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'05/10/18 朝刊掲載】
【連載】私の国博・九州人の夢乗せて
<1>井戸を掘る 先人の営みから新たな視点を

 森弘子さん(58)の声が弾んだ。福岡県太宰府市に九州国立博物館が開館する年に合わせて今年二月に太宰府館まほろばホールで開講した「太宰府発見塾」。一年間に及ぶ市民歴史セミナーの塾長を務める森さんは「私の太宰府発見」と題し、太宰府の歴史と、九州国博の意義を語った。

 森さんは大学で史学を学び、太宰府天満宮文化研究所に勤務後、古都大宰府保存協会文化部長などを務めた地元在住の歴史研究家。二時間の講演中、会場を埋めた二百五十人を超える聴衆からはしわぶきひとつ起きず、森さんがとらえた古都の風景を心に刻んだ。

 発見塾の主眼は、太宰府市が進める「屋根のない博物館」構想の市民啓もうにある。「屋根のない博物館」構想は、地元の「歴史・文化遺産」「自然と産業」といった有形無形の地域資源に光を当て、街づくりにつなげようとする試みだ。その延長線上に、新たな地域の象徴としての九州国博が位置づけられる。

 「九州国博は、訪れる人それぞれの“内なる歴史”に目覚めさせる異次元の空間。先人の営みを通して新しい視点が得られ、それが豊かな人生にもつながる」。森さんは「屋根のない博物館」構想とともに、九州国博が地域に果たす役割と意義に力を込める。

 九州国博開館までの歩みを回顧するとき、森さんは、二人の先人の面影が浮かぶという。一人は、奈良国立文化財研究所から福岡県教委に招請されて大宰府史跡の発掘調査の指揮を執った故藤井功氏。もう一人は、太宰府天満宮先代宮司の故西高辻信貞氏だ。

 一九六〇年代、高度経済成長期の開発ラッシュの波が太宰府にも押し寄せ、史跡の保存か、開発かで意見がぶつかる中で、藤井氏は発掘の前線に立ちながら住民の間に飛び込み、史跡保存のレールを敷いていった。その藤井氏を支援し、天満宮の社有地を九州国博の建設用地に提供する決断を下したのが信貞氏だ。

 九州国博誕生への道筋をつくり「井戸を掘った先人」の業績に思いをはせながら、森さんは「開館を見ることなく亡くなった二人はもっと顕彰されていい」と感謝の言葉に力を込める。

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 九州国立博物館が開館した。その誕生にかかわり、果たすべき役割と使命について本質をつく意見を持つ五人の九州人の「私の九州国博論」を紹介する。


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大宰府政庁跡で、九州国博開館までの歴史を語る森弘子さん