状態が落ち着かない理由にはそれもあると思う。 [2004/5/01] |
|
| Copyright 2004 The Nishinippon Shimbun.All rights reserved. | ||
|
||