
「フリースクール玄海」の1日はランニングから始まる。雪の日でもそれは変わらない =福岡市東区
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不登校生が列をつくり海岸を走る。玄界灘の寒風にさらされながら、嶋田聡(53)は言った。
「うちは押しつけ教育百パーセントです。学校はそもそも個性を育てるところじゃない。社会性を培うところでしょ」
中高の不登校生十一人を全寮制で指導するフリースクール玄海(福岡市東区)を設立して七年。持論は変わらない。
不登校生に限らず、子どもは大人への発達段階だ。基礎訓練をすれば、個性も自然に伸びていく。当然、子どもとの関係は「対等」ではない。指導する側とされる側である。日課表には座禅、徳育、写経などが並ぶ。
生徒らは自宅に引きこもり、社会との接点を断ってきた。「勉強はできるマジメ系だが、依存心が強く自己中心的で関心事以外のことでは我慢ができない」と嶋田。個性や自主性、平等を目指す教育からはみ出すこともある。
「ほんとは嫌だけど、一生懸命走っている自分が好きだぁー」。色白で長髪の泉谷祥(いずたにしょう)(14)が冬の海に叫んだ。寮生たちは嶋田に「強制」された「自己肯定宣言」から一日を始めた。
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「差別につながる」と、運動会のかけっこで順位を付けない。手をつなぎみんなでゴールする―。
一九八〇年代から九〇年代にかけ、九州の小中学校でそんな現象が起きた。その「思想」は今も一部引き継がれている。
今年十月、福岡市東区の市立千早小。百メートル走はほとんどが接戦で差が出ない。「奇妙だ」と漏らす父母もいた。
「体育の授業で計ったタイムで事前にグループ分けしていますから」。校長の稗島(ひえしま)滋(56)が説明した。「悪(あ)しき平等主義」と批判される「順位なし方式」に、競争主義を取り入れた折衷案で、福岡市内で今は主流だ。
逆に、鹿児島市立名山小(末永利治校長)では「勉強が得意な子もいればスポーツに秀でた子もいる。それぞれの能力を伸ばしたい」と伝統の競争主義にこだわる。
「機会の平等は保障されても結果の平等はありえない」。形式的な平等主義は、そんな実社会の厳しさから目をそらしているとも揶(や)揄(ゆ)されてきた。
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学力向上か、学校序列化か。
基礎学力の低下を背景に、大分県教委は九月、小学五年と中学二年を対象にした一斉学力テストで、平均点が目標値(県内一律)を超えた学校名の公表に踏み切った。
「学力向上や授業改善が目的。基準に達したか否かの絶対評価で、序列化につながる相対評価ではない」。そういう県教委義務教育課長の富松哲博(57)に、県PTA連合会事務局長の村上浩司(62)は疑問を投げかける。「単なる学力競争や学校間格差を生むのではという不安もある」
親も教師も、到達度を確かめながらの教育に異論はないが、「平等から競争へ」ともう一度踏み出すことになるのなら、ためらう。
再び玄界灘のスクール。平等教育は、「人権」の視点からいくつもの成果を上げながら、「クラス全員を公平に扱う」との名目で、一人一人の子どもとしっかり向き合うことを避けたのではないか。「特別扱いは一切しない」、と。祖父、父が教師だった嶋田はそう言いながら、不登校生の作文を取り出した。
〈自分はみんなより少しは勉強できるから、特別あつかいしてほしいと思い、それが通じなかったので学校を休んでしまいました〉
単なる甘えなのかもしれない。それでも間違いないのは、彼らが学校現場で居場所を見失っていることである。 (敬称略)
戦後教育の歩み 日本の戦後教育は、軍国主義的傾向を一掃することから始まり1947年、教育勅語に代わり、教育の機会均等や男女共学を定めた教育基本法を公布。48年には教育委員会制度が発足した。経済成長に伴う進学率の向上の一方で、勤務評定や日の丸・君が代などをめぐり、文部省(現文部科学省)と日教組が全面的に対立。80年代以降は、受験競争の弊害や校内暴力・いじめが表面化した。2000年代は、ゆとりの教育と学力低下の関係が論議となっているほか、学級崩壊も問題化した。
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