西日本新聞
ニュース > アジアと九州 > アジアを歩く 元日本人の物語・台湾 スポーツ  ■ バナ天+α
 日本統治下、台湾南部の阿里山に、日本人以上に日本人になろうとした男がいた。勇猛果敢な先住民、鄒(ツォウ)族に生まれた矢多一生(本名ウオン・ヤタウヨガナ)。村の教師兼巡査から政治指導者となった矢多は、日本語で歌曲をつくる非凡な才能の持ち主だった。非業の死から半世紀。再評価が始まった矢多は、どんな思いで人生を燃焼させたのか。その軌跡を求めて阿里山を訪ねた。
 (台北・竜口英幸)

  <1> 反乱罪の濡れ衣で非業の死 
       半世紀経て復権の動き
2004.08.10掲載

 
日本の言語学者が撮影した矢多一生さん(台北市・南天書局提供)

 阿里山国家風景区の西部、急斜面を高山茶の緑が覆う山の中腹に、達邦村はある。山地とはいえ、真夏の強い日差しが肌をさす。村の入り口では、伝統衣装姿の男女の像が迎えてくれた。道路の側壁に延々と描かれた狩りや祭りの絵画群は、ここが華人文化とは異質な、先住民集落であることを実感させる。

 のどかな村に今春、ベートーベンの交響曲「運命」第二楽章が流れた。谷底を流れる渓流、曽文渓から沸き上がる霧のように、盛り上がっては静まる調べは、矢多が遺言で「死後聞きたい曲」にあげたものだ。

 五十回忌の節目の式典。矢多の二男、高英傑(64)は日本語で墓前にこう語りかけた。

 「お父さん、ベートーベンの音楽ですよ。大好きなビールを飲みながら聴いてください」

 国民党政権下、矢多は名前を漢人風に高一生と改めた。姓の「高」は、先住民を総称した「高砂族」からとった。高砂族きっての〓英(エリート)という意味だ。戦後、呉鳳郡(現・阿里山郡)の郡長に任命され、対外的にツォウ族を代表する地位に就く。

 
台湾南部、阿里山中心部の山並み
 が、この栄誉が悲劇へと暗転する。一九五四年四月十七日、スパイをかくまったでっち上げの罪で銃殺処刑されたのだ。享年四十六。村人へは「矢多の家族と行き来すると銃殺」と宣告。四十年近い戒厳令下、矢多をめぐる史実は封印された。
 しかし、民主化の進展に伴い闇に光が差す。ロシアの東洋学者、ニコライ・ネフスキーが、矢多の協力を得て書いた「台湾鄒族語典」の中国語訳本が九三年に刊行され、ツォウ族文化や矢多の業績が脚光を浴びた。翌年には雑誌「台湾文芸」が矢多の生涯や詩歌を特集。ツォウ語の学習教材も刊行され、矢多の音楽会や学術講演会も開かれるようになった。

 そして今、行政院(内閣)は、矢多がいち早く提唱した先住民の自治構想を具現化するため、「原住民族自治法」「原住民族基本法」という二つの法律を策定中だ。台湾先住民の歴史は転換期に立つ。が、台湾社会の先住民差別は根深く、「運命」の楽曲がふさわしい矢多の生涯は、台湾民衆の心の扉をまだ開かずにいる。 (文中敬称略)

 ▼高砂族 昭和天皇が皇太子時代の1924年に訪台されたおり、山地先住民の総称として提案されたと伝えられている。台湾の先住民は現在、12部族に大別され、人口約44万人。ツォウ族は阿里山一帯に暮らし、約5400人。


 矢多が創作した歌曲は、十数曲が現存。美しく悲しい旋律、ツォウ族の伝統による力強い響きが特徴だ。

●矢多が創作した歌曲
※下の曲名をクリックすると曲が流れます
▼1曲目=長春花
▼2曲目=登山列車
▼3曲目=春之佐保姫I
▼4曲目=移民之歌I



Copyright 2004 The Nishinippon Shimbun.All rights reserved.
掲載記事・写真の無断転載はできません。すべての著作権は西日本新聞社に帰属します。
ネットワーク上の著作権については新聞協会の考え方を御参照ください。media@nishinippon.co.jp
西日本新聞