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第51回西日本スポーツ賞 2個人5団体が受賞
 九州・山口・沖縄在住で、スポーツ界に輝かしい足跡を残した個人や団体、長年にわたって郷土のスポーツ界発展に尽力した功労者をたたえる西日本スポーツ賞の平成17(2005)年度・第51回受賞者が決まった。
 アマチュア関係が、陸上女子やり投げの松本百子(ももこ)選手(18)=長崎・口加高校=、体育功労のウインブルドン九州テニスクラブ(佐賀市・緒方文江会長)、九州産業大学硬式野球部(福岡市)、中村学園女子高校バスケットボール部(福岡市)、福岡第一高校男子バスケットボール部(福岡市)。プロフェッショナル関係が、ボクシングの越本隆志選手(35)=福岡・Fukuoka=とサッカーのアビスパ福岡(福岡市)。今回は2個人と5団体で、いずれも初の受賞。贈呈式は21日、福岡市中央区天神の福岡国際ホール(西日本新聞会館16階)で行われた。


 松本選手は10月の国体で54メートル53のジュニア新、高校新をマークして優勝。全国高校総体との「2冠」を達成した。ウインブルドン九州テニスクラブは天然芝コートの面数としては日本一の16面を有し、ジュニア育成を図る大会を開催するなど、テニス界の発展に貢献している。


 九州産業大硬式野球部は11月の明治神宮野球大会で初優勝。バスケットボールの中村学園女子高と福岡第一高は、12月に開かれた全国高校選抜優勝大会で福岡県勢アベックVを飾った。


 越本選手は1月の世界ボクシング評議会(WBC)フェザー級タイトルマッチで王座を獲得。日本人選手の最年長世界王者記録を塗り替え、沖縄県を除く九州のジムからは初の世界チャンピオンとなった。アビスパ福岡は5年ぶりのJ1復帰を果たした。

仲間と磨いた心 郷土で鍛えた技
 ■今回の受賞者

【アマチュア・個人】
 ▽陸上    松本百子(長崎・口加高校陸上部)


【アマチュア・団体】
 ▽体育功労  ウインブルドン九州テニスクラブ

 ▽野球    九州産業大学硬式野球部


 ▽バスケットボール
        中村学園女子高校バスケットボール部

        福岡第一高校男子バスケットボール部


【プロフェッショナル・個人】
 ▽ボクシング 越本隆志(Fukuokaボクシングジム)


【プロフェッショナル・団体】
 ▽サッカー  アビスパ福岡

■アマチュア・個人■

▽松本百子(まつもと・ももこ)
 1987年12月17日生まれの18歳。長崎県加津佐町出身。瑞穂中時代はバスケットボール部に所属していたが、飛び入りで出場した砲丸投げの県中学大会で優勝した。口加高でやり投げを始める。5人兄姉の末っ子。趣味は読書と映画観賞。好きな言葉は「信じればかなう」。

●陸上 松本百子さん 高校女子やり投げ 総体、国体「2冠」

肩の柔らかさ武器


 大きな放物線は、何度もスタンドを沸かせた。8月の全国高校総体と10月の国体少年女子共通で「2冠」を達成。国体の54メートル53は、国内高校と日本ジュニアレコードを塗り替える日本歴代8位のビッグスローだった。松本は「受賞はうれしいです。お世話になった周りの方々に感謝したい」と喜んだ。


 身長170センチ台の大柄な選手が多いが、松本は160センチ。体格的なハンディを、天性の肩の柔らかさで補う。


 やり投げはよく弓矢に例えられる。勢いよく矢を放つには弓のしなりがポイント。肩のしなりも同様に爆発的なパワーを生み出す源になる。これを武器に、国内トップクラスの50メートル超えを連発した。

 卒業後は、地元の福祉施設で働きながら林田義博コーチの指導を引き続き受け、さらなる高みを目指す。「この町が好きだし、地元の皆さんを喜ばせるような活躍をしたい」。師弟コンビは3年後をめどに、61メートル15の日本記録更新を狙っている。


●“やり投げの町”へ


 最初に彼女を取材したのは2年前、島根県での全国高校総体だった。最終投で3位を決めた。県大会、北九州大会とも3位に終わっただけに、喜びの声を想定していたら意外な言葉が返ってきた。「ウーン、納得いきません。まだまだ、これからです」


 それから1年後。彼女にとって投げるたびに記録を更新する大ブレークのシーズンとなった。前年のあのときのコメント“まだまだ、これから”は本当だった。


 家政科を専攻。「おじいちゃん、おばあちゃん大好きなんですよ」。実習で訪問するお年寄りの施設でも人気者だ。


 夢は五輪で日の丸を揚げること。「私が活躍して“やり投げの町”にしたい」。彼女が住む口之津を含め8町が合併し、3月末に誕生する南島原市を有名にするつもりだ。 (山上 武雄)

■アマチュア・団体■

▽ウインブルドン 九州テニスクラブ
 天然芝コート9面と全天候型ラバーコート2面で1975年にスタート。現在は天然芝コート16面、砂入り人工芝コート3面、室内コート2面の計21面が、約2万平方メートルの敷地に広がる。管理に細心の注意が払われている天然芝コートでは1年中プレーが楽しめる。佐賀市金立町千布3907。

●ウインブルドン 九州テニスクラブ 30年以上、天然芝コートで選手育成

家族で守る「聖地」


 1975年に天然芝コートを有する民間のテニスクラブとして設立して以来、増設されてきた天然芝コートは現在、面数としては日本一の16面を誇る。


 芝独特の緑、香り、ボールの弾み方、足腰に優しいクッション性…。年間約7000人の利用者は、五感全部を使ってコートを堪能。テニスの聖地・ウィンブルドン(英国)にも負けない芝の状態を維持し、プレーヤーに感嘆の声を上げさせる。


 世界への登竜門、全日本ローンコートテニス選手権が2001年まで25回開かれ、伊達公子や杉山愛らも出場した。昨年からは13歳以下の各県選抜選手が集って腕を競い、心構えやマナーを学ぶ「グラスホパー(バッタ)全国ジュニアテニスin佐賀」を開催。「芝生からバッタが飛び出すように羽ばたいてほしい」と緒方文江会長(79)は願う。

 創設者の緒方勝徳(まさのり)氏が8年前に亡くなり、夫人の文江会長、長女のうらら支配人(59)、長男の東副支配人(55)、二男の周代表(52)と、家族で運営を引き継いだ。「芝生文化を広め、ウィンブルドン出場選手の育成」という先代の遺志を施設とともに守り続けている。


●驚きの地下通路


 創設者の緒方勝徳氏(故人)は、さまざまな顔を持った方だった。医師で精神科神経科の保養院の院長。陸上の十種競技の選手として活躍し、佐賀の有力選手を寄宿させ鍛え上げた。ゴルフも愛した。


 長女のうららさんと二女の佳草(かぐさ)さんが小学生から始めたテニスで全日本選手に成長したこともあり、その魅力に引き込まれた。「目指せウィンブルドン」。ウインブルドン九州テニスクラブは設立された。創設者の器の大きさを忍ばせるものが、クラブハウスと室内コートを結ぶ地下通路だろう。暗さに目をならすために、わざわざ造った。医師として保養院の後も継いだ周さんは「父らしいびっくりさせる装置です」。


 経営的には厳しいそうだが、残された一家で守る。会費を出して運営を支える“ファンクラブ”もできた。天然芝コートには、趣だけでなく、家族のきずなの強さがあふれている。 (手島基)

▽九州産業大学硬式野球部
 1960年創部。福岡六大学リーグでは昨秋まで優勝28回を誇る。現在の大久保監督は2002年春に就任。主なOBに島田誠(福岡ソフトバンク守備・走塁コーチ)、大畑徹(元日本ハム)、青木和義(元西武)らがいる。福岡市東区松香台2―3―1。

●九州産業大学硬式野球部 明治神宮大会で初の日本一

自主性伸ばし快挙


 神懸かり的とも言える力を発揮し、昨秋の明治神宮野球大会で念願の日本一を達成した。3試合すべてで1点差勝ち。大久保哲也監督は「ありがたいという気持ちと同時に驚きました。3年生以下の選手にとっても励みになる」と、初の受賞に表情を崩した。


 初戦の2回戦を2―1でサヨナラ勝ちすると、続く準決勝は1―0。東北福祉大との決勝はエース佐伯が8回を1失点でしのぎ、2―1と競り勝った。明治神宮大会出場を決めた九州大学選手権決勝から実に4戦連続の1点差勝ち。驚異の粘りで頂点に立った。


 選手の自主性を尊重する大久保監督の指導が花開いた。初采配(さいはい)だった2002年春は、開幕5連敗が響いて4位。「技術向上で野球の面白みを覚えさせれば、放っておいてもうまくなる」。当時の屈辱の黒星街道から全国制覇に導いた裏には、指揮官の強い信念があった。


 23日から長崎市内でキャンプに入る大久保監督は「全国には強いチームがあるし、九州にも力のあるところはある」。まずは今春のリーグ戦優勝で2年連続日本一への足掛かりを築く。


●恐れ入りました


 恐れ入りました、と言うしかない。地元チームへの思い入れは十分にあったものの、わたしにとって、九産大の全国制覇は全くの“想定外”。全国舞台で演じた3試合連続1点差勝ちは、当方が感じた以上に、ナインが成長していた証しでもある。


 神宮ではドラフト注目選手を擁したチームを次々に撃破。初戦でエース佐伯がソフトバンクも注目する近大・大隣に投げ勝てば、決勝では自由獲得枠で巨人入りした好投手の福田から逆転の2点をもぎ取った。


 言い訳がましいが、大会前に九産大を優勝候補に挙げた報道に接したことはない。そんな“無印チーム”が演じた初の全国制覇は、練習はもちろん、スカウティングにも精力的に飛び回る大久保監督をはじめ、選手や関係者の努力のたまもの。頭が下がる思いです。 (岡田智広)

▽中村学園女子高校バスケット部
 1968年に同好会として発足し70年に部に昇格。93年の全国高校総体で初優勝。91、95年の2度、全国高校選抜優勝大会を制した。2004年は国体で初優勝。学校創立は60年、05年には剣道部が玉竜旗高校剣道大会で初優勝。福岡市城南区鳥飼7―10―38。

●中村学園女子高校バスケット部 10年ぶり3度目の全国選抜大会優勝

エリート集団結束


 昨年12月の全国高校選抜優勝大会決勝で強豪の桜花学園(愛知)を76―71で破り、10年ぶり3度目の優勝を果たした。1974年から指導を続ける吉村明監督は「受賞はとても光栄なこと。うれしく思います」と笑顔を見せた。


 レギュラーメンバー5人のうち4人が、中学時代に全国大会で優勝や準優勝を経験したエリート集団。だが、昨年8月の全国高校総体では8強、10月の国体では準優勝に終わった。


 その悔しさが歓喜の原動力だった。3年生が進んで昼休みのシュート練習を続け、技術と精神面の強化が奏功。準々決勝で、全国高校総体と国体2冠の東京成徳大高(東京)に80―77で競り勝って勢いに乗った。準決勝は札幌山の手(北海道)を80―64で破り、決勝では日本代表のエース藤吉佐緒里(3年)とU―18日本代表のセンター森ムチャ(2年)が活躍した。


 「体とマンツーマン態勢をつくり直して頑張れば、連覇も決して夢ではない」。吉村監督は次の戦いを見据える。


●中山主将の力 大きい


 準々決勝の東京成徳大高戦の後、中村学園女子の中山主将の目は腫れていた。高校最後の昨年末の選抜優勝大会。高校総体、国体に続く3冠を狙った相手に劇的な逆転勝ちした後、歓喜の涙で腫れたのかと思った。ところが「前夜から涙が止まらなくて」。極度の重圧に苦しんだことを、笑顔で打ち明けてくれた。


 先発5人のうち中学時代に4人が全国V、1人が準Vを経験。「高校では優勝して当たり前の雰囲気。現実は違った」と中山主将は振り返る。昨年の国体決勝は東京成徳大高に惜敗。後がなくなり、3年生が自主的に居残り練習を行った。エリート集団に欠けていた結束力の高まり。中山主将は手応えを感じていた。


 「言い合いもしましたね」。10年ぶりの優勝はエリート集団をまとめきった、中山主将の力が大きかった。 (堀川敏毅)

▽福岡第一高校男子バスケット部
 1994年に創部され、昨年度はインターハイ初優勝を果たした。同年度初出場の高校選抜はベスト8だった。56年創立の私立共学校で、現在の生徒は2200人。福岡市南区玉川町22―1。

●福岡第一高校男子バスケット部 全国選抜大会を初制覇

“エース頼み”脱却


 身長2メートルを超える2人のセネガル人留学生、ディアン(3年)とサー(同)の爆発力と、持ち味の「堅守からの速攻」の両輪がうまくかみ合い、男子の全国高校選抜優勝大会で初優勝を飾った。


 昨夏の全国高校総体はベスト4。井手口孝監督は手応えを感じながらも、主将の堺(同)ら主力をしかった。「戦っているのはディアンと(1年生レギュラーの)並里だけだ」。それからはディアンがいない側のコートからの攻撃を多用するなどして“エース頼み”からの脱却を図り、ディアンも練習では率先してディフェンスに回り、長身相手のシュート技術向上に貢献。全体の戦力は着実にアップした。


 まだ創部12年目。部の歴史は、体育館の床にこびりついたガムを削り取ることから始まったという。全国屈指の強豪となた今でも「基本は掃除」。1日3回の体育館内外の清掃を欠かさない。


 今年は総体、国体、選抜の「高校3冠」が期待されるが、井手口監督は「レベルの高い福岡を勝ち抜くことが、まず難しい」と、チャレンジャー精神を強調する。


●情熱と信念のタクト


 恥ずかしながらバスケットボールの取材は記者生活13年目で初めて。それが全国高校選抜大会初制覇の福岡第一だった。一から十まで聞く私の“ド素人”な質問にも、井手口監督は笑みを絶やさずに答えてくれた。


 セネガル人留学生の受け入れに賛否両論あったのは事実。負けた高校の指導者が公然と福岡第一を“批判”する光景も目にした。それでも井手口監督は「留学生の力は大きいが、それだけで勝てたわけじゃない。全員で汗を流した証し」と一丸の勝利を強調した。


 大会中、井手口監督はある験担ぎをしていた。下着やハンカチなどをすべて緑色で統一。「グリーンは学校のカラー。優勝のチャンスなんて簡単には巡ってこないし、ここまで来たらなんでもする」。情熱と信念のタクトで、高校バスケット界に新風を吹き込んだ。 (西口憲一)

■プロフェッショナル・個人■

▽越本隆志選手
 1971年1月5日生まれの35歳。福岡市東区出身。176センチ、左アウトボクサー。Fukuokaジム(福岡県福津市)所属。92年9月プロテスト合格。2000年1月の世界初挑戦は9回KO負け。01年9月にフェザー級太平洋王座を獲得し7度防衛。戦績は42戦39勝(17KO)1敗2分け。

●越本隆志選手 35歳で日本人最年長世界王者

父とつかんだ頂点


 1月29日、日本スポーツ界に金字塔を打ち立てた。WBCフェザー級タイトルマッチでチャンピオンの池仁珍(韓国)を2―1の判定で破り、35歳24日の日本人最年長で王座を獲得。沖縄県を除く九州のジムからは初の世界王者となった。「今回の受賞を励みに前進あるのみです」と笑みを浮かべた。


 2000年1月、23勝2分けの無敗で世界に初挑戦したが、フレッド・ノーウッド(米国)の強打にはね返され、9回KO負け。巻き返しを誓ったが、同年11月に右肩けん盤を断裂した。「手術すれば試合復帰までに1年かかる」と医師に告げられ、悩んだ末に、はり治療などで再挑戦の機会をうかがうことにした。


 昨年10月には対戦を前提に進めていた交渉がまとまらなかった。それでも腐らずに待った。6年ぶりの世界挑戦が決まると、運営費などは地元の宗像青年会議所が入場券販売で協力。周囲にも支えられ、男泣きした。


 昨年暮れ、ボクシングを始める決意を父の英武・ジム会長と交わした福岡市城南区の油山を20年ぶりに駆け上がった。温めてきた世界への思いをぶつけた。


●おやじ、ありがとう


 4回戦ボーイに終わった父、英武会長が息子に託した「世界チャンピオン」の夢。多感な高校生は押しつぶされた。


 卒業すると何も告げずに家を出た。ボクシングが嫌いになったわけではない。ただ、常にジムの会長でもある父と過ごす毎日に息苦しさを感じた。“逃亡先”は、戻ろうと思えばいつでも帰れるほどの場所。「今度やるからには世界を取るしかない」。覚悟を決めるまでに2年8カ月かかった。ふらりと戻った越本に英武会長は「元気やったか。もういっぺんやらんか。ゆっくりいこうやないか」とだけ言った。


 再び、固いきずなで結ばれた2人。世界チャンピオンがコールされた越本がしがみついて泣いた。「おやじ、ありがとう」。父はうれしそうに言った。「あの子が抱きつくなんて思わなかった」。今度は父子で防衛戦を紡いでいく。 (田中玲子)

■プロフェッショナル・団体■

▽アビスパ福岡
 1982年に静岡県藤枝市で創設された「中央防犯ACMサッカークラブ」が前身。誘致活動を受けて94年に福岡市に本拠地移転。「福岡ブルックス」が誕生した。96年、Jリーグに参戦しチーム名を「アビスパ福岡」に改称。2001年にJ2降格したが、05年にJ2で2位となり、5年ぶりにJ1に復帰した。

●アビスパ福岡 5年ぶりにJ1復帰

敗北が変えた意識


 2005年11月23日、5年ぶりのJ1復帰を決めた。試合終了が告げられた博多の森球技場に雄たけびが響いた。選手、スタッフ、サポーター…。アビスパ福岡にかかわるすべての人の辛抱と苦労が凝縮されていた。


 J2降格初年の02年はベテラン勢を残して戦い8位。クラブは若手育成路線へと方向転換し、今季も指揮を執る松田浩監督を迎え入れた。  「若いが可能性のある集団」。当時、そう感じたという松田監督は、プロとしての自覚を植え付けることから始めた。


 03年は4位。04年は3位に入り、柏(当時J1)との入れ替え戦に進んだが、2敗とはね返された。「限りない敗北感が、選手たちの意識を自然と変えた」と松田監督は振り返る。


 昨季は試合巧者ぶりも見せつけて堂々の2位だった。「復帰元年」の今シーズンは、昨季C大阪で優勝争いをしたベテランのMF布部、地元福岡出身のDF金古らを補強。3年間かけて築き上げた戦術をベースに、一けた順位を狙う。


●九州パワーでV争いを


 エコロジーの世界で注目されている「もったいない」。アビスパもようやく、本腰を入れて有望な地元九州の人材獲得へ動き始めた。「宝物が近くにあるのに、掘らないのはもったいない」。アビスパの長谷川治久副本部長(強化系担当)は力を込める。


 目指すのはバスク地方出身者だけで編成するスペイン最古のクラブ「ビルバオ」。今季は所属33選手のうち九州出身者が19人いるが、究極の目標は九州ローカル一色の「日本のビルバオ」だという。今季予算はJ1で下から2、3番目の約17億円。大物獲得のマネーゲームには参加できない。中学、高校、大学と連携しながら発掘し育てていくのは当然の流れだ。


 「2008年から2010年ごろ、九州で蓄えた力で優勝争いをしたい」と長谷川副本部長。復帰元年は大いなる第一歩となる。 (森竜太郎)