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福岡沖地震から1年


■復興の中で 都市圏の現場から<5・完>記者ノート 「思い」伝え続けたい―連載

 福岡沖地震から二十日でちょうど一年。被災地の「いま」を追った連載の締めくくりとして、担当記者の取材メモから書き残したエピソードや思いを拾った。
 ●無力さ超えて
 玄界島(福岡市西区)に船が近づくと、島の斜面に手付かずで残る被災家屋が視界に飛び込んでくる。そのたびに自然災害の脅威や人間の無力さを痛感してきた。
 連載を機に、あらためて被災の現場を歩き回り、今度は人間の底力を目の当たりにした。島の神社を修復するため、材木や十五キロのセメント袋を担ぎ、雨で滑りやすい急な石段を黙々と何往復もする島民。息子と二人三脚で再起をかける西浦地区の花き農家…。その歩みは、着実に前へ進んでいた。
 神社の修復作業を取材して、島民が互い違いに向かい合い、バケツリレー方式で物資を手渡しする「天(てん)狗(ぐ)どり」を初めて見た。かつて、急斜面に家屋を建て、「がんぎ段」と呼ばれる無数の石段を築き上げた伝統の搬送方法だった。
 人間が集い、協力したときに生まれるエネルギーは、逆境に立ち向かう大きな原動力になる。地域に住む一人一人の思いを積み重ねた先にこそ復興がある。その日を迎えるまで、土台になる個人の思いをすくい上げていきたい。
 (福岡西支局・佐々木直樹)
 ●都市住民の絆
 震災から一年たった今でも、復興計画が思うように進まないマンションが多い中、いち早く補修工事を済ませた「JGM天神ロイヤルガーデン」(同市中央区今泉、百八世帯)の阿比留哲・管理組合理事長(73)を取材した。
 「二、三十年後に迎えるはずだった大改修が早めに来たと思えばいいですよ」。世代や家族構成、収入、被害の程度も違う住民たちを一つにまとめ上げてきた人の、開口一番の前向きな言葉に頭が下がった。
 隣の住民の顔すら知らないことも珍しくない都心のマンション。さまざまな事情を抱える住民たちを結び付けたのは、紛れもなく「復興への強い思い」だ。
 「今回の地震は、私たちに深い傷跡を残しました。その代わりに、マンションという特有の社会で、住民の協調と互助の精神をはぐくんでくれました」と阿比留さん。震災という未曾有の困難を乗り越えた先に、都市住民同士を結び付けた絆(きずな)を感じた。 (博多まちなか支局・片岡寛)
 ●力強い暮らし
 「いらっしゃい。今日はまた何の用ね」
 志賀島(同市東区)の震災取材の際、必ず立ち寄る志賀公民館では、いつでも明るい声でスタッフが迎えてくれる。
 同公民館は震災の際に避難場所となり、被災住民が泊まり込んだ。役員はじめ、スタッフは不眠不休で働いていたが、度重なるマスコミの取材にも丁寧に対応してくれた。
 島の周回道路は東側部分のがけ崩れによる通行止めが続き、開通のめどは一年経過した今も立っていない。ドライブ客が多い島の観光には大きな痛手だが、観光関係者は「島が注目を集めている今が、魅力を再発信するチャンス」と口をそろえる。
 震災前の志賀島に対するイメージは、夏場の海水浴と新鮮な魚介類といった漠然としたものでしかなかった。震災後、何度も足を運ぶうちに、たくましい島の人々の暮らしを実感することができた。復興への力強い歩みを今後も伝えていきたい。
 (福岡東支局・床波昌雄)
 =おわり


[2006/03/20]


【連載】復興の中で 都市圏の現場から




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