西日本新聞
ニュース > 九州国立博物館 > 特集/連載記事一覧 スポーツ  ■ バナ天+α

'05/10/18 朝刊掲載】
いにしえの旅=「栄花物語(えいがものがたり)」(国宝)
作者の人生観、忠実に織り交ぜ/案内人…高橋裕次さん

 安和二(九六九)年、政界をゆるがす大事件が起きた。藤原氏の陰謀によって、左大臣源高明が大宰権帥に左遷されたのである。この安和の変は、藤原氏の最後の他氏排斥で、以後、摂関体制は強固となった。

 「この世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」と詠んだのは、太政大臣藤原道長(九四六―一〇二七)である。藤原氏の権力は、同族間の骨肉の争いを経て、道長の時代に絶頂期を迎え、華やかな貴族文化を展開する。

 しかし、それ以降、藤原氏は内部の勢力争いなどによって次第に衰え、台頭してきた平氏、源氏によって権力を奪われていくことになる。道長が得意になって詠んだこの傲慢(ごうまん)な歌は、やがて崩れ去る貴族社会への挽歌(ばんか)であったのかもしれない。

 歴史物語は、摂関政治から院政へ移行していく平安時代末期を背景に登場した、新しい物語のジャンルである。なかでも『栄花物語』は、平安時代の宮廷、貴族社会に関する出来事を、仮名文を用い、年月を追って書いた編年体の歴史物語である。道長の人間像と栄華を中心に描いているところからこの書名がつけられている。

 構成は、巻三十までが正編、あとの巻十が続編である。正編は、皇室と藤原氏の系譜的な事項から書き始めて、藤原道長の死去までを収める。道長が政権抗争に打ち勝ち、権勢の座について栄華の全盛を極め、さらに子女の出家や死に直面して、人生の悲哀をかみしめる姿など、道長の明暗の両面を交互に繰り返しながら克明に描く。

 正編の作者は、中古三十六歌仙の一人である赤染衛門(あかぞめえもん)(生没年未詳)が有力視されている。赤染衛門は、歌人平兼盛の娘で、その母が彼女をみごもっている間に兼盛と離別し、赤染時用の妻となったので、この姓で呼ばれていると伝える。道長の妻の倫子(りんし)に女房として仕えて宮廷貴族の事情に通じていたこと、同僚の紫式部を和歌の上で譲歩させ、道長の教育係で当代一流の学者であった大江匡衡(おおえのまさひら)の妻として夫を支えた才媛ぶりや、経歴、年齢などが、作者にふさわしい理由であろう。なかには『栄花物語』を赤染衛門と匡衡の合作とみる説もある。

 続編は、特定の中心になるような人物はみえず、後宮(こうきゅう)の動向を中心に、宮廷生活における行事の様子や、女房達の服飾などの風俗史について詳しい。複数の作者によって次々に書き継がれていったらしいが、従来は、平安中期の女流歌人で、後一条天皇の中宮威子や、一品宮章子内親王などに仕えた出羽弁(出羽守平季信の娘、?―一〇七八)の作といわれる。

 いずれにしても、作者は正続編とも宮廷に仕えた女性とみられる。全体としては、道長を賛美した記述が目立つのが特徴で、感覚的に歴史を把握しており、事実に主観をまじえて潤色している個所もある。これに対して少し後に成立した『大鏡』は、男性の眼を通して摂関政治史を批判的にとらえ、座談形式で話を展開し、歴史に客観性をもたせようとしている。

 国風文化の最盛期に生まれた歴史物語は、平仮名の使用により、発音にもとづく自由な表記が行われ、貴族生活の細部や人間の内面の描写が可能になった。一方で、物語性を重要視するあまり、史実とのくい違いも少なくない。年代などを誤って記していることもある。

 現在、歴史研究において、これまでの文書や日記などの記録だけでなく、物語や伝承なども積極的に利用する試みが行われている。法成寺の造営の様相、服飾などにみる美意識、過飲過食と運動不足やストレスがきっかけとなった飲水病(糖尿病)や動脈硬化などの実態、もののけに対する治療、田楽などの芸能、葬送の儀礼、災害などに対する作者の人生観が、史実を織り交ぜながら表現されている点は評価できる。

 九州国立博物館所蔵の本書は、『栄花物語』の現存最古の写本である。もと三条西家に伝来したもので、大型本十帖、小型本七帖の二種を取り合わせている。大型本は、当時の一般的な文書の紙(竪紙)を二つ折りした大きさ三〇・六センチ×二四・二センチで、小型本は一六・三センチ×一四・九センチである。書風、形態などよりみて、前者は鎌倉時代中期、後者は鎌倉時代初期の書写と思われる。本の大きさや、紙質の違いにも、物語が書写された背景などの事情があらわれてくるのである。

 三条西実隆(一四五五―一五三七)の自筆の日記である『実隆公記』の永正六(一五〇九)年十一月四日と八日の条より、『栄花物語』全十七冊の代金として百疋を支払っていることが知られる。現在の数万円くらいに相当する。あまりに廉価であると思うが、永正八年三月七日条に、支払いの翌年に本を見て感激したとあるので、支払いは一度だけではなかったのではないだろうか。

 この物語が成立した平安時代末期は、政治のあり方が大きく変わり、国風文化の成熟を経て、さらに新しい動きがみられた時期である。こうした時代の転換のなかで、過去の歴史を振り返ろうとする貴族層の意識が、歴史物語の出現をもたらしたのであろう。九州国博は、東アジアの文明交流を視野に入れた新しい展示を実現する。『栄花物語』をとおして、「もの」が語りかける壮大なドラマを感じ取っていただきたい。

●三条西実隆(さんじょうにしさねたか) 室町時代後期の公卿、学者。天皇近臣として皇室経済の復興に活躍し、内大臣に至る。有職(ゆうそく)故実に通じ、朝議の保存につとめる一方、古典研究や和歌・連歌に励み、応仁・文明の乱(1467ー77年)で散失した和漢の書物の収集や書写にも努力した。一条兼良に続く当代を代表する文化人として重んじられた。

▼たかはし・ゆうじ 東京国立博物館文化財部保存修復室長。1957年、茨城県生まれ。中央大学大学院文学研究科修了。文化庁美術学芸課を経て現職。専門は日本中世史。主な著作に「鴎外自筆帝室博物館蔵書解題」(ゆまに書房)、「山家心中集」(二玄社)など。近年は書画・文書料紙の科学的研究を進めている。


<<九州国博トップページへ 記事一覧へ>>

藤原道長の栄華と凋落を克明に描いた「栄花物語」(部分)。本書は現存最古の写本で、国宝に指定されている。=九州国立博物館提供