マニラの悲劇 原爆正当化のための合本命令

写真
「長崎の鐘」をはじめとする永井隆の一連の著作
写真
連合国軍総司令部が置かれた第一生命館 =東京・有楽町(第一生命提供)
 「長崎の鐘」の出版を許可するか、あるいは発禁とするか―。連合国軍総司令部(GHQ)から最終判断を求められたワシントンの陸軍省は「ある命令」を日比谷出版社に伝えた。それを明らかにする前に、「長崎の鐘」の内容をもう少し詳しく吟味したい。
 「長崎の鐘」は原爆の惨状を克明に描き日本人の米国への反感をあおる恐れがあった。しかし、GHQにとって発禁にするには惜しい内容だった。なぜか。カトリック信徒永井の原爆観が対日政策上、極めて都合の良いものだったからだ。永井は「原子爆弾が浦上に落ちたのは大きな御摂理である。神の恵みである。浦上は神に感謝をささげねばならぬ」と書いている。GHQ検閲官の報告書には「長崎の鐘は原爆を地震や噴火といった天災のように描き、政治問題ととらえていない」とある。
 「原爆は神の恩寵(おんちょう)」という永井の言説は米国の投下責任をそらすうえで利用できる、出版は許可すべし―との判断がGHQ内部で大勢となっていった。このころ永井はすでに「ロザリオの鎖」「この子を残して」でベストセラー作家となっていた。GHQの内部文書には、「長崎の鐘」もベストセラーになるだろうとの見通しまで記されている。反原爆感情を和らげ、占領政策を円滑に進める上からも日本人の手にとらせたい一冊だったのである。
   ■    □
 異例の長期検討が続けられた。その結果、下されたのは―出版は許可する。ただし本の中に「マニラの悲劇」を所収しなければならない―。これが「ある命令」だった。 
 「マニラの悲劇」とは何か。太平洋戦争末期に日本軍がフィリピン・マニラで住民やカトリック教徒たちに行ったとされる大量惨殺の記録をGHQ諜報(ちょうほう)課がまとめたものである。その序文には次のような記述がみえる。
 「(マニラでの日本軍の蛮行は)四百年前、長崎・島原においてキリスト教徒が受けた苦痛をしのぐ」と日本のカトリック弾圧の歴史を引き合いに出したうえで、「この無差別な殺傷行為を止め、戦争を終結させるために、米国と全世界とが原子爆弾を使用せざるを得なかった所以(ゆえん)である。かくすることにより、彼らは日本およびその他の国々における無数の人命を救うことができたのである」
 全文百三十ページ。これが「長崎の鐘」(百九十ページ)の後半に「特別付録」として付けられており、性格の異なる二つが無理やり抱き合わせにさせられている。米国の意図は明白だった。つまり、広島、長崎への原爆投下はアジア各地で日本軍が行った残虐行為に対する正当性を持った報復行動であることを「マニラの悲劇」を通じてアピールしようとしたのである。
 日比谷出版社は当初「マニラの悲劇」との合本に躊躇(ちゅうちょ)した。しかし、GHQの「命令を拒否すれば会社をつぶす。ただし、出版に応じれば紙を提供する」との脅しと懐柔を呑(の)む以外に選択肢はなかった。日比谷出版社の専務だった式場俊三(社主・式場隆三郎の実弟)は「私たちはGHQの合本命令に応じる気はなかった。しかし、一方で永井さんは余命いくばくもなく、存命中に是が非でも『長崎の鐘』を世に出したいと願っていた。そこで永井さんにGHQの命令を伝えると“いいですよ、いいですよ”と了解してくれた。それで出版が最終的に決まったのです」と言う。
 また「紙不足にもかかわらず『長崎の鐘』だけは用紙提供が当局から保証されていた」とも証言する。「長崎の鐘」に対するGHQの強いテコ入れが浮かび上がる。「長崎の鐘」はこうした経緯の末に出版が内諾されたのである。
   ■    □
 連絡を受けた永井は四八年六月、式場隆三郎に速達を出す。
 四九年一月、「長崎の鐘」は脱稿から実に二年半の歳月を経て世に出た。初版四万部。即日完売する書店も出た。一月二十五日、永井は喜びの手紙を日比谷出版社に書く。
 そして「マニラの悲劇」との合本については次のように「謝辞」をつづっている。
 「マニラの悲劇」と抱き合わせになった「長崎の鐘」は計十万部出版された。この十万部が日本人の原爆観や戦争観にどのような影響をもたらしたか、あるいはGHQの狙いが功を奏したかどうかは定かではない。ただ一つはっきりしていること―。それはこの一冊によって永井が「国民的ヒーロー」「原子野の聖者」にまで押し上げられたことであった。
 (文中敬称略)

[2004/08/05]


Copyright 2003 The Nishinippon Shimbun.All rights reserved. 
掲載記事・写真の無断転載はできません。すべての著作権は西日本新聞社に帰属します。
ネットワーク上の著作権については新聞協会の考え方を御参照ください。media@nishinippon.co.jp
西日本新聞