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県外からの証言 佐賀・長崎・大分・熊本の3・20福岡沖地震(1)
●思わず外に飛び出す 白石町企画部長・山下 正行さん(57)
自宅の居間でテレビを見ていました。「ゴー」という地鳴りのような音が聞こえ、戸がガタゴトと音をたてたので、強い突風が吹いてきたのかと思っていました。揺れが始まっても、震度3程度の地震だろうと油断をしていました。ところが、激しい揺れに見舞われ、大型のテレビが倒れ、とっさにはだしのまま庭に飛び出しました。そこで、家の中に出産間もない娘と孫がいることに気付き、部屋に戻って家族の安全と家屋の被害を確認する余裕を取り戻しました。仏間の花瓶や棚の食器が破損しました。家具が倒れたり、引き戸が飛び出さないような防止策が必要だと思っています。 (佐賀県白石町)
●文化財が無事で安ど 有田町職員・尾崎 葉子さん(49)
自宅の居間で母と茶を飲みながら新聞を読んでいるとき、グラグラッときました。古い家なのでこれはつぶれるなと、窓際に“避難”したところで、揺れが収まりました。私は有田町歴史民俗資料館と、有田陶磁美術館の学芸員を兼務していますから、どんな具合か電話で尋ねると、異常なしということでした。陶磁美術館には県重要文化財の古陶磁もあります。それらが無事と聞いてほっとしました。仕事の予定もあり、資料館に来てみると、登り窯の模型と一緒に並べていた約百点のミニチュアの焼き物が転がっていました。壊れてはいなかったので接着剤で固定したところ、余震では無事でした。 (佐賀県武雄市)
●コイが一斉に跳ねた 画家・古川 清彦さん(75)
あの日は佐賀市の神野公園の池で写生をしていました。地震の瞬間は、立っていられなくて、地面に四つんばいになってしまいました。
ふと水面を見ると信じられない光景が。池の魚が一斉に水面から飛び跳ねていたのです。中には全長六十センチくらいのコイもいて、水に落ちた瞬間に大きな波紋が広がったのが忘れられません。
地震後も絵を書き続けたのですが、帰宅後、家族から「連絡がつかず心配した」としかられました。あのときの魚たちを、いつか絵にしたいですね。(佐賀県小城市)
●卒業生の連絡に感謝 短大寮管理人・梶原和嘉子さん(67)
彼岸の墓参りで、義妹と車で、花屋に向かっていた途中、渋滞に巻き込まれました。交通事故による渋滞で、全く動けない状態の時、急に揺れ始めました。東京で暮らしたことがある妹から「ねえさん、地震よ」「これは強いよー」と言われて、「はぁー、これか」、と思った次第。妹には揺れ方で強さが分かったようです。電柱が倒れでもしたら大変だった。寮で留守番をしていた連れ合いのことも心配になりました。たまたま春休みで帰省した学生が多く、在寮生が少なくてよかった。卒業生や帰省中の寮生の親御さんから「大丈夫でしたか」と電話をもらったときはうれしかったですね。(大分県中津市宮夫)
●地元の孤立化が不安 理容店経営・屋森 正光さん(65)
地震発生時は信仰するキリスト教教会で礼拝中でした。体がいすごと大きくゆっくり左右に揺さぶられる感じがしました。幸い教会も店も自宅も被害はありませんでしたが、午後から熊本市で商談があり、JRで出掛けたところ、ダイヤ混乱の影響をもろに受けて帰宅は深夜になりました。日ごろから自宅玄関に非常食などを詰めた袋を常備するなど備えはしていますが、人吉は険しい山に囲まれた盆地。高速道路や鉄道が地震で寸断されれば孤立します。球磨川上流の市房ダムや計画中の川辺川ダムの決壊も心配。そうした問題は庶民にはどうしようもない。国などがきちんと対策を取ってほしい。(熊本県人吉市)
●楽しい気分台無しに 小城町歩こう会会長・秋永十二朗さん(67)
あの日は朝から吉野ケ里菜の花マーチに参加しており、ちょうどいいウオーキング日和で、会員らと談笑しながら気持ちよく歩いていました。ぐらりと地面が揺れたときは、一瞬立ちくらみを起こしたのかなと思いました。でも、周囲の人も地面に倒れ込んだりしていたので、初めて地震なんだと気付きました。揺れが収まってから、「大丈夫か」と声をかけ合い、お互いの無事を確認しました。
イベントにはそのまま参加しましたが、家のことなど気になることばかりで、楽しめませんでした。今でもあの日を思い出すと、気分が悪くなります。(佐賀県小城市)
●解決すべき課題浮上 伊万里海上保安署次長・上村 直正さん(58)
保安署で執務中に横揺れがきました。事務所のロッカーが音をたてて開き、机の引き出しが飛び出しました。すぐテレビをつけました。伊万里港や周辺海域で津波の心配があるなら、船舶などの被害発生を未然に防ぐため、とるべき措置を講じなければならない。幸い、注意報などの対象海域から外れていました。とはいえ、管内には液化ガスや石油基地などの重要施設があります。そうした施設に被害が出ていないか、職員を招集し情報収集にあたりました。被害はなかったが、課題が浮かびました。日曜日で連絡のとれない関係機関があり、一時、携帯電話が役に立ちませんでした。解決すべき課題です。(佐賀県伊万里市)
●過去の災害にも目を 天山酒造社長・七田 利秀さん(65)
地震が起きたときは車を運転していたため、揺れには気付きませんでした。東京に出張中の長男から携帯電話で連絡が入り、初めて異常な事態を認識しました。すぐに会社に電話しました。被害はないと思っていたのですが、最近、れんが造りの煙突が、昨年の台風の影響もあって痛んでいることが分かり、補修しました。ホタルの季節に酒蔵でコンサートを開いていますが、今年はひどく不安を感じたので、入場者の人数を制限をしました。 小城市は五十年以上前にも水害で大きな被害を出しました。過去の災害にも目を向けながら、地域の防災意識を高めなければと感じています。 (佐賀県小城市)
●「冷静に」言い聞かせ 衣料品店店長・小山 聡子さん(29)
地震が起きたときは、同僚と二人で商品の整理をしていました。店内の照明器具が揺れ、同僚がひどく怖がっていたので「冷静にならなければ」と思い、外に避難しました。商品などに被害はなかったのですが、今考えると、お客さまがいなくてよかったです。
地震の後は、テーブルの下や柱の横など、店内の避難場所をすぐに決めました。地震に詳しい人に話を聞いたり、インターネットで地震に関する情報を集めたりするなど、地震に敏感になりました。もし、また地震が起きたときは、パニックにならず、冷静に判断して行動したいですね。 (長崎県佐世保市須田尾町)
●古里の復興を信じて 農業・吉海 英機さん(64)
仮設住宅の玄関に入ったときでした。女房が「地震。電灯が揺れてる」。テレビをつけると「福岡で大被害」。「あん人たちはこれから大変じゃ。人ごとじゃなか」と自分たちの災害を思い出しました。二〇〇三年七月の土石流災害で集落の十五人が死亡。私の家も壊れ、仮設住宅暮らしに。とにかく最初は頭が真っ白だった。次に食べ物、服、住宅、仕事…。仲間、家、農地も失いました。でも悲観し過ぎないよう心掛け、これ以上は悪くならんと開き直りました。自宅は三月に地鎮祭を終え、ようやく再建します。今回の被災者も古里の復興を信じ、心を強く持ってほしい。 (熊本県水俣市)
●島原の経験思い出す 小城郵便局長・青木 繁則さん(52)
長崎県の雲仙普賢岳の噴火のとき、島原市の郵便局に勤務していました。雨が降ると土石流が発生、配達員にも危険が予想されたので、危険個所を見回り、災害情報に神経をとがらせていました。福岡沖地震は唐津市の自宅で体験しました。島原での記憶がよみがえり、すぐに局に連絡。電話がつながらないため、携帯電話のメールでやりとりをしました。幸い、局員や局舎などに大きな被害がないことが分かり、ホッとしました。うちの郵便局では、災害時の連絡網を作っていますが、今回の経験から携帯電話の番号だけでなく、メールアドレスも入れる方向で検討しています。 (佐賀県小城市)
●昼食の矢先に大揺れ 諫早市身障者福祉協・森 多久男さん(50)
地震が起こった日、地元消防団の詰め所にいました。朝から他の団員と一緒に、本明川につながる水門の手入れを終え、「昼食にしようか」と思った矢先の出来事でした。
木造平屋の詰め所はガタガタと音を立てて揺れ、とても気持ちが悪くなりました。揺れが収まった後、身体障害者の知人数人に連絡したところ、「どうすればよいのか分からず、怖かった」と口々に言っていました。
昨年から災害時に身障者の携帯電話にメールを一斉送信し、安否を確認するシステムの開発に取り組んでいます。災害時は障害者に情報が届きにくいので、早急に整備する必要性を痛感しました。(長崎県諫早市福田町)
3月20日の福岡沖地震発生直後から、佐賀・長崎・大分・熊本各県内で取材し、各地域版に随時、掲載したものです。
[2005/7/09]
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