西日本新聞
ニュース > 九州国立博物館 > 特集/連載記事一覧 スポーツ  ■ バナ天+α

'05/03/29 朝刊掲載】
<連載>いにしえの旅 「絹本著色浄土曼荼羅図」
はるかなる極楽へのあこがれ

 ▼案内人…泉武夫さん
 ●「絹本著色浄土曼荼羅図(けんぽんちゃくしょくじょうどまんだらず」
 正月封切りの映画「カンフーハッスル」(チャウ・シンチー監督)は、前作「少林サッカー」をうわまわる快調ぶりだ。そのなかで、主人公が究極の秘技として披露するのが「如来神拳」なる必殺ワザ。これを用いた跡には、とほうもなく巨大な手形がのこるのだ。
 カンフーのワザにホトケっぽい名をつけるなら、天王なんとかや、菩薩なんとかのほうが、それらしい。そこをあえて最上級の「如来」をもってきたところがミソである。如来の上はない。至高の存在である。「如来神拳」も至高のワザとなる。
 かくも如来の力と徳は偉大なのだ。
 さて、如来とはいうまでもなく仏=悟りを開いた者の別称であり、仏教では釈迦・薬師・弥勒・大日などといったさまざまな如来群が輩出された。この世にはさまざまな宇宙が存在するという、多元宇宙の考え方がそこに反映している。そのなかで、平安時代以降に急速に信仰がたかまった如来さんがいる。
 阿弥陀如来である。
 なぜだろうか。仏教では、釈迦亡き後、ながい時間が経過すると、正しい教え(法)が失われる法滅期が来るとされた。いわゆる末法の世である。日本では一〇五二(永承七)年にそれが訪れると信じられ、その年が近づくにつれて末法における救済策が焦眉(しょうび)の急となった。そこでクローズアップされてきたのが阿弥陀だった。
 阿弥陀は西方に極楽浄土をかまえている。ところが、その浄土を建設するに当たり、修行中の阿弥陀(そのころは法蔵菩薩という)が、かつて立てていた誓いがあった。「自分を頼ってくるものはすべてこの浄土に迎えることができるという保証がないかぎり、わたしは如来にならない」。なんとありがたい誓いではないか。
 すでに極楽浄土があり、阿弥陀は如来としてそこをとりしきっているということは、この誓いは成就されたことを意味する。つまり阿弥陀に頼りさえすれば、この苦しみに満ちた現世を終えたあと、かならず極楽に往(ゆ)けるのである。いろいろなホトケさんのなかで、ここまで手堅い救済の道筋を示しているかたは、ほかになかった。
 ところで、西方極楽浄土は、蓮(はす)池を前に華麗な楼閣宮殿がところせましと並び、つねに妙なる楽の音が響き、馥郁(ふくいく)たる香りに包まれ、光あふれるところと経典には描写されている。その情景を見てみたいという気持ちは、信ずる者として自然な欲求だ。絵に表した浄土図がそうして出現する。中国では初唐から盛唐にかけて(七―八世紀)、さかんに制作されたようだ。その図柄をもとに綴織(つづれおり)という技法で織った巨大な浄土図が、奈良の当麻寺に伝来している。奈良時代、八世紀の作例である。中将姫がホトケの力を借りて織ったという伝説で有名なものだ。
 これを別名、「当麻(たいま)曼荼(まんだ)羅(ら)」と呼んでいる。中心部には極楽浄土のありさまを大きく、周辺部にはこの浄土の様子を観想するにいたったインドの説話、さらに観想の手順、そして極楽に往生する際の九種類の方法(九品往生)を小さく表している。
 ところがこの当麻曼荼羅は、平安時代にはなぜか世に知られることはなかった。図柄の見事さが気づかれ、原寸大あるいは縮小版など各種の転写本が作られて、いっきょに広まるのは、鎌倉時代の浄土宗西山派の祖、証空(しょうくう)上人の時からなのである。
 こんど九州国立博物館所蔵となる本作品は重要文化財に指定されており、鎌倉時代半ばから後半にかけての制作と思われる当麻曼荼羅図である。類品のなかでは、きわめてていねいな仕上がりとなっている。阿弥陀以下の諸尊、蓮池、空にいたるまで金彩をふんだんに使った豪華な画像。当時のひとびとが、暗いお堂の中で、灯明の炎に照らされて眺めるときは、まばゆい輝きを放ったことであろう。そのとき、はるかなる極楽へのあこがれが見る人の心にしみわたるのである。
     

 ▼いずみ・たけお 京都国立博物館教育室長。宮城県生まれ。東北大大学院美学美術史博士課程後期を中退、大阪市立美術館学芸員ののち、京都国立博物館学芸課勤務。文学博士。専門は日本仏教絵画史。主な著書に「仏画の造形」「絵は語る 仏涅槃(ねはん)図」など。
    
×      ×

 ▼証空上人(1177―1247) 鎌倉時代の浄土宗僧。法然の弟子となり「選択本願念仏集」の編さんにもたずさわった。法然没後、京都西山を拠点に宗教活動をしたので、その系統は西山派といわれた。1229年奈良当麻寺に参詣し、当麻曼荼羅を実見。その後、流通につとめた。
 ▼当麻曼荼羅 浄土三部経のひとつ「観無量寿経」を絵解きしたもの。観経変相図・観経曼荼羅ともいう。日本では古くから奈良の当麻寺に綴織の大型のものが伝来していたので、当麻曼荼羅と通称された。
〈火曜日掲載〉


<<九州国博トップページへ 記事一覧へ>>

極楽浄土のありさまを描いた「絹本著色浄土曼荼羅図」の中央部分

「絹本著色浄土曼荼羅図」(縦128・5センチ、横145・4センチ。九州国立博物館設立準備室提供、撮影・小平忠生)