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証言 余震の恐怖 福岡沖地震1ヵ月
20日早朝に起きた地震で、九州北部地域の人たちからは、あらためて地震の恐ろしさと、防災の大切さを説く声が相次いだ。
●2時間かけ徒歩出社 岩田屋広報室・田中 広一さん(38) 寝ていたときグラリと揺れましたが、自宅の被害はありませんでした。すぐに起き出してバスに乗ると、道路が渋滞してほとんど動きません。一区間で降り、それから徒歩に切り替えました。車が数珠つなぎになっている横を延々と歩き、結局二時間かかりました。社内でも徒歩通勤者が何人もいたそうです。会社に着くと問い合わせが多く「岩田屋は通常通り営業しています」と情報発信しました。 一カ月前の地震では、休みで家にいましたが、自家用車で出社。そのときは一時間程度で到着しました。今回の方が、通勤時間帯で渋滞がひどかったようです。 (福岡県春日市須玖) ●必死に神に祈るだけ 福岡ソフトバンク選手・バティスタさん(31) 自宅で就寝中でとても驚きました。本当に怖かった。故郷のドミニカ共和国では十年に一度、地震があるかないか。現在、来日中の家族は特に驚いたようです。母は心を落ち着かせようと水を飲んで、神様に祈っていました。 地震に遭ったのは五回目。うち四回はきょう(二十日)経験しました。あと一回は三日ほど前の小さな揺れ。すべて日本でのことです。二十日早朝のが、これまでの人生で一番大きな地震でした。とにかく家族が無事だったので神に感謝しています。自然現象は人間にはどうしようもない。止めてくれるのは神様だから、必死に祈るだけです。 (福岡市早良区百道) ●南の空に稲妻見えた タクシー運転手・木下 利明さん(59) 西鉄大橋駅のタクシー乗り場で客待ちをしていました。突然、車体が左右に揺れ、ひっくり返るかと思いました。同時に南の空には稲光が。恐ろしい光景でした。地震直後は、無線に付いた衛星利用測位システム(GPS)が誤作動しました。 大橋駅から、お客さんを乗せて天神で降ろすと、その場で次の人を乗せ筑紫野市まで行きました。福岡市内に戻るのに二時間もかかりましたが、その後も乗客は絶えず、普段の倍近くありました。 先月の地震は、福岡市南区の自宅で経験しました。物が棚から落ちる程度でしたが、今回経験した余震のほうが、揺れも大きく衝撃的でした。 (福岡市南区和田) ●用心し服着て二度寝 アビスパ福岡FW・有光 亮太さん(23) 一カ月前の地震のときは仙台に遠征していて、大きな地震は今回が初めて。ドーンという大きな音と揺れに驚いて跳び起きました。マンションの七階に住んでいますが、「部屋に閉じこめられないようにドアを開けた方がいい」と聞いていたので、まず寝室のドアを開けました。玄関も開けようかと思ったけど、さすがに不用心なのでやめました。その後はすぐ逃げられるように外に出られるような服を着てまた寝ました。西戸崎のアビスパの寮は海のすぐ近くにありますが、寮生の後輩が言うには、きのうは海底辺りから「ゴー」という、うなり声のような異音がしていたそうです。 (福岡市東区) ●窯たき準備中グラッ 陶芸家・福島 善三さん(45) 窯に火入れの準備をしているときに、グラッときました。「またか…」と心配しましたが、被害はありませんでした。本震のときは、福岡市・天神のデパートの九階画廊で個展を開催中でした。天井から落ちてきた金具で、ほとんどの大作が割れてしまい、購入の予約を受けていた作品も、評論家にお見せしたかった大皿も割れました。私は会場入り口にいました。中にいたら、揺れる作品を支えようとしてけがをしたでしょう。作品が私の身代わりになってくれた、と考えています。大きな被害で落ち込みましたが、秋に東京のデパートで開く個展の準備を励みに、創作に打ち込んでいます。 (福岡県東峰村) ●宿泊客の移動に支障 ホテル亀山亭総支配人・鑓水 信幸さん(63) 「ガスを切れ!」。これが、妻に言った地震後の第一声でした。先月の地震の際には、ただ揺れが収まるまでじっとしていたのですが、今回は学習効果が少しはあったのでしょう。地震の怖さをあらためて感じながら、勤め先のホテルに向かいました。朝食用に、いくつものポットにお湯を注いでいたメードは、前回以上の揺れを感じたようですが、四国や北海道など各地からの宿泊客は落ちついておられました。ただ、JRが止まったり、高速道にも影響が出たりしてすぐには出発できず、当方もできるだけスムーズに移動してもらうよう関係先への問い合わせに追われました。 (大分県日田市本庄町) ●冷静に「また来たな」 陶芸家・松山 正紘さん(57) 三月の地震では、前夜遅くまで仕事をしていたため、まだ自宅で寝ていました。大きな揺れに驚き、慌てて起き上がりました。「逃げないと」と思いながらも、布団の上で動かずにいたら揺れが収まっていました。 今回も同じように寝ていました。一度経験しているからか、「また来たな」という程度で、落ち着いてニュースを確認。前回と比べ強さは同じぐらい、時間は短いようでした。二十一日から企画展を控えていましたが、作品に被害がなくてほっとしました。余震がこんなに続くのは初めて。異常なことが異常でなくなりつつあるようで、地球全体が不安定だと感じます。 (福岡県庄内町仁保) ●運行再開緊張の判断 昭和バス営業所次長・前山 篤史さん(39) 寝床から起き掛けたとき、余震が襲ってきました。その瞬間、脳裏をよぎったのが運転士の話でした。前回の地震のとき福岡都市高速を走っていた運転士は「バスが突然はね上がり、道路は波のように揺れた」と恐怖を語っていました。すぐに会社に向かい、福岡都市高速が通行止めとなったため、運行はストップさせました。「いつ再開するのか」。そんな問い合わせ電話が殺到しましたが、高速道路の状況が分からず、悩みました。午前九時前に再開を決めたところ、まもなくして再び余震。幸い大きな揺れにならず、無事運行できましたが、バスを再び止めるか、緊張の一瞬でした。 (佐賀県唐津市菜畑) ●無事だった本棚倒れ ネットカフェ店長・川崎 秀介さん(29) まだ出勤前でしたので、すぐに福岡市・中洲の店に電話を入れて状況を確認し、店員に対応を指示しました。二十四時間営業、地震時も開いていました。ビルの八階にある店では、高さ、幅がともに約一メートルある本棚が八つも倒れ、漫画本が床一面に散乱した状態でした。エレベーターも停止、お客さんには非常階段を利用していただきました。 エレベーターの停止は三月の地震でも起き、予想できましたので、お客さんの誘導は混乱なくできました。ただ、前回の地震で大丈夫だった本棚が倒れるとは思いもしませんでした。営業はそのまま続け、片付けも並行して行いました。 (福岡市中央区赤坂) ●逃げずに置物支えた ギャラリー経営・村山久美子さん(63) キッチンで朝食の準備をしていたときでした。照明が落ちるほどの大きな揺れに、身体が硬直しました。食器棚の上に高価な時計や置物があったので、逃げることも忘れてそれを支えました。三月の地震では、店内の高いところに置いていた高価な商品がいくつか落下し、破損しました。それから二十日ほど商品を床におろし、休業しました。もう大きな揺れはないと思い、十日に営業再開したら、今朝の余震ですよ。油断していました。幸い今回、被害はありませんでしたが、安心して商売できません。腹立たしいし、いつ地震が起こるか分からない恐怖も、もううんざりです。 (福岡市西区豊浜) ●1歳の息子かばった 主婦・木山 美香さん(32) 家の中は、あちこちに物を積み上げている状態です。三月の地震後、高い場所から本など小さなものは下ろしていましたが、テレビの上には二台のDVDプレーヤーを置いたままでした。五月の連休中に家の中を整理しようと考えていた矢先です。今回は落ちずに済みましたが、早く整理しなければと、あらためて感じました。 三月の地震のときは、びっくりしてどう対応すればいいのか分からず、途方に暮れていました。今回はすぐに起きて、一歳の息子の上に覆いかぶさりました。余震が続いて揺れに慣れていたのか、自分でも冷静に行動できたと思います。 (福岡市中央区渡辺通) ●15分遅れで公演開始 博多座・吉森 久美さん(30) 朝、揺れで目が覚めるとまず思ったのは「今日の公演大丈夫?」 森光子さん主演の「放浪記」の昼公演は午前十一時開演でした。駆け付けられるスタッフから順に出社し、出演者の無事とステージの安全性を確認。午前八時すぎには予定通りに公演を行うことを決定し、お客さまの問い合わせにも早くから対応できました。 別の公演中だった三月の地震は、発生が開演直前だったため、中止となりました。今回は十五分遅れながら無事公演でき、ホッとしました。今後も安心してお芝居を楽しめるように最善を尽くしますが、余震はもうこれっきりにしてほしいです。 (福岡市早良区城西) ●安心して絵描きたい 主婦・深川 章子さん(68) 微妙な揺れで目覚めると、激しく揺れ出し、しばらく布団から出られませんでした。先月の本震以来、「いつまた地震が来るか」と不安で、外出するときは戸外のプロパンガスのボンベの元栓を必ず閉めるようにしていて、今朝もまずガスの点検をしました。 絵を描くのが趣味なのですが、三月の地震では、公民館で壁の絵が落ちるのを見て強いショックを受けました。今回は私がちょうど市内で展覧会を開いていて、「絵が壊れたのでは」と心配でしたが、幸い大丈夫でした。余震はいつまで続くのでしょうか。早く落ち着いて絵が描ける日常に戻してほしいですね。 (佐賀県小城市小城町) ●商品片付けに3時間 コンビニ店オーナー・大石 浩司さん(50) 午前六時に仕事を終えて、店の近くの家に帰る途中に、ものすごい縦揺れを感じました。急いで店に戻ると、棚の上にあった缶や瓶が落ちて散乱していました。しかし、本震は横揺れだったのが今回縦揺れだったことと、本震の教訓で棚の上に並べる商品数を減らしたことで、被害は少なく済みました。散乱した場所にお客さまが入らないようにしながら営業を継続し、片付けには三時間かかりました。 今回の地震では地下鉄が止まって、車を使う人が多く、近くにある福岡大学の学生さんもたくさん来てくれたので、午前中の売り上げはいつもより多かったです。 (福岡市城南区南片江) ●患者の安否電話確認 難病支援センター所長・三原 睦子さん(45) 自宅で寝ていたとき、「ゴー」という激しい音で目が覚めました。布団にもぐり込み、収まるのを待って、センターの被害の確認に走りました。福岡沖地震ではガラスが二十枚割れましたが、今回は三枚にひびが入る程度で安心しました。休館日で相談者がセンターに来ることはなかったのですが、全身の筋肉が衰えていく難病「筋委縮性側索硬化症」の患者らに、こちらから電話で無事を確認するなど、対応に追われました。収まらない地震に、災害時に医療機関への搬送や連絡手段をどう確保するかなど、難病患者の支援態勢を確立しなければならないと痛感しています。 (佐賀市久保泉町下和泉) ●すり身作り中すくむ かまぼこ店従業員・藤原 充寿さん(36) 福岡市の柳橋連合市場のかまぼこ屋で働いています。場所柄いつも午前六時に開店していて、余震に遭ったときも開店したばかりでした。店内にいた従業員は七人。私は魚のすり身を作っていました。すぐに機械を止めましたが、揺れがやむまではその場に立ちすくんでしまいました。幸い店に被害がなかったので、すり身作りを予定通り午前六時半に仕上げることができました。 先月の地震の後は「もう大きな地震は来ないだろう」と思い、特に地震対策はしていませんでした。でも今回の余震を経験し、今は非常用の食料品くらいは準備しようと考えています。 (福岡市城南区南片江) ●東京育ち 地震と共存 福岡ソフトバンク監督・王 貞治さん(64) たまたま目を覚まして立ち上がっていたとき、ズドンと大きな揺れを感じました。気付くと蛍光灯が前後左右に揺れている。「これが落ちるようだと大変だな」と考えたくらいだから、冷静だったと思います。一カ月前は千葉へ遠征中。周囲からは「前回の揺れはこんなものじゃなかった」とも聞かされました。東京育ちの私にとって、地震はそばにあるもの、共存していくしかないという観念めいたものがあります。東京に住んでいた際、家族とは「地震で離ればなれになったら、多摩川グラウンドに集合しよう」と決めていました。いつも一緒にいるとは限らないし、心の準備だけはしていましたよ。 (福岡市中央区) ●楽団員も楽器も無事 九州交響楽団事務局長・今村 晃さん(60) 約四十年間の東京生活を終え、昨年、九州交響楽団事務局長に就き「地震から逃れられた」と喜んだのもつかの間、東京でも体験したことのない大地震に二回も遭遇するとは、想像していませんでした。幸い楽団員にけがはなく、高価な楽器類や練習施設にも被害は出ませんでした。特に三月二十日以降、楽器類の保管法などに気を使った効果もあったのでしょう。六月二十三日には、新潟県中越、スマトラ沖、福岡沖地震の復興支援チャリティーコンサートを開きます。災害の悲しみをともに乗り越えようと立ち上がるのは、演奏家の務め。ぜひ多くの人に足を運んでもらいたいです。 (福岡市城南区七隈) ●3つの工場平常操業 キューサイ社長・長谷川常雄さん(71) たまたま目覚めて布団の中でまどろんでいると、突然揺れに襲われました。慌ててはいけないと思い、横になっていました。福岡沖地震から一カ月。何となく、また大きな地震が起こりそうな予感はありました。大切な飾り皿などは丁寧に机の下にしまっていたので、無事でした。 福岡市中央区の本社はエレベーターが止まった程度で、被害はありませんでした。福岡市南区と福岡県宗像市にある三工場でも特に異常は見られませんでした。一カ月前の地震でも大丈夫だったので、今回もあまり心配していませんでした。通常通り青汁や冷凍食品を製造しています。 (福岡市南区皿山) ●岩石標本が1つ落下 九大工学研究院研究員・吉川 竜太さん(28) 私の研究室がある廊下の両側には、数百点の岩石標本を展示している棚があります。前回の地震では、揺れた方向が幸いして落下被害はほとんどありませんでした。しかし、地震対策が必要ということで、今週の土曜日にすべての岩石を安定した場所に移動させるつもりでした。その矢先に今回の大きな余震です。今回は一つの岩石が落ちただけで、済みました。本格的な地震対策もできればいいのですが、コストや時間、日々の研究のしやすさも考慮する必要があります。地震は終息に向かうと思いますが、情報だけは集め、できる範囲で対策を行いたいと思います。 (福岡市東区箱崎) ●夢中で子ども抱えた 保育士・大曲 恵子さん(47) 寝室で起きようと思った瞬間に揺れ出しました。一カ月前の地震では棚の食器が割れ、置いてあった懐中電灯が落ちましたが、今回も二階の部屋の飾り物が落下。揺れ自体はもう慣れたので慌てませんでしたが、最近大きな余震がなかったので油断していました。 怖かったのは、保育園で勤務中に襲った午前九時ごろの余震(震度4)。建物が古いので外に出ないと危ないと思いましたが、私が担当のゼロ歳、一歳児は歩けない子ばかり。とにかく連れ出さなきゃと、夢中で子どもを抱え上げました。まだ余震が続くと思うと、保育園にも地震対策マニュアルの必要性を感じます。 (佐賀県みやき町江口) ●面接前によく眠れず 大学生・柴田 晃希さん(21) 地震が起きたときは自宅にいました。二十日の午後は福岡市・天神で就職試験の予定が入っていたので、前の晩から寝ずに面接の受け答えの練習をしていたんです。揺れが収まってから、面接の前に少しでも睡眠をとろうとしましたが、余震で何度も目が覚めてしまいました。 先月の地震のときは福岡市内を車で走っていました。直前まで走っていた高速道路が、ゴンゴンと音を立てて揺れるのが聞こえ、とても怖かったです。そのことを思い出し、面接会場に向かうバスが高速道路に入ったときは「何か起きて、面接に遅れたら…」と急に不安になりました。 (福岡県穂波町枝国) ●不安で動悸が激しく 喫茶店「ぽこ」店主・草野 武子さん(73) 「また来た」。揺れで目覚めた私は布団をかぶりました。頭に浮かんだのは玄関のドア。揺れが収まってから玄関のドアを開けに走りました。私は心臓の持病があり、前回の地震以来、少しの揺れでも動悸(どうき)が激しくなることがあります。あの地震を経験して、すぐ避難できるように持病の薬を用意していました。薬を持たずに避難はできません。今回はその必要はありませんでしたが、動悸が激しくなり、足ががくがくしました。一人で家にいると不安で、誰かと一緒にいたいと思い、午前十一時ごろ経営している喫茶店に行きました。お客さんと話すことで落ち着けました。 (福岡市西区愛宕) ●仏壇固定には抵抗感 「仏壇のしんどう」専務・進藤 良子さん(49) 三月の地震では、仏壇が倒れ、陳列台の端に置いた商品が床に散乱していました。その惨状が頭をよぎり、今朝は急いで川端通り商店街(博多区)のお店へ行きました。 商品は台の中央に置いていたので、ほとんどが無事でした。仏壇は本当は突っかい棒で固定したいのですが、地震対策とはいえ仏壇をそのように扱うのに抵抗を感じ、そのままにしています。今回は大丈夫でしたが、地震の終息を願うしかありません。この一カ月、壊れた仏具を買い替えに来るお客さんが多くいました。「ほかはさておき、仏具をきれいにしたい」「一日も欠かさず拝みたい」という声に心を打たれます。 (福岡市南区長丘) ●バス満員乗車できず 西部ガス営業総括部・宮元 泰博さん(51) 三日前に総務から営業に異動したばかり。地下鉄運休は予想できたので、博多区の会社までどうやっていくかを考えました。西新のバス停は、天神や博多駅方面のバスは到着便が既に満員状態。休日だった前回と違い、平日は通勤客がバスに集中して満員で乗れないという事態は予想外。あきらめて歩きました。 ところが、途中、通りかかった「篠栗駅行き」バスはがら空きで座れました。普段地下鉄を使っていると、駅近くのバス停から天神や博多駅行きのバスに乗ることを考えがちですが、少し歩くと状況がずいぶん変わります。「急がば回れ」だと思いました。 (福岡市早良区曙) ●生かせた「まず現場」 ブリヂストン工場長・井上 芳治さん(52) 午前六時に目が覚め約十分後に大きな揺れ。工場近くに住んでいるため、六時二十分には職場に着き、まず人的被害の有無を確認させました。製造部長は既に工場内の視察中で、私は保安室に設置した対策本部で、各部署から次々に上がってくる報告を受けました。 十―三十分停止させた各機械の運転再開後、九時から会議を開きましたが、そのさなかに余震。会議を中断して現場に戻らせ再度報告させるなど、振り回されました。 三月の地震後の反省会で「まず現場に到着」と申し合わせていたことや、台風対策などで危機管理体制が確立しており、うまく生かせました。 (福岡県久留米市京町) ●日韓一衣帯水と実感 駐福岡韓国総領事・金 栄昭さん(50) 二十日の余震で最も気になったのは、一カ月前の地震の際生じた総領事館の建物被害がどうなったかということ。案の定、土台部分の亀裂がさらに拡大するなど、至急修理が必要な状態です。三月の地震以降、恐怖感から精神的に参る職員も出ました。また当時、イベントのため福岡に来ていた釜山の調理人がやけどで重傷を負う事故も起きて、処理に追われる日々が続きました。 一連の地震では韓国でも揺れを感じ、あらためて両国が一衣帯水の関係にあることを実感しています。福岡の方々にお見舞いを申し上げるとともに、今後緊密な情報交換ができればと考えています。 (福岡市中央区) ●息子の名3回も叫ぶ 「竹森鮮魚店」経営・竹森富陽子さん(67) 朝三時半に長男を福岡市・長浜の魚市場に送り出して、五時ごろ寝たばかりやったとよ。飛び起きて、三回も息子の名前を叫んどった。もう家を出た後なのに…寝ぼけとったっちゃろうね。すぐに柳橋連合市場の店から電話があったけど、建物が古かけん、ぎしぎしと音がすごかったって。とっさに包丁を持ったまま外へ飛び出した店員もおったみたい。市場へ仕入れに行った人の話では、まだ新しか市場の通路が、波打つほどでこぼこになっとったって。前の地震は昼やったけん、外へ出て人の顔を見たら安心できたけど、今度は家に一人きり。震えるほど怖かった。地震はもう嫌やね。 (福岡市博多区住吉) ●尺時計 今回は倒れず 時計店「ハナブサ」店主・衛藤憲太郎さん(50) 福岡市・天神の新天町商店街で時計店を営んでいます。地震後はいつもより早めに店に向かいました。店内に被害はなく、急いで二階へ。江戸時代に使われていた和時計の「尺時計」を置いているのです。先代である父のコレクションで、歴史的にも貴重なものです。 三月の地震で五つある尺時計の一つが倒れて壊れ、「まさかほかの時計も…」と悪い予感がしましたが、今回は幸い一つも倒れませんでした。早く尺時計を修理したかったのですが、この一カ月は時計修理の依頼が殺到し、時間がとれませんでした。六月十日の時の記念日に一般公開できるよう、修理を急ぎます。 (福岡市南区柏原) ●切れ目なく乗客12人 タクシー運転手・森 啓二さん(53) 福岡市・中洲の春吉橋の手前で、車を止めて、お客さんを待っていると、道路が持ち上がる感じがしました。一カ月前の地震の時は休日だったので、初めての感覚に驚がくしました。一年前からタクシーの運転手をしていますが、地下鉄が動かない事態に初めて出くわしました。午前六時半前から、地下鉄が復旧する昼前まで、切れ目なくお客さんが十二人。運転中、ずっと家のことが気になっていましたが、次々と乗って来られるので、電話することができません。地下鉄が復旧して、ようやく連絡することができました。家には異常がなく、やっと緊張感が解けました。 (福岡市早良区百道) ●家具倒れドア開かず 九大テクニカルスタッフ・周 金枚さん(29) 「また地震!」。強い揺れで目が覚めました。一カ月前より揺れが激しかったようです。友人からは「福岡は地震がないから安心よ」と聞かされていたのですが…。炊飯器などを置いていた組立家具が倒れてドアが開かなくなり、片づけて出られるまでに時間がかかりました。 私の故郷・台湾でも地震は度々あります。一九九九年九月の大地震の時は、翌日が大学の新年度始業式でしたが、校舎が壊れ一カ月休校になりました。そうした経験から必ず余震があると思い、三月二十日以降、すぐ避難できるようベッドの脇に飲料水と非常持ち出し品のかばんを置いています。 (福岡市南区向野) ●避難方法作成の矢先 井筒屋営業企画課長・岩崎 和幸さん(55) 起床して間もなく、家全体がガタッと大きく揺れました。一カ月前の地震で、井筒屋が運営を委託されている小倉城では瓦が多数落ち、建物にも数カ所亀裂が入りました。これ以上、瓦が落ちないように応急措置を取っていましたが、建物がさらに損傷したのではないかと心配になり、大急ぎで出勤しました。 建物は無事で、早朝のためお客さまもおらず一安心。小倉城は北九州のシンボルで、観光客も大勢訪れます。安全を第一に考え、地震を想定した避難マニュアルの作成を始めた矢先の大きな余震でした。職員が速やかに避難誘導できる態勢づくりを早急に進めます。 (福岡県宗像市城西ケ丘) [2005/4/21] |
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