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■どう守る都市 証言を生かすため<5完>ボランティア 積極的にニーズを発掘―連載
■住民反応に戸惑う
「間にあっています」「自分でできます」 福岡沖地震から十二日後の四月一日。福岡市災害ボランティアセンターの福富佳彦さん(35)は、住民の反応に戸惑った。 同センターは、福岡市社会福祉協議会を母体に、地震翌日の三月二十一日に設置された。地震災害のボランティアを受け付け、配置するのが目的だ。福富さんは、被害のひどかった福岡市西区西浦に出向き、ボランティアの仕事がないか聞いて回っていた。 自宅がめちゃくちゃになったお年寄りに「片付けを手伝いましょう」と声をかけても、断られるのだ。「ボランティアに仕事はないよ」と言う住民もいたという。 福富さんは、こうした反応の背景に「地域のことは自分たちで」という住民意識があるとみる。漁村で地域内の助け合いの精神が強いだけに、外から支援を受けるのを潔しとしない伝統が存在するというわけだ。 しかし、全くニーズがなかったわけではない。避難所で同地区のお年寄りが「うちもボランティアを頼みたい」と話したことを同センターの職員が聞いた。スタッフ三人が一人暮らしのこの女性宅に行き、倒れた家具やがれきを片付けた。 ■気軽さをアピール 四月三日、西浦の高台にあるビニールハウス。「せーの」の掛け声で、三十人の男たちが長さ二四メートル、幅一・八メートルのキクの苗床を持ち上げた。男たちは、同センターが仲介したボランティアで、福岡市内の建設会社員。農家からの依頼を受け、地震で土台から落ちた苗床を修復した。 依頼した農家の宗栄太さん(61)は「知らない人に頼むのはためらったが、自分ではどうすることもできなかった。早く修復できて感謝している」と話す。 同センターにとって、この活動は、大人数で作業することにより、ボランティアが気軽に頼めることを住民にアピールする狙いもあった。その後、農家を中心に依頼が増えたという。今回の震災で目立ったのが、同センターのこうした積極的な売り込み姿勢だ。 ■将来に経験生かし ニーズの掘り起こしは、都市部でも効果を上げた。福岡市中央区の大名・今泉地区は、マンションの壁が崩れるなど被害が大きかったが、同センターへのボランティア依頼件数は、三月末までに同区全体で約二百件にとどまっていた。同センターが、マンションの各戸に連絡先を書いたチラシを繰り返し配ったところ、五月に入ってからもお年寄りから片付けの依頼が来た。 一九九五年の阪神大震災では、全国から百三十万人のボランティアが現地入りし、避難生活や復興を手助けした。日本でボランティア活動が広がるきっかけとして、この年は「ボランティア元年」とも呼ばれる。 ボランティアをめぐる福岡での反応は、地震災害未経験の市民たちが、まだボランティアに「慣れて」いなかったゆえの現象だろう。しかし本紙で掲載中の「証言」でも、避難したお年寄りや障害者から、手伝ってくれたボランティアに感謝する言葉がある。距離は縮まっている。 ボランティアだけではない。福岡沖地震に関する一人一人の経験が生かされれば、二〇〇五年は将来、九州における防災の「元年」と位置づけられるかもしれない。 =おわり (この連載は「どう守る都市」取材班が担当しました) × × ●証言=大山勇雄さん(65) 車いす生活は二十年になります。あの日(三月二十日)はふくふくプラザ(福岡市中央区)四階の会議室でテーブルなど設営を終えたところでした。揺れが収まって部屋を飛び出すと、エレベーターは完全に停止。エレベーターが動かなければ、われわれは降りる手段はありません。学生さんなどボランティアに助けてもらうことになりましたが、おんぶされ、階段で一階までたどりついたときは本当にほっとしました。(福岡市城南区田島) =抜粋・4月1日掲載(福岡都市圏版) [2005/06/22] |
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■[2005/6/22]<5完>ボランティア 積極的にニーズを発掘
■[2005/6/21]<4>災害情報 言葉の壁越えて届ける ■[2005/6/20]<3>危機意識 食料備蓄遅れる自治体 ■[2005/6/19]<2>「災害弱者」 患者即応にマップ作り ■[2005/6/18]<1>コミュニティー マンションも地域参加 <<<福岡沖地震トップに戻る
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