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| ドブソン分光光度計を使って南極上空のオゾン量を観測する上野圭介隊員 |
一辺二十センチほどの四角い天窓を開け、細長い筒状の機器の先端部を、屋根の上へ突き出す。粉雪交じりの寒風が、ヒューッと吹き込んでくる。機器のセッティングを終えると、スイッチ、オン。観測が始まる。
三百六十五日、二十四時間態勢で南極一帯の気象情報収集を続けている、昭和基地の気象棟。第四十三次南極地域観測隊、気象班五人のうちの一人、上野圭介隊員が、その機器「ドブソン分光光度計」のとらえた観測データを解析した結果が映し出される、パソコンモニターに目を凝らす。
上野隊員らが刻々とにらんでいるのは、南極上空のオゾン層。オゾンは、酸素原子が三個結びついた気体分子。成層圏(上空十―五十キロ)で層を成し、太陽から降り注ぐ有害な紫外線から、地球上の生物を守る役割を果たしている。
このオゾン層が破壊されて生じるのが、オゾンホール。日本の南極観測隊が一九八二年、世界で初めて、南極上空の成層圏で確認して以降、ホールの面積は、一進一退を繰り返しながらも拡大傾向にある。
私が今回の取材で南極に到着する約三カ月前、二〇〇一年九月十七日。観測史上三番目の大きさなる、二千六百四十七万平方キロメートル(南極大陸の一・八倍)もの広さのオゾンホール出現が、各国の観測基地からの報告で明らかになっていた。
「とにかく、太陽のぎらつき具合が異常でした」。当時、昭和基地にいた第四十二次隊の池田友紀子隊員も、気象棟で観測しながら、過去最大規模の巨大ホール出現を確認した一人だ。
紫外線の直撃を受けた人体は、皮膚がんにかかりやすく、免疫機能も低下してしまう。建物から外に出るときは、サングラス、ヘルメット、手袋を身につけ、防御を固める。
どうしても露出が避けられない顔には、強力な日焼け止めクリームを塗る。それでも「日差しを浴びただけで、肌がヒリヒリした」という。
それに先立つ六月ごろには「この世のものとは思えない赤さ」(同隊員)の朝焼け、夕焼けが、南極の空を焦がした。
南極の六月は、氷点下三〇度まで冷え込む冬のただ中。極域を取りまく強大な気流の影響で、上空十キロ付近にあたる下部成層圏の気温は、氷点下九〇度近くまで急激に低下。大気中の硝酸や水蒸気の微粒子は、オゾンを破壊する要因ともなる「極成層圏雲」と呼ばれる雲をつくり出した。
異様な朝焼け、夕焼けの正体は、その雲が太陽の光を散乱させた結果。広大なオゾンホール出現の前兆でもあったわけだ。
さて、オゾンホール、と、いっても、大気中にぽっかりと穴が開いているわけではない。
ただ、オゾンの破壊が進み、その量が著しく減少すると、オゾン層が極めて希薄な場所ができる。その部分が、比ゆ的に「ホール」(穴)と呼ばれているのだ。
だから、上野隊員らの観測もオゾンの量に着目している。それは「厚さ」で示され、この日の観測結果は「正常の範囲内」に当たる三百ミリアトムセンチメートル(三ミリに相当)という。
首をかしげると、「頭上に、厚さ三ミリのオゾンの板があると思ってください。その板が紫外線から私たちを守ってくれるんです。それが二・二ミリより薄くなった状態が『オゾンホール』です」
なるほど。これならよく分かる。
オゾンの破壊は、冷蔵庫やエアコンの冷却剤として使われていたフロンガスが元凶。地球の人口が集中する中・低緯度地域で排出されたフロンは、地球規模の大気の循環で極域に集められる。
八七年に採択されたモントリオール議定書では、フロンなどオゾン破壊物質の生産全廃に向けたスケジュールが規定された。
ただ、フロンが地上から下部成層圏に達するには十年かかるという。議定書が順守されても、過去に排出されたフロンの作用が消え、オゾン層が元の状態に戻るのは五十年先とみられている。
隊員たちは言う。
「私たちは、地球が本来の姿に戻ることができるのか、監視するのが仕事です」
●春の陽光が反応活性化 6―8月が冬となる南極では、いわゆる「白夜」とは正反対の、全く太陽の光が差し込まない「極夜」が訪れる。
これに伴う気温の急激な低下が発端となり、下部成層圏の気温が氷点下七八度に達したとき、生み出されるのが「極成層圏雲」。フロンガスは、地球規模の大気循環で極域に集められる過程で、さまざまな塩素化合物に姿を変え、この雲の表面に付着・蓄積される。
その後、南極に春が訪れると、蓄積された塩素化合物は太陽の熱で活性化し、塩素原子と別の化合物に分離。この塩素原子が大気中のオゾンと化学反応を起こして結合し、通常、九―十一月にかけて、オゾン破壊が進むという。
オゾンホールの形成を防ぐには、今のところ、フロンガス排出を抑えるしか手だてがない。しかし、最近の研究では、極域に出現するオーロラによって生成される窒素化合物が、オゾンと塩素原子とが結びつくよりも先に塩素原子と反応し、オゾン破壊を抑止する効果があるのではないかともみられている。
▼文と写真/重川 英介
2002/06/25 付 朝刊