西日本新聞
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'05/10/19 朝刊掲載】
源流を歩く 「美の国日本」展=東ティモール 白檀香
乱伐に耐え、残った林
◇九州国立博物館 since'05

 私は、東ティモール民主共和国コバリマ県スアイにいる。
 二日前にバンコクからインドネシア・バリ島へ。次の日にローカル航空会社の飛行機に乗って、東ティモールの首都・ディリに着いた。翌朝、ディリを四駆車で出発。同国北岸のディリから二〇〇〇メートル級の山岳地帯を越え、七時間かけて西南部のスアイを目指した。道は急カーブの連続である。
 深紅のブーゲンビリアが旅人の目を楽しませてくれた…のは最初の一時間だけ。残りの六時間は、ひたすら車酔いとの戦いであった。
 どうして、こんな旅をしているのか。
 一カ月ほど前、九州国立博物館に出品される「白檀(びゃくだん)香」について調べていると、その産地はインドネシア諸島の可能性が高いことがわかった。
 集めた資料の中で東ティモールの記述が興味を引いた。同諸島の中でも東ティモールは、かつて世界的なビャクダンの産地として知られていた。しかし植民地時代に切りつくされ、今ではほとんど残っていないという。資料によっては「乱伐でなくなった」ともある。
 源流ともいうべき東ティモールのビャクダンの自然林は、本当になくなってしまったのか。事前に現地の様子を聞くと「昔はあったらしいが、今は聞いたことがない」の連発。だがそのうち「スアイで見たことがある」との話が入ってきた。
 それがこの旅の始まりだった。
 スアイの町から、でこぼこ道をさらに一時間。車は山の中腹に出た。案内役のコバリマ県農業課職員のアンジェリーノ・ジョセ・アマラールさん(39)が「ここです」という。
 車を止めた。山の斜面に高さ五メートル前後の木が、ある程度の間隔を置くように立っている。黄緑色の葉、縦に筋の入った幹。資料で見た通りだ。
 「ほら、これも。これもそうでしょう」とアマラールさんがあちこち指をさす。「この一帯は、全部ビャクダンです」。小さな谷間を埋めるように群生している。ビャクダンの林は、確かに残っていた。はるか眼下にティモール海が見えた。

 ●苦難を映す
 ビャクダンの現在の主要産地はインドネシアとインドだが、原産地はティモール島などの小スンダ列島とされる。この地域のビャクダンは古くからペルシア系の商人の手によって世界中に運ばれた。十六世紀にはポルトガルがビャクダンを求めてこの地を訪れ、ティモール島を征服する。
 それからの島民の歴史は、乱伐されていくビャクダンの林と重なるかのように、苦難の連続である。
 ポルトガルに続き、オランダが島西部を占領したため、島は東西二つに分割される。太平洋戦争中は一時日本軍に占領された。戦後は西ティモールがインドネシアの一部にされる。
 一九七四年、ポルトガルが植民地を放棄。すると七六年にインドネシア軍がやってきて、東ティモールを併合した。今度はインドネシアによる搾取が始まった。
 東ティモールのビャクダンは「ポルトガルにより乱伐された」とする資料が多いが、同国農水省森林部長のマリオ・ヌネスさん(43)によると、ポルトガル時代は同じ地域での伐採を五年に一度にするなど、まだ資源の管理をしていたという。「本当に乱伐したのはインドネシア。軍が銃で脅すので、抗議することもできなかった」と憤る。
 一九九九年に独立の是非を問う住民投票が行われ、独立派が大多数を占めて独立が決まった。しかし前後に、インドネシア軍とその支援を受けた反独立派住民が、独立派住民に対して徹底的な暴力を振るった。
 同年九月六日、スアイの町で騒乱を避けるために教会に避難していた住民を、インドネシア軍と反独立派の民兵(武装した民間人)が襲撃。七十人以上を殺害し、教会を焼いた。「スアイの悲劇」と呼ばれる。
 東ティモールは二〇〇二年に念願の独立を果たし、今では治安も回復した。住民の表情も明るくなった。だが、ビャクダンの林の残るスアイには、そんな歴史がある。

 ●再生目指す
 ビャクダンといえば、お香として香りを楽しむか、薬として使うのが一般的だ。産地・東ティモールの人々はビャクダンとどう付き合っていたのだろうか。
 スアイや首都ディリで住民に聞いて回ったが、誰に聞いても「知らない」という。「輸出はしていたが、地元で使う風習はなかった」。おそらく遠い昔は地元なりの作法があったのだろうが、宗主国から単なる「生産地」として利用され続けるうち、住民がビャクダンで楽しむことはなくなってしまったのだろう。
 ビャクダンを使った工芸品すらほとんどない。植民地支配がやったことは、文化を育てない徹底的な収奪だった。
 今、スアイの自然林にほど近い山中で、ビャクダンの試験植林が行われている。特産品としてのビャクダンを復活させようと、農水省の肝いりで二年前から始まった。立ち寄ってみると、大きいのでまだ二、三メートルくらいだが、しっかりと若々しい黄緑の葉を広げていた。農水省のヌネスさんは「三十―四十年後には立派な輸出品にしたい。まあ、子どもたちの代の話だがね」と笑った。
 他国の支配を脱し、平和と安定が訪れたこの島で、ビャクダンの林も再生へと向かう。
 島を去るときディリの空港の土産物店で、売っていたビャクダンの扇子は中国製だった。
 次に来るときには、「東ティモール製」が並んでいるだろうか。
(バンコク・永田健)


 ■お香か薬に使った
 「白檀香」は長さ60・3センチ、最大径9・0センチ。棒切れのような形状である。墨書から、少なくとも8世紀半ば以前には日本に入ってきたと推定される。仏教文化に伴う「お香」か、または薬として使われる品だった可能性が高い。  表面に記号のような刻銘、焼き印があり、これが何なのか昔から論議の的だった。ハングル説などもあったらしいが、東野治之奈良大教授は、語学の専門家からの助言も得た上で、それぞれパフラヴィー文字、ソグド文字と断じている。いずれも中世ペルシア・イラン語系の言語だ。  「当時は現在より産地が限られており、インドネシア諸島が中心だった。パフラヴィー文字やソグド文字を使う商人の手を経て、最終的には中国から日本に渡ってきたのではないか」と東野教授は推測する。


▼九州国立博物館開館記念特別展「美の国 日本」 11月27日まで、福岡県太宰府市石坂の九州国立博物館。国宝7件、重要文化財30件を含む122件を展示。当日入場料は一般1300円、高大生1000円、小中生600円。西日本新聞社企画事業部=092(711)5550。

【主催】文化庁、九州国立博物館、福岡県、西日本新聞社【特別協賛】都築総合学園【協賛】アサヒビール株式会社、福岡三越、太宰府市【特別協力】太宰府天満宮【協力】日本航空、日本通運、日本興亜損害保険、凸版印刷、日本製紙、大王製紙、丸住製紙


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東ティモールのスアイに残っていた白檀の自然林




ディリの空港で売っていたビャクダンの扇子は中国製だった






















白檀香