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'04/11/14朝刊掲載】 |
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九州国立博物館開館プレイベント シンポジウム 古代日本と高句麗文化
パネルディスカッション<1>人類共通 悠久の遺産 日本文化に深い影響 |
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今年七月、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と中国にまたがる高句麗古墳群がユネスコ世界遺産に登録された。それを記念し、また来年秋に開館する九州国立博物館のプレイベントとしてシンポジウム「古代日本と高句麗文化」が九月に福岡市で開かれた。世界遺産登録に尽力した日・朝・韓の文化人、考古学研究者らが自身の高句麗研究の成果を語り合い、海を越えた古代の文化交流に思いをはせたほか、壁画や遺跡の保存への協力を確認し合った。高句麗古墳の壁画に描かれた女性像は、日本の高松塚古墳の壁画に描かれた「飛鳥美人」とよく似ており、日本と高句麗の交流は深い。古代アジアのロマンを探ったシンポジウムを振り返る。
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朝鮮社会科学院 歴史研究所教授 曹喜勝氏
チョ・ヒスン 1952年生まれ。76年金日成綜合大学歴史学部卒。現在、社会科学院歴史研究所室長、教授、博士。 |
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ソウル大学校教授 任孝宰氏
イム・ヒョジェ 1941年生まれ。ソウル大学卒。韓国考古学会長などを歴任。現在、世界考古学会議東アジア代表。 |
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■古朝鮮独自の積石塚・曹氏 新羅には積石木槨墳・任氏
◆石積みの起源◆

▼西谷 高句麗古墳の特徴である積石塚にかかわる問題から、壁画の特徴と保存の問題などについて発言いただきたいと思います。積石塚は、小さな石積みから国力の発展で太王陵、将軍塚で頂点に達し、大きな石積みになり、そして、封土墳にかわり、そこに壁画が描かれます。中国の調査では、太王陵を好太王陵、将軍塚を長寿王陵としていますが、いかがですか。
▼曹 それははっきりした決め手が見つかってから判断すればいい。それより積石塚の起源がいつかということが大事です。積石塚は日本にもその影響がうかがえ、漢江上流にも影響を与えました。石を積んで墓とするのは古朝鮮の特徴で独自のものです。集安には一万基の積石塚がありますし、遼東半島でも墓は基本的に石積み。朝鮮族が住んだ土地は石が多かったことによるものと思われます。しかし、万里の長城はレンガ積みですし、黄河流域の漢族は土で作っています。最も古い風習は墓制に残るといわれます。漢族と朝鮮族は全く違っています。
▼任 新羅には積石木槨墳がありますが、積石塚とは違います。新羅のものは木槨を土で覆い、その上に石を積んだもので、金製品が多数出土しています。この十年間、シルクロードを歩いているのですが、中央アジアのアルタイに積石木槨墳と同じ物があり、同じく金製品が多く出土しています。その中間には同じものはありません。今後、新羅の積石木槨墳とアルタイの関係を調べることは東アジア考古学の大きな課題と考えます。
ただ、アルタイのものは新羅より十世紀ほど早く、この点を現地で議論したところ、年代を間違っていたのではないかという指摘があり、再調査したところ、古いものがありました。
▼曹 新羅は高句麗の影響下で発展した国で、時間的にも空間的にもつながらないアルタイとの関係を考えるより、高句麗との関係を優先すべきです。木槨の上の積石は高句麗の影響だと思います。
▼町田 三―四世紀の日本の古墳には、土を積んで周りに割石を積んだもの、中まで石を積んだものがあって、朝鮮との関係をうかがわせます。そのころは中国の勢力が弱まった時代で、周辺地域で独立が強まり、それぞれが王を名乗り、その権威を高めるために大きな墓を造るといったことがあったと思われます。日本でもそれをまねたことが考えられます。ただ、それを証明するのは大変難しい。
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独立行政法人文化財研究所理事長、奈良文化財研究所所長 町田章氏
まちだ・あきら 1939年生まれ。立命館大学大学院修士課程修了。奈良国立文化財研究所、文化庁監査官などを経て現職。 |
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■天に近い墓室好んだ・町田氏
◆壁画古墳◆

▼西谷 壁画古墳の話に移りましょう。
▼町田 高句麗の壁画古墳には中国の影響が見られます。やはり、一番の母体は、亡命の漢人だと思われます。この時代、中国では漢族が東に押しやられ、帰れなくなった漢人が高句麗の政治、文化に組み込まれていったものと思います。集安の壁画古墳は高句麗の風俗を描いたものですが、ピョンヤン南方の安岳3号墳は漢人の生活風俗を描いており、明らかな違いがあります。高句麗人は火葬して埋葬したという伝承があります。また、墓室を深く深く掘りたいのが漢人、これに対して日本、百済、高句麗では天に近いところに墓室を置くことを好みました。
▼曹 その意見には反対です。安岳3号墳には中国の影響は全く見られません。形式も高句麗独自のものですし、描かれている主人公は、『隋書』で高句麗の王のものと記される白羅冠をかぶっています。また、足で踏む臼が描かれていますが、これは朝鮮民族独自のもの。この問題は今後、時間をかけて議論しなければいけないと思います。
▼西谷 六世紀ごろから高句麗壁画は四神図が中心になっていますが。
▼町田 この時代は中国の南北朝時代にあたり、南朝との関係がうかがわれます。北朝では風俗画を描き続けましたが、南朝ではシンプルな四神図が中心でした。高松塚、キトラ古墳は高句麗より百済の影響と考えた方がいいと思います。白村江の戦いの後、多くの百済人が日本に移住し、その中で壁画古墳も日本に入ってきたのではないかと思います。
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■損傷激しいため密閉・曹氏 雨漏りが発生し閉鎖・任氏 科学的方法探る時期・町田氏
◆壁画の保存◆

▼西谷 壁画古墳では、公開と保存の難しさがあります。共和国ではどうしていますか。
▼曹 町田先生のお説には異論がありますが、保存問題について述べましょう。松竹里古墳は損傷が激しいので密閉しました。安岳8号墳も封鎖していますが、保存問題には深刻なものがあります。
▼西谷 現地では高句麗古墳保護センターが建設中ですが、私たちもぜひ協力したいものです。韓国では百済の壁画古墳の陵山里1号墳などがありますが、保存はいかがですか。
▼任 韓国では高句麗の壁画古墳は発見されていません。百済の壁画古墳も含めて、全体的に非常に少ないです。それで、他の例でお話ししますが、観光地となっている石窟庵は最新の設備を施して、観覧できるようにしましたが、非常に状態が悪くなっています。公州の宋山里古墳群も最新の設備を設置したのですが、雨漏りなどが発生し、結局、閉鎖しました。フランス・ラスコー洞窟壁画のように閉鎖して、見物客にはレプリカを見てもらってはいかがでしょうか。その間に対策を検討したいと思っています。
▼西谷 日本の場合はいかがでしょうか。
▼町田 キトラ古墳の保存が現在進行形です。この問題については、文化庁が特別史跡に指定し、各種の専門家を集めて特別の委員会をつくり、その下に作業部会を設けるという形で実施しています。最初、覆い屋を作って、外から観察するために中にカメラを入れて見たところ、正面は非常にいい状態でした。しかし、斜めから見ると絵を描いたしっくいが浮かび上がり、一刻も猶予できない状態だと分かりました。天井の天文図は専門家も手に負えない状態です。
高松塚も頭の痛い問題で、現状維持を目標に伝統的な保存方法でこの三十年間やってきましたが、科学的な研究を進めて永久保存を考える時期に来ています。
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朝鮮社会科学院 歴史研究所教授 許宗浩氏
ホ・ジョンホ 1932年生まれ。59年北京大学歴史学部卒。現在、社会科学院歴史研究所院士、教授、博士。
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伊都国歴史博物館館長 西谷正氏
にしたに・ただし 1938年生まれ。京都大学大学院修士課程修了。奈良国立文化財研究所、九大教授などを経て伊都国歴史博物館館長。 |
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■興味を引くオンドル・許氏 議論深め共通認識を・西谷氏
◆韓国の遺跡◆

▼西谷 韓国の高句麗遺跡についての報告がありましたが、どう感じられましたか。
▼許 素晴らしい発掘です。同じ民族が残した文化創造物として非常に興味を持ちました。特にオンドルは朝鮮固有のもので、それが兵舎にも設置されていたことは大変興味を引きます。それに、高句麗、新羅、百済は同じ民族だと感じます。文献的にもそれは明らかです。韓国の高句麗遺跡は、高句麗が文化的に高く、また、朝鮮中世史で主導的、文化的にも中心的な役割を果たし、対侵入の点でも旗手を担ったことを示していると思います。
▼西谷 中国にある桓仁、集安の古墳を見て、どう思われますか。
▼曹 オンドルなど生活風習を見ても、やはり朝鮮的だと思います。
▼町田 日本にもオンドルの遺跡があります。高句麗、百済と古代日本との密接なつながりを感じますね。特に六世紀の終わりから七世紀の初めにかけて、高句麗系や、百済系の文化が日本に流入しています。特に飛鳥では石を使ったものがいろいろ作られています。七世紀の酒船遺跡は尾根の周囲を切石で囲んでおり、それまでの日本には見られないものです。
▼西谷 峨嵯山の発掘では保存センターもつくられるそうですが、世界遺産への登録はどうですか。
▼任 韓国内十五の高句麗遺跡のうち、五遺跡で発掘調査が完了し、遺物がほぼ完全な形で残っていることを確認しました。これは大変うれしいことです。あと二遺跡を発掘する予定で、これらはすべて国の特別史跡に指定されるでしょう。また、国立高句麗博物館を建設して展示することにもなっています。今後、南北が共同して研究を進めることが求められています。ただ、一つ問題があります。中国は五女山を世界遺産に登録し、資料館も建てていますが、その説明に、中国の玄菟郡高句麗県が国になったとして、高句麗は中国であると書いています。これは東アジア研究において非常に大きな問題だと思います。
▼西谷 高句麗の歴史問題で、共和国、韓国、日本の専門家が一堂に会するのは、このシンポジウムが初めてです。高句麗の遺跡群をめぐっては、今日の熱のこもった論議のように、問題が山積しています。今日をスタートとして、日本や九州国立博物館が先頭に立ってさらに議論を深め、共通認識を広げていきたいものです。高句麗史をめぐっては中国、韓国の間に激しい議論も起きていますが、こうした会合を積み重ねれば、共通認識を得られるものと思います。皆さんのご協力をお願いします。
***メモ*** 高句麗
高句麗(紀元前一世紀後半―六六八年)は、最盛期に朝鮮半島北部から中国の東北地方を版図にした古代王国。多くの遺跡や壁画古墳を残し、特に極彩色の壁画は、日本の高松塚古墳やキトラ古墳に描かれた壁画に影響を与えたとされている。また、高句麗が軍事目的で築いた山城は、日本の古代山城とも共通点がある。
今回世界遺産に登録されたのは、中国側が、桓仁市にある初期の国都の山城・五女山城と、集安市にある中期の国都・国内城と丸都山城のほか、中・後期の王・貴族の陵墓などの遺跡群。北朝鮮では、主として中・後期の王・貴族の陵墓群で、貴重な壁画古墳である。
高句麗第十九代の好太王(広開土王)の碑文(四一四年)には、倭(日本)と交戦したことなどが書かれており、当時の日本と朝鮮半島とのかかわりを今に伝えている。同碑文の拓本は、九州国立博物館に展示される予定だ。
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▼主催 独立行政法人国立博物館九州国立博物館設立準備室、財団法人文化財保護・芸術研究助成財団、NHK福岡放送局、西日本新聞社
▼後援 文化庁、福岡県、日本ユネスコ協会連盟
▼協賛 太宰府天満宮
▼協力 高句麗会
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