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| 残照のマッキンリーをフォーレイカーのキャンプからのぞむ。下方にはクレパスが大きな口を開いている |
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| フォレイカーの尾根には、私の足跡を追うように、ワタリガラスの歩いた後が点々と― |
「ドーン」「ゴーッ、ゴーッ…」
ジェット機の爆音のようなとどろきが、山々にこだました。今年一月、アラスカ第三の高峰、フォレイカー(米国アラスカ州、五、三〇四メートル)に入山した私が直面した、落差二千五百メートルにもおよぶ大雪崩。カヒルトナ氷河まで落下した雪崩は、少しも勢いに衰えを見せず、雪原を三キロも突進した。
山頂直下の氷河が絶壁の縁に押し出され、亀裂の入った氷塊の一部が突然くずれ落ちたのだ。幸運にも雪崩のルートから一キロ離れたフォレイカーの尾根にいた私は、身のすくむ思いをしながらも、雪まじりの突風を浴びただけで済んだ。
氷河は、極地や高山の万年雪が上層の積雪の重さで氷塊となり、低地に向かってゆっくりと移動する、まさに“流れる氷の河”。アラスカには大小約十万もの氷河があり、総面積はアラスカ全土の5%。日本の国土の20%に相当し、今も活発な動きを見せている。
アラスカ山脈の北側を流れるピーターズ氷河では、最近、大きな流動現象が起きていた。一九八六年から八七年の冬にかけて、氷河の一部が五・六キロも急速に流れ出し、大地を陥没させたり隆起させたりしたのだ。このような現象を含めて氷河の活動は、気候変動と密接な関係があるといわれている。
アラスカの氷河流出を早めている一因に、気候の温暖化がある。例えば、プリンスウィリアム湾に流れ出ているコロンビア大氷河では、十二年前には一日一―二メートルだった流出速度が、平均気温の上昇に伴い、今では同七―十メートルまでスピードアップ。一日の最高流出量は以前の五倍、二千万トンにも達している。
これは氷河が短くなることを意味し、「氷河の後退」と呼ばれる現象だ。現在、アラスカ山脈も含め、アラスカの大部分の氷河は少しずつ後退している。
氷河の流動によって生じる深い裂け目「クレバス」は、口を開いて常に登山者を待ち受けている。なかでも雪や氷で覆い隠されたヒドンクレバスは、登山者から見分けにくいため、もっとも危険な存在だ。
九九年四月、フォレイカーからの下山途中、私は不注意でヒドンクレバスに落ちてしまった。下山に備え立てた目印の旗ざおで、クレバスの位置はほぼ見当がついていた。が、五十日前にわずか十センチだったクレバスの幅が、百二十センチにまで広がり、予想以上に氷河は流動していたのだ。
旗ざおが残っていたことで私は安心し、そして油断した。雪面に突き刺していたヒドンクレバス探知用のストックが、旗ざおの手前で、ズブッと入った。「えっ?」。思った瞬間、そのまま、一気に落ちた。深さ約一五メートル、クレバスが狭くなった所で止まった。
心の動揺を抑え、負傷している太ももにリュックのフレームを副木として当て、テーピングで固定。はい上がるため、持っていた装備や食糧など約四十キロの荷物のうち、半分を処分した。残りの荷物は後で回収できるようロープをつけ、何も背負わずに氷の壁をよじ登った。手をいっぱいに伸ばしてアイススクリューをねじ込み、それにロープを結んで身体を確保しながら、ピッケルを打ち込んでずり上がった。
奮闘、およそ二時間。氷の闇から脱出したとき、自分が授かった「強運」に、涙せずにはいられなかった。
氷河の後退で、そこに足を踏み入れる人間にとっては、ますます危険度が高まっている観のある冬のアラスカ山脈。生の営みを寄せ付けない極限の環境―そんな私の意識を覆すのは、どこからともなく飛来するワタリガラスだ。
「コロン、コロン」とのどを鳴らすワタリガラスは、ヨーロッパ、アジア、北アメリカなどに分布する大型のカラスの一種。インディアンをはじめアラスカ先住民たちの創世神話では、この世を作った創造主として語り伝えられている鳥である。ちなみに神話のなかの私たち人間は、ワタリガラスがこの世界に作り上げた不完全な創造物の一つだという。
アラスカ登山では、きまってワタリガラスを見かける。特に今年は、私の足跡に沿って、ワタリガラスのつめ跡が雪面に続いているのが分かった。フォレイカーの尾根で荷上げをしていた私は、一羽のワタリガラスに追跡されていたのだ。
私が休憩した場所では、腰をおろした跡や足跡が多いためか、ワタリガラスが丹念にくちばしでつついた跡も残っていた。きっとワタリガラスは、そこに私が食糧を埋めたと思い、えさを探していたに違いない。九六年のフォレイカー登山では、私のミスから五日分の食糧をワタリガラスに食べられてしまうという苦い経験がある。厳冬のアラスカ山脈は、酸素が地上の約三分の一から三分の二、気温は氷点下五〇―六〇度まで下がる世界。いったい、あのワタリガラスはどのように寒さをしのぎ、生き延びているのか…。彼らの生命力のしたたかさ、どん欲さに脱帽する。無機質な高山の氷河地帯で「生命あるもの」は、このワタリガラスと私だけだった。
▼文と写真/栗秋 正寿
▼くりあき・まさとし 1972年、大分県日田市出身。15歳で山歩きを始め、福岡県立修猷館高、九州工業大で山岳部に所属。98年3月、北米最高峰・マッキンリー(6、194メートル)の冬季単独登頂に成功。下山後、リヤカーを引きアラスカ縦断1400キロの旅を敢行する。昨年12月から今年4月に8回目のアラスカ登山に挑んだ。著書に「アラスカ垂直と水平の旅」(山と渓谷社)。
インターネットホームページ=http://japanesecaribou.com/
2002/11/05 付 朝刊