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2005年01月09日 ●家族で料理店経営 原田昌代さん |
三人の娘と、福岡市東区和白東で料理店を切り盛りする原田昌代さん(62)。かつては、温泉旅館を営む夫の実家で両親と同居し、仕事を手伝ったが、一家で実家を去り、七年前に開店した。振り返れば、店の自慢は、間違いなく、亡き義母、「津ねえ」さんから受け継いだ料理の味だ。厳しかった津ねえさんの温かさも、今はしっかりと、かみしめることができる。「家族は(どんなことがあっても)きっとつながっている」。昌代さんはそういう。 (文化部・田中良治) 開店前の午前、料理店「母さんの料理 花こころ」の調理場では、かっぽう着姿の昌代さんが、二女の川崎節子さん(36)がつくった汁ものの味見をしていた。 「ちょっと、味が薄くないね」。昌代さんはさっと自家製みそを取り出し、鍋に加える。店では、節子さんら娘たちも調理をするが、最後は必ず昌代さんが味を調える。 福岡県古賀市で夫の実家の旅館を手伝っていたころに覚えた味を受け継いでいる。義母の津ねえさんの「薄味だが、しっかりした味」が、今の料理の土台であり、目標でもある、と昌代さんは思っている。 長女の中島由紀さん(38)はいう。「『味は、体で覚えなさい』が母の口癖。味が分からなくなるから、少し風邪をひいただけでも怒られる」 夫の成己さん(60)とは昌代さんの古里・北海道で知り合った。結婚は最初、津ねえさんら実家の人たちに反対された。 当時、義父母は、長男夫婦らと家族で温泉旅館を営んでいた。家業を手伝うことになる二男成己さんの嫁は自分たちで選びたいと思っていたようだ。 嫁いできたばかりの昌代さんに、義母の津ねえさんは厳しかった。仕事の要領が分からず戸惑っているとき、「働かざる者、食うべからず」と言われたこともあった。一番早く起きて家族のご飯を炊き、昼間は、子どもを背負って旅館の皿洗いから部屋の掃除まで、さまざまな仕事をこなした。 津ねえさんに認めてもらいたくて、旅館の吸い物や煮付けの味付けを見よう見まねで必死に覚えた。ある日、津ねえさんから、「昌代さんの料理はおいしかなー。味見せんでも安心して食べられる」と言われ、心が弾んだのが忘れられない。 嫁いで十年が過ぎたころ、夫や娘たちと相談して夫の実家を一家で離れた。認めてもらえた、という実感が持てなかった。 今はこう思う。「義母が私に厳しかったのは、『旅館の嫁』としてしっかり育てたかったのでしょう。以前は考えもしなかったけど、私も義母のようになりたいと頑張っていたと思う」 公務員として多忙な毎日を送ってきた成己さんは昨春、定年退職。週に二回、実家の畑でつくる野菜を採り、温泉をくんで、料理用に持ってきてくれる。 娘たちも料理の腕をあげた。最近は、昌代さんが味を調える回数は減ってきた。メニューの幅も広がっている。孫もときどき店に遊びに来て、娘たちの働く姿を見つめている。 親から子へ、受け継いでいく大切なもの。それは、懸命に働く親の姿であり、それが心の中の「つかまりどころ」になると、昌代さんは感じている。 「『つかまりどころ』があれば、苦しいときも、そこにつかまって、また、前を向ける。義母の働く姿が私の土台になっているように…」 義母の津ねえさんは九二年に亡くなった。今、夫の実家に帰るたびに、遺影に手を合わせる。「いろいろ教えていただいて、ありがとうございます。これからも見守ってください」 (シリーズ「家族」は今回でおわります) |
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| ■ 2005.01.09 家族で料理店経営 原田昌代さん | ||||
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