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郷土の星 西日本スポーツ賞 7個人4団体に 福岡で贈呈式
西日本スポーツ賞を受賞した(前列左から)高千穂高校女子剣道部の真武千郷選手、鹿児島実業高校サッカー部の柳元勇斗選手、女子プロゴルフの北田瑠衣プロ、九州サッカー協会会長の藤井正訓氏、鹿屋体育大学水泳部の柴田亜衣選手、福岡ソフトバンクホークスの松中信彦選手、九州文化学園高校バレーボール部の高田ありさ選手、諫早高校女子駅伝チームの金子麗選手(後列左から)高千穂高校女子剣道部の佐伯浩美監督、鹿児島実業高校サッカー部の引地満憲部長、旭化成柔道部の内柴正人選手、九州共立大学体操競技部の中野大輔選手、九州学院高校ボクシング部の高慶慶史選手、九州文化学園高校バレーボール部の井上博明監督、諫早高校陸上部の安達勝美コーチ =21日、福岡市・天神の福岡国際ホール

 九州・山口・沖縄に在住し、スポーツ界でこれまで貢献した功労者、顕著な実績を築いてきた選手や団体を顕彰する第50回(2004年度)西日本スポーツ賞の贈呈式が21日、福岡市中央区の福岡国際ホールで行われ、多田昭重・西日本新聞社社長からアマチュア関係の5個人、4団体とプロフェッショナル関係の2個人に表彰状や記念のレリーフなどが贈られた。

 アマチュア関連個人では、半世紀以上にわたり九州でのサッカー発展に取り組んだ体育功労者の藤井正訓(まさのり)・九州サッカー協会会長(72)、アテネ五輪柔道66キロ級金の内柴正人選手(26)=旭化成=、同五輪女子八百メートル自由形金の柴田亜衣選手(22)=鹿屋体育大=、同五輪体操男子団体金の中野大輔選手(22)=九州共立大=、ボクシング高校三冠を達成した高慶慶史選手(17)=九州学院高。

 同団体では、玉竜旗大会、全国高校総体など高校三冠の高千穂高女子剣道部(宮崎)や女子バレーの高校三冠に輝いた九州文化学園高バレーボール部(長崎)、全国高校駅伝女子で頂点に立った諫早高陸上部女子駅伝チーム(同)、全国高校サッカー選手権で優勝した鹿児島実高(鹿児島)。

 プロフェッショナル部門では、昨年18年ぶりとなるプロ野球史上7人目の三冠王を達成した松中信彦内野手(31)=福岡ソフトバンクホークス=、女子ゴルフで昨季、初優勝を含む3勝を挙げ、賞金ランキング3位に入った北田瑠衣プロ(23)。

 贈呈式で多田昭重・西日本新聞社社長は「九州の誇り、日本の宝が増えたことはうれしい」とあいさつ。受賞者を代表して藤井・九州サッカー協会会長は「かげで支えてくれた家族や、関係者とともにこの喜びを分かち合いたい」と話した。

【'05/02/22 朝刊掲載】

西日本スポーツ賞50周年 今回は7人、4団体 あせぬ輝き 郷土の記憶
 ■今回の受賞者

【アマチュア・個人】
 ▽体育功労者 藤井正訓(九州サッカー協会会長)
 ▽柔道    内柴正人(旭化成)
 ▽水泳    柴田亜衣(鹿屋体育大)
 ▽体操    中野大輔(九州共立大)
 ▽ボクシング 高慶慶史(九州学院高)

【アマチュア・団体】
 ▽剣道     高千穂高校女子剣道部
 ▽バレーボール 九州文化学園高校バレーボール部
 ▽陸上     諫早高校女子駅伝チーム
 ▽サッカー   鹿児島実業高校サッカー部

【プロフェッショナル・個人】
 ▽ゴルフ 北田瑠衣
 ▽野球  松中信彦(福岡ソフトバンクホークス)


 スポーツ界にさんぜんと輝く郷土の星たち。ともに戦い、まぶたに焼き付けた数々のシーンが色あせることはない。  3連敗後の4連勝で巨人を逆転、奇跡と称賛されたプロ野球・西鉄ライオンズの3連覇。稲尾和久が、中西太が、豊田泰光がいた。球団のない寂しさを味わった九州の地に舞い降りた福岡ダイエーホークス。2度の日本一を勝ち取り、王貞治監督が宙に舞った。青畳の戦いで頂点に立った二宮和弘と園田勇、現在も活躍中のYAWARAちゃん・谷亮子。42・195キロを疾駆した君原健二、茂と猛の宗兄弟、谷口浩美、森下広一。水泳の田中聡子、競輪の中野浩一…。さらに甲子園の三池工、佐賀商、都大路の小林、大牟田、筑紫女学園、サッカーの国見など、高校スポーツで爆発させた若い力。まるで満天の星のようだ。

 繰り広げられた死闘、五輪や世界選手権の金メダル、ロードやプールで生まれた数々の新記録。世界の厚い壁も知った。スポーツを通して共有した喜び、怒り、哀(かな)しみ、楽しみ。それは、わたしたちの生きる原動力にもなった。

 スポーツの魅力を伝え、郷土とともに歩んできた西日本スポーツが21日、創刊50周年を迎える。プロ、アマを問わず、スポーツ界に顕著な足跡を記した九州・山口・沖縄在住の個人、団体、スポーツ界の発展に尽くした功労者を毎年たたえてきた西日本スポーツ賞もことしで50回。1955年2月21日の「西スポ」第1号発刊の1周年を記念して制定され、半世紀にわたる歴代受賞者の顔ぶれは、日本スポーツ界の歴史でもある。

 節目となる2004(平成16)年度の受賞者は、7個人と4団体に決まった。

 アマチュア関係が、半世紀以上も九州でのサッカー発展を支えた体育功労者の藤井正訓・九州サッカー協会会長(72)、アテネ五輪で金メダルを獲得した柔道の内柴正人(26)=旭化成=と水泳の柴田亜衣(22)=鹿児島・鹿屋体育大=、体操の中野大輔(22)=福岡・九州共立大=の3選手。高校スポーツ界で頂点を極めたボクシングの高慶慶史選手(17)=熊本・九州学院高=、高千穂高校女子剣道部(宮崎)、九州文化学園高校バレーボール部(長崎)、諫早高校陸上部女子駅伝チーム(同)、鹿児島実業高校サッカー部(鹿児島)。

 プロフェッショナル関係は、女子プロゴルフでツアー初優勝を含む3勝を挙げた北田瑠衣プロ(23)とプロ野球の三冠王で新生・福岡ソフトバンクホークスをけん引する松中信彦選手(31)。贈呈式は21日、福岡市中央区天神の福岡国際ホール(西日本新聞会館16階)で開かれた。

 ことしも日本スポーツ界を代表する顔がそろった。受賞者はこれで、延べ207人と112団体に達し、郷土の宝がまた増える。夢を、感動を、ありがとう―。

■アマチュア・個人■

▽藤井 正訓(ふじい・まさのり)
 1932年12月10日、山口県下関市生まれ。福岡学芸大(現福岡教育大)卒。福岡商高(現福翔高)サッカー部を56年から31年間率い全国高校選手権5回出場。88年から日本サッカー協会理事、98年から同参与。2002年から九州サッカー協会会長。

●体育功労者 藤井正訓さん 九州サッカー礎築く


 福岡商高(現福翔高)に1956年に赴任して以来、サッカー部を31年間率いて一時代を築き、福岡県、九州、日本の各サッカー協会で要職に就いた。特に九州サッカーの発展には社会人から小学生まで各世代の九州大会を創設するなど尽力。72歳になった現在も九州サッカー協会会長として、底辺の拡大に力を入れている。

 「九州は一つ」が現在の九州の高校サッカー指導者の合言葉になっているが、その源流は藤井氏が提唱し、福商、鹿実、大分工の3校が1960年代の中ごろに始めた、当時は珍しい越境合同合宿。以来、「昼の試合、夜の飲み会」(藤井会長)で、指導者が互いに修練を続けてきたことが、地理的ハンディのある九州を全国の“先進地域”に押し上げた理由の一つだ。
    ◇
 ●熱い「生き字引」
 九州サッカー協会の創立50周年を契機に1999年、自らが保存していた膨大な資料を基にして540ページの「九州サッカーのあゆみ」を、ほぼ一人で執筆・編集した。数カ所に転移したがんが治癒し、闘病生活が終了したばかり。熱意が体を動かした。

 出版の直後、脳梗塞(こうそく)で倒れ、右半身に若干のまひが残る。今回の取材もリハビリから自宅に戻ってきた直後だったが、応対は終始、笑顔。九州の高校サッカーの発展の経緯を中心に、数時間にわたり熱く語っていただいた。

 座右の銘は「情熱を傾けて成し遂げる信念を持て」。本年度の全国高校選手権を制した鹿児島実の松沢隆司総監督や、国見の小嶺忠敏総監督ら日本を代表する指導者も“昔、教えた”間柄。九州サッカーのすべてを知る「生き字引」といえる人だ。(森竜太郎)

▽内柴 正人(うちしば・まさと)
 1978年6月17日生まれ、熊本県合志町出身。小学3年で柔道を始め、一の宮中から国士舘高、国士舘大を経て旭化成。60キロ級から66キロ級に階級を上げ五輪代表を射止める。五輪初出場のアテネではオール一本勝ちで頂点に。160センチ。得意技はともえ投げ。

●柔道 内柴正人さん オール一本勝ちで金


 オール一本勝ちで、強豪ひしめく柔道男子66キロ級の金メダルをつかんだ。「今までやってきたことをすべて出せた」。初の五輪だったアテネで披露した完ぺきな柔道を内柴正人は振り返る。

 始まりは失敗からだった。五輪の1年4カ月前、失意の中にいた。60キロ級でエントリーしていた全日本選抜体重別選手権で2度目の減量失敗。約2週間後の結婚披露宴で、涙を流しながら新天地となる66キロ級での再起を誓った。がむしゃらに汗を流し、快進撃を続けた。

 次も視界に入ってきた。「世界選手権の代表選考会の全日本選抜体重別(4月)で優勝すること」。年明けに痛めた腰も順調に回復。「受賞を励みに挑戦を続けたい。(贈呈式で)福岡にいったら出げいこにもいきたい」と意欲を燃やす。

    ◇
 ●「怖がり」なのに
 「怖がりなんで…」。何度このセリフを聞いたことだろう。最軽量級の60キロ級時代は10キロ近い減量を強いられ、66キロ級への階級転向は以前から周囲に勧められていた。だが、踏み出す勇気がなかった。最終的には、2度目の減量失敗による失格で「引退」か「新天地で勝負」の二者択一を迫られた末の決断だった。

 この性格が金メダルをもたらしたのだと思う。オール一本勝ちで頂点に立った直後「こんなにひらめいたのは初めて」と言った。テストでヤマが当たったという意味ではない。憶病であればあるほど、さまざまなことを考える。五輪代表を射止めてから膨大な“予習”を積み重ねたことで、アテネでは相手の動きに応じた技がひらめき、瞬時に繰り出せたのだ。

 初の五輪で金メダルを獲得し、次の北京五輪への抱負を尋ねると、予想通りの言葉が返ってきた。「怖がりだから…」。3年後なんて想像できないという。(手島 基)

▽柴田 亜衣(しばた・あい)
 1982年5月14日、福岡県太宰府市出身の22歳。3歳で北九州市のスイミングクラブで水泳を始め穴吹高(徳島)から鹿屋体大(鹿児島)。2002年パンパシフィック選手権、03年ユニバーシアード、世界選手権代表。176センチ、61キロ。

●水泳 柴田亜衣さん 突然のシンデレラ


 夢舞台で世界の頂点に立った。アテネ五輪競泳女子八百メートル自由形で金メダルを獲得。初の西日本スポーツ賞受賞に「非常に名誉な賞をいただいてとても光栄です。これを機に、さらに挑戦し精進を重ねるつもりです」と喜んだ。

 自由形で日本人女子選手がメダルを獲得したのは史上初の快挙。八百メートル自由形に先だって行われた四百メートル自由形決勝では日本人女子の自由形最高を更新する5位入賞で弾みをつけると八百メートル予選は3位通過。決勝は終盤での逆転勝ちと理想通りのレース運びだった。柴田は「慌てず、焦らず、あきらめずという精神で金メダルを取ることができました」と振り返った。

 柴田は今春、鹿屋体大を卒業する。大学院に進み、九州を拠点に競技活動を続けるという。
    ◇
 ●世界サプライズ
 あの時の興奮は今でも忘れられない。競泳女子八百メートルで柴田が金メダル。このニュースにアテネのプレスセンターに陣取った日本人プレスからはどよめきが起こり、外国人プレスは「シバタってだれだ?」と驚嘆の声…。世界中がまさにサプライズに包まれた一日だった。

 国内無冠の無名スイマーがここまでやるとは、私も含めだれも予想していなかったのではないだろうか。昨年4月の日本選手権八百メートルで自己ベストを10秒近く更新。2位でアテネ五輪の切符を手にしたときも本人自身が「ビックリの記録」と目を白黒させていたほどだった。

 勝負の世界にシナリオはない。特に五輪では優勝候補が勝者となるとはかぎらない。可能性を一気に開花させる新星が誕生する歴史がある。まさにその象徴が柴田だった。(田中 耕)

▽中野 大輔(なかの・だいすけ)
 1982年10月10日、新潟市生まれの22歳。小学1年のときに新潟ジュニア体操クラブで始めた。京都・洛南高3年時、全国高校総体であん馬、鉄棒、床運動の3種目を制し個人総合3位に入った。2003年の全日本選手権個人2位。04年中日カップ種目別平行棒優勝。163センチ、59キロ。

●体操 中野大輔さん ニッポン復活に一役


 日本中が熱狂したアテネ五輪男子団体総合の金メダルの獲得。チーム最年少(当時21歳)選手として28年ぶりの“体操ニッポン”の復活の一翼を担う活躍が評価されての受賞に「体操人生の糧になります」と喜んだ。

 体の線の美しさ、潜在能力の高さは、体操関係者の誰もが認める。さらに所属する九州共立大体操部の堀内担志監督が中野の演技のすごさについてこう言う。「繰り出す難度の高い技に引き込まれて、会場がシーンとなる。まるで観衆を支配しているようだ」

 今春から福岡教育大大学院に進学する。そして、目標は「北京五輪で、いっぱいメダルをとること」という。個人では最高で種目別の5位(平行棒)に終わったアテネ。北京では団体連覇とともに個人の表彰台もターゲットだ。
    ◇
 ●枠に収まらぬ技
 アテネ五輪の前に中野選手の練習を取材したことがある。163センチと体操選手としては平均的な体。が、いざ試技に入ると驚いた。大きく見えるのだ。難度の高い技に加え、手の先から足先まですべてを意識した演技がそう感じさせるのだ。

 小さな枠に収まらない彼のスケールの大きな演技を目当てに大会に来るファンが多いという。専門家の評価も高い。中野の演技を見たロス五輪の鉄棒で金メダリストになった森末慎二さんはこう言っていた。「中野を世界に出さないと日本の体操界はダメになる」

 団体は見事に金。一方でメダルが期待された種目別平行棒は5位に終わった。悔しかったに違いない。とはいえ中野には北京五輪がある。「北京ではメダルをいっぱいとりたい」。期待している。 (山上武雄)

▽高慶 慶史(たかけい・けいし)
 1987年2月24日、熊本市生まれの17歳。同市の五福小5年から兄の影響でボクシングに興味を示し、同市の藤園中3年秋から九州学院高校の練習に参加しボクシングを始めた。サウスポー。170センチ、54キロ。家族は両親と兄、姉。

●ボクシング 高慶慶史さん 高校トップ3度


 昨年の高校ボクシング界で、ライトフライ級の高慶慶史は三冠を達成した。北京五輪への日本アマチュアボクシング界、期待の星。「選ばれると思っていなかった。この賞を励みに精進したい」。笑顔がはじけた。

 春の全国高校選抜大会を初制覇すると勢いがつき、全国高校総体も制し、国体でも頂点に立った。ボクシングは6歳上の兄の影響で高校から始め、熊本市・藤園中時代にサッカー部で鍛えたフットワークが、実戦で実った。次々と白星を重ね、高校3年間の公式戦通算戦績は54戦51勝3敗。

 高校卒業後は関東1部リーグの法政大学に進む予定だ。

 「もっと技やスピード、スタミナをつけてリーグ優勝、全日本選手権優勝を成し遂げて北京五輪出場につなげたい」。目指すはアマチュア王者だ。
    ◇
 ●北京夢じゃない
 高校ボクシングの強豪・九州学院から3人目の受賞となった。4年前、全国高校選抜、全国高校総体、国体の3冠を達成した本田裕人(日大4年)と同じライトフライ級。高慶の高校通算戦績は54戦51勝3敗で本田の50戦47勝3敗を上回る数字だ。ボクシング部を率いて今年で9年目の木庭浩一監督(46)は「スピードは本田にかなわないがリズム感や試合を読む力は高慶の方が上。北京五輪出場も決して夢ではない」と期待を寄せる。

 本田は大学卒業後、指導者としての道を歩む予定で全日本選手権でのライバルはいなくなる。ただ、本田が現役を続けたとしても高慶は冷静な判断力と負けず嫌いの性分で真っ向から挑み名勝負となったはずだ。日本不参加のため1980年モスクワ五輪の幻の代表となった木庭監督の思いも背負い、北京五輪では頂上を目指してくれるはずだ。(田中玲子)

■アマチュア・団体■

▽高千穂高校剣道部
 宮崎県高千穂町。1953年に創部。女子は玉竜旗と全国高校総体ともに4度日本一になっている。88年度に西日本スポーツ賞を受賞した男子も玉竜旗で4度、インターハイで2度全国制覇。主なOBに2003年世界選手権優勝の佐藤博光、96年の全日本選手権覇者の甲斐敦子(ともに大阪府警)らがいる。

●高千穂高校女子剣道部 玉竜旗大会を2連覇


 本年度の高校剣道界の中心にいた。2年連続4回目の優勝を飾った玉竜旗をはじめ全国高校選抜、全国高校総体のすべてを制した。一昨年の玉竜旗から続いた不敗神話。最後まで連勝街道が続いた。

 今回の受賞について厳しい指導で有名な佐伯浩美監督も表情を緩めた。「三冠王の松中選手や五輪金メダリストとともに受賞できるなんてと選手たちも喜んでいます。頑張ってきた選手たちへの最高の贈り物でしょう」

 男子顔負けのハードな練習が強さの下地となった。毎日2時間の打ち込みとかかりげいこ。「もう練習をやめろと言っても食らいついて竹刀を振ってくる。後にも先にもこんなすごいチームは出てこないと思う」。佐伯監督もうなるほどのけいこ量が大舞台でもひるまない自信をつくり上げた。
    ◇
 ●5人は無敵艦隊
 打倒高千穂に燃えるライバル校はオーダーを変更させる幻惑作戦で対抗してきた。しかし、女王は足さばきのよさで相手に打たれることなくライバルを退けてきた。先鋒から大将までオーダーを変えない不動の5人衆は無敵艦隊とも呼ばれた。

 だが選手たちも人の子だ。次鋒田島有規は全国高校総体直後にこうもらしたことがあった。「試合前はよく吐き気がして。『負けたらどうしよう』って重圧がありました」。

 それでも勝ち続けたことに彼女らのすごみを感じる。高校剣道の関係者らは口々にいった。「伝説になるかも。もうこんなチームは出てこないのでは」。それほど強かった。5人は今春に卒業し、社会人、大学と新たなステージに飛び込む。今度はライバル同士となって日本一を目指す。(山上武雄)

▽九州文化学園高校バレーボール部
 長崎県佐世保市。1980年に創部。83年には全国高校選抜優勝大会、全国高校総体、国体に初出場。98年から7大会連続で高校の全国3大会に出場し、通算8度の全国制覇を誇る。卒業生には元全日本代表の満永ひとみ(久光製薬スプリングス)浜口華菜里(東レアローズ)らがいる。

●九州文化学園高校バレーボール部 選抜、総体、国体を制覇


 九州文化学園バレーボール部は昨年3月の全国高校選抜優勝大会、8月の全国高校総体、10月の国体の全国大会で優勝したことが評価された。1980年から指揮する井上博明監督(47)は「九州のスポーツ界で九州文化学園バレーボール部のステータスが上がることになる。うれしいです」と初受賞を喜んだ。

 誠英(山口)に2セットを先取された選抜優勝大会の準決勝では、第3セットの25―26から逆転勝ち。決勝で、初の3連覇を狙う下北沢成徳(東京)を制した。全国高校総体では初戦から1セットを失っただけで優勝し、国体も圧勝した。

 新チームには、昨年の優勝メンバーの樋口美紀(2年)と野口彩佳(2年)の2人が残った。「メンバーの入れ替わりはあるが、頑張っていけば連覇も夢ではない」。井上監督は2年連続3連覇に自信をのぞかせた。
    ◇
 ●熟成スープの味
 「ラーメンのスープが熟成するように、日々の反省を重ねる中でチームがだんだん良い味になってきている」。1980年の創部時から指導する井上監督はラーメンの味に例えてチームの成長の過程を振り返った。

 長い年月をへてスープに深い味わいが出るように、チームにモットーの四カ条が浸透してきたという。「感謝と思いやり」「言い訳と責任転換をしない」「誇り」「自分の役割を探す」。井上監督は「これらの道徳的な考え方に気付くと練習に中身が出る」と話す。

 一つのミスが失点に直結するため、一人でも穴になったら好結果が生まれないというのが持論。「バレーボールには、今の世の中で理解しないといけないことが多く含まれている」。伝え続けてきた人間としての基本が、バレーボールの特性とうまくかみ合い、偉業につながったのだろう。(中野雄策)

▽諫早高校女子陸上部
 長崎県諫早市。全国高校駅伝は1993年の第5回大会で初めて登場し、95年の第7回大会から昨年まで10年連続出場。98年の第10回大会から3年連続3位に入り、01年の第13回大会で初優勝を飾った。西日本スポーツ賞は前回、都大路を制した第47回以来、2度目の受賞。

●諫早高校女子駅伝チーム アンカー逆転返り咲き


 念願の頂点に返り咲いた。昨年12月にあった女子の全国高校駅伝で諫早が3年ぶり2度目の優勝。松元利弘監督は「これを励みに今年も頑張ります」と西日本スポーツ賞受賞の喜びを語った。

 「駅伝女王」の座は終盤の逆転でつかんだ。2区以降は全員が区間3位以内と力走し、トップに11秒差の2位でアンカー高田鮎実(2年)にタスキをつないだ。高田は残り2キロを切って先頭に立つと区間賞の快走でそのままゴール。松元監督は「監督生活16年で県大会を含めてこれほど思った通りというのはない」と振り返った。

 今年の目標は連覇しかない。高田、太田、松永と3人の都大路経験者が残る。松元監督は「3人も残るから頑張ろうというのはあるがゼロからやり直します」とチャレンジャー精神を強調していた。
    ◇
 ●勝負勘のすごみ
 松元監督には、教師の枠にはまらないユーモアのセンスがある。携帯電話に連絡すると、プルプルという通常の呼び出し音とともに「この電話に出られるかなあ〜」と笑いを誘うメッセージが聞こえてくる。

 ただし、普段はひょうきんな性格の松元監督もレースとなると勝負師の表情となり、笑顔は消え去る。昨年の全国高校駅伝では1年生の松永明希を抜てきし、大会直前まで故障で満足に結果を残せなかった高田をアンカーに起用し周囲を驚かせた。「うちが勝つためにはアンカー勝負しかなかった。勝利には勢いというか、ひらめきも必要」。作戦はずばりと的中したのだ。

 前回の全国制覇とは違い、今回はマークされる立場での優勝。松元監督は「今回は狙って取った」と言い切る。チームづくりとともに勝負勘のすごみを感じた。(岡田智広)

▽鹿児島実業高校サッカー部
 鹿児島市。1916(大正5)年、鹿児島実業中学館として創立したスポーツ強豪校。サッカー部は58年創部。OBには日本代表MF遠藤保仁(G大阪)、アテネ五輪代表のDF那須大亮(横浜M)ら多数。西日本スポーツ賞は95年度に続き2度目の受賞。

●鹿児島実業高校サッカー部 PK戦 念願の単独V


 1月の全国高校サッカー選手権で9大会ぶり2度目、単独では初の優勝を飾った。J1清水に進むDF岩下(3年)や、同選手権得点王で強豪の駒沢大に進学するFW山下ら全国的に注目される選手はいたが、松沢隆司総監督(64)は「全国レベルでは中ぐらいの選手が本当に頑張ってくれた」と目を細めた。

 多彩な個性が活躍した。ジャッジや味方のミスにいらだちすぎる岩下を「感情のコントロールを覚えてほしい」(松沢総監督)と主将に指名。同選手権ではジャッジに抗議する指揮官を逆になだめたほどだ。西スポ賞受賞は2度目。「賞は認めてもらっていることのあかし。指導者、選手の励みになります」と松沢総監督。次の目標はPK戦をすることなく優勝する選手権の完全単独制覇だ。
    ◇
 ●泥臭さと南米流
 鹿実の強さは指導陣の充実にある。松沢隆司総監督を筆頭に、由利繁弘監督やブラジル人のジョゼ・カルロスコーチら計5人が役割分担。大きな大会にはJ1チームのトレーナー経験もある岸田光道氏が臨時トレーナーとして帯同する。今年度の選手権で大きなけが人が出なかったのも、充実したバックアップ態勢の成果だ。

 無尽蔵の体力で対戦相手を圧倒するだけに泥臭いイメージもあるが、それだけが鹿実のサッカーでは決してない。市立船橋との選手権決勝戦では細かいパス回しとサイド攻撃を仕掛け、基本技術の確かさで関係者をうならせた。松沢総監督と南米流のカルロスコーチの指導方針はときに対立することもあるというが、松沢総監督の老練さもあってか、双方の良さがうまく融合された完成されたチームだった。(森竜太郎)

■プロフェッショナル・個人■

▽北田 瑠衣(きただ・るい)
 1981年12月25日、福岡市生まれの23歳。小学4年からゴルフを始め、福岡・沖学園中学、高校から進学した折尾女子経済短大2年時、九州女子アマ、日本女子学生、日本女子アマ選手権各大会で2位。昨季は30試合にフル参戦しツアー初優勝など3勝を挙げ賞金ランキング3位。160センチ、55キロ。

●北田瑠衣さん けが克服し一気 プロ3年目 年間3勝


 女子プロゴルフ界の若手実力者の1人として確固たる地位を築いた。プロ3年目の昨シーズン、初優勝を含む3勝を挙げ、約5900万円を獲得。賞金ランキングは不動裕理、宮里藍に続く3位。一昨年の35位から大躍進した。

 昨季後半から痛みに悩まされた右手親指付け根のじん帯を昨年12月に手術。順調に回復し不安はない。年末年始には米国に渡り、初の海外トレーニングもした。不動と宮里というライバル2人のすごさは、大崩れしない安定感にあることを知っている。それだけに「優勝を逃した試合でも、ベスト10内に入っているようにしたい」と話す。アプローチとパットの精度を上げ、パーセーブ率やなどのランキングをアップさせることも目標にしている。「もっともっと頑張ります」と力を込めた。
    ◇
 ●激闘後も気配り
 女王・不動の追い上げをかわし、初優勝を飾った昨年5月のニチレイカップ。プレーだけでなく人柄でも注目を集めた。激闘の疲れも見せず、1時間に及ぶロングインタビューを受け、関係者1人1人にあいさつ。最後はプレスルームに立ち寄って引き揚げた。「お先に失礼します。ありがとうございました」の言葉と笑顔に、胸をキュンとさせた記者も多かった。

 この気配りが弱肉強食のプロの世界ではマイナスに作用しないかと心配したが、杞憂(きゆう)に終わった。その後も2度の優勝を重ね計3勝。日本女子アマをはじめ、2位の多かったアマ時代の殻を完全に破った。

 注目度急上昇中の女子プロゴルフ界。だが、その中心にいる宮里藍は06年に米ツアーへ本格参戦する予定だ。ブームを一過性のものにしないためにも、ルイちゃんの華麗なプレーに期待しています。(手島 基)

▽松中 信彦(まつなか・のぶひこ)
 1973年12月26日生まれの31歳。熊本県八代市出身。内野手、左投げ左打ち。八代第一高から新日鉄君津(千葉県君津市)を経て、97年にドラフト2位で福岡ダイエーホークスに入団。99年からレギュラーに定着し、2003年から小久保裕紀(現巨人)に代わってホークス選手会長。

●松中信彦さん 爆発力と安定感 史上7人目の三冠王


 昨年、史上7人目、18年ぶりの三冠王となった。ホークスナインとして小久保(現巨人)、村松(現オリックス)に続く3人目の受賞になる。「成績が評価されたことは素直にうれしい。尊敬する先輩に続けたことも誇りになる」

 爆発力と安定感という矛盾する2つのエネルギーで相手投手を圧倒した。日本記録には1試合及ばなかった6試合連続アーチを含む44本塁打。打率・357の数字がすさまじさを物語る。ハードなトレーニングと節制。選手会長として精神面の成長も大きな飛躍を支えた。

 今年の目標は、昨年失ったチームの日本一の称号を自らのバットで取り戻すことだ。「優勝しかない。4番が打てば勝つ。打たなければ負けるんです」。松中のモチベーションは上昇カーブを描いている。
    ◇
 ●心を動かす潔さ
 価値ある三冠だった。どのチームも正々堂々とタイトルを争う松中らに真っ向勝負を挑んだ。いわゆる不必要な醜い四球は一つもない。ホークス戦、本塁打で競っていた日本ハム・セギノールがタカバッテリーに対して「勝負をしてくれてありがとう」という感謝の意を表した。松中も最後の日本ハム戦で斉藤に「中途半端は嫌だ。思いっきり勝負してほしい」と訴えている。潔さに心を動かされた。

 松中となべを囲んで三冠王が確定するセギノールの最終打席を見守った。試合後、王監督、新井前打撃コーチらから祝福の電話が相次いだ。オリックス投手陣をリードした日高からも「おめでとう」と「抑えたぞ」という意味の言葉が届いたことを覚えている。

 この歓喜だけで終わらなかったことが松中の今後の野球人生にどう影響するか。野球の神様が与えてくれた試練という贈り物。今後、松中がさらに活躍を続けるとしたら、挫折も味わった2004年が大きな転機といわれるだろう。(久保安秀)