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【
'05/03/01
朝刊掲載】
<連載>いにしえの旅 時流を超えた美の力
油滴天目茶碗(ゆてきてんもくちゃわん)
▼案内人…森本朝子さん
この茶碗は十月に開館する九州国立博物館に所蔵予定の油滴天目である。中国福建省北部水吉鎮の建窯で作られた。灰黒色の胎に青みを帯びた黒釉が厚くかかり釉面は一面、銀灰色に輝く斑点に覆われている。その輝きは水面にたらした油の滴に似る。油滴と呼ばれる由縁である。
建窯で焼かれた茶碗は建盞(けんさん)と呼ばれ、中国では北宋後期に最高の茶碗と名高かった。建窯の最盛期は一一一二年から一一七〇年ごろと考えられているが、元代の初めには活動を止めたといわれる。
わが国ではこのような茶碗は宋商人が住んでいた博多で例外的に十二世紀初めから出土するが、一般的には栄西が茶を請来したとされる十三世紀以降にならないと出土しない。
一九七五年に韓国新安沖で発見された沈没船は一三二三年ごろ中国の慶元(現在の寧波)から博多に向かっていた船であったが、この船から五十個ばかり建盞が引き揚げられた。ところが、それらはみな使用痕のある骨とう品だったという。このことから建窯はすでに閉窯していたこと、それにもかかわらずわが国からの建盞の需要が強かったことが確認された。
わが国で文献に「建盞」の名が初めて見られるのは鎌倉幕府の執権金沢貞顕(一三三三年没)の手紙とされている。続いて『仏日庵公物目録』(一三二〇年の記録を元に一三六五年ごろ校合、加筆)や『蔭涼軒日録』(一四九〇年)でも建盞の名が見られる。
一方「天目」の初出は『大日本資料』の一三三五年の項でほぼ建盞と変わらない。こちらも続いて『祇園執行日記』(一三四三年)、『教言卿記(のりとききょうき)』(一四〇六年)などでその名を追うことができる。
現在われわれは建盞と天目をほとんど区別することなく使っているが、以上の十四、十五世紀の史料をみると、建盞は高価で天目は数等倍安いなど、評価も違う別物であることが明らかである。最近ではこの時代の天目とはいわゆる「灰被天目」の類であり、福建省南平茶洋窯などで焼かれたことが定説になりつつある。ちなみにわが国では十四世紀中ごろ以降出土の唐物黒釉茶碗の大半がこれである。
足利将軍家所蔵の唐物を品評した『君台観左右帳記』(十六世紀初めごろ)と千利休の高弟が著した『山上宗二記』(一五八八年)には、建盞と天目について考えるとき、いつも引き合いに出される項目がある。
これによると、両書とも建盞と天目は別物と認識しており、評価も別であったこと。十六世紀の初めと終わりの八十年ほどの間に建盞と天目の評価が逆転していることが分かる。
侘(わ)び茶が隆盛して、あくまでも端正で光り輝く建盞よりも、文字通り灰を被ったような翳(かげ)のある天目に趣があると感じるようになったのである。こうして天目は唐物茶碗のうちただ一つ侘び茶にかなうものとして取り上げられ、やがて天目の名が黒い茶碗すべてを代表するようになっていく。この建盞にも「利休居士 茶碗箱蓋書付/ゆてき天目」と記した極札(鑑定書)、そして利休筆と伝えられる「ゆてき天目」なる箱書きがある。
侘び茶の隆盛によって「代かろき物」となってしまった建盞はその後どうなったのだろうか。価値無き物として歴史の舞台から消えてしまったのだろうか。この建盞にはその運命を示す手がかりもそろっている。つまりこれには古田織部所持の伝来があるのだ。
織部は利休自身が己の後継者と認めた茶人であるが、彼の茶の最大の特徴は利休の否定にあったといわれる。彼は侘び茶の完成によって作り出された茶の湯の世界を闊達に押し広げ明るく華やかなものを取り入れていった。それぞれの感性や必要に応じてさまざまな茶があっていい、支配階級には町衆とは違った格式を重んずる茶があっていいと大名茶への道を開いた。
一時は華美ゆえに疎まれた建盞も江戸時代の徳川将軍家を頂点とする上級大名家に重宝として集められ、天目の名の下でではあったが生き返ったのである。それは時流を超えた建盞自身の美がなせる業ではなかっただろうか。
今また時代は変わって多くの建盞が博物館に入り、万民が鑑賞できるようになった。
ここに曇りなく輝く油滴を眺めるとき、この建盞にもなお天目を名乗らねばならない歴史があることに深い感慨を覚えるのである。
◇
『君台観左右帳記』(土之物より抜粋)
一 曜変、建盞の内の無上也。世上になき物也。…中略…萬疋の物也。
一 油滴、第二の重宝。…中略…ようへんよりは世に数あまたあるへし。五千疋。
一 建盞、ゆてきにもおとるへからす、…中略…三千疋。(この後三項目の盞を評価順に並べ最後に)
一 天目、つねのことし。はいかつきを上とする也。上には御用なき物にて候間、不及代候也。 (東北大学蔵本による)
『山上宗二記』(抜粋)
惣別茶〓之事唐茶〓ハ捨タリタル也
一 天目之事…中略…此内三ツハ昔より数ノ臺ニ居リタル天目名物也、在口伝ニ、
一 黄天目 是ハはいかつきに紛候、只天目是ハ世上ニ多キ物也、此三色ハ天目ト云也。…後略、
一 けむさん 此内影星、油滴、烏盞、別盞、たいひ盞此六ツけいさんノ内也、代かろき者なり、…後略
(『日本の茶書1』東洋文庫)
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●油滴の科学 建窯の茶碗には鉄分を多く含んだ胎土、同じく鉄分を多く含む粘性の高いガラス釉が使われている。そのため70時間に及ぶ焼成段階での火の強さ(最高1300℃)、温度変化の緩急、冷却段階(1000℃に下げるまでの20時間)で生じる窯中の環境の微妙な推移によって、釉面にさまざまな表情を持つものが生まれる。油滴は溶けた釉面に内から気泡が沸き立ち、気泡が抜けた痕に酸化第二鉄の結晶が集まり、成長してできる。
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▼もりもと・あさこ 新潟県生まれ。東京女子大文学部社会科学科卒。福岡市教育委員会埋蔵文化財課で発掘による出土品、特に中国やベトナム陶磁器の整理、研究に従事。現在、同課調査指導委員。
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油滴天目茶碗(九州国立博物館設立準備室提供、撮影・小平忠生)
福岡市で出土した15世紀ごろの天目茶碗(福岡市埋蔵文化財センター蔵)