沖縄本島とその東隣にある平安座島(へんざじま)は、海を突っ切るように延びた道路で結ばれている。那覇市からは車で約一時間だ。四月初め、この島にはすでに初夏のような日差しが照り付けていた。
路地に張られたテントに大勢の人が集まっている。「サリ、ウートゥトゥ、トートゥ…」。中で手を合わせて祈るおばあさんの前にはバナナやオレンジが置いてある。まるで神前の供物だ。
この日行われていたのは、海に没した人を弔い、島の繁栄を祈る旧暦三月の祭り。三線(さんしん)と小太鼓が鳴り始めると、おばあさんの横に座っていた女性がモリで魚をついて元気よく舞い、おばあさんの前に置いた。あの果物もこの魚も、お供え物だったのだ。
儀式の中心にいるこのおばあさんは「平安座ヌール(ノロ)」の香村エイ子さん(79)。「ノロ」とは神事をつかさどる女性のこと。かつて琉球王国が地域の祭りを取りしきらせるために、辞令を交付して任命していた。
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琉球では古くから女性が祭祀(さいし)の中心を担ってきた。海に出る男たちを女たちが陸から守る―そんな観念が根底にあったという。
「国から報酬として土地を与えられていたノロは、今で言えば『国家公務員』でした」。沖縄の民俗学を研究する琉球大学の赤嶺政信教授に興味深い話を聞いた。
西暦一五〇〇年前後、琉球王国は「聞得大君(きこえおおきみ)」という最高位の神女を筆頭にした神女組織をつくり、宗教的な統一をはかった。各地のノロは世襲され、収税を上げるために豊作を祈り、人々の心の支えになっていた。
明治以降はノロの公的な性格がなくなり、今ではノロが絶えた地域も多い。赤嶺教授は「農漁業中心の暮らしが変わる中では、当然の流れなのかも」と言う。
しかし、地域の繁栄を願う営みそのものが消えることはなかった。平安座島の香村さんは十年ほど前、伯母からノロの地位を引き継いだ。
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「普段は、普通の主婦ですよ」
祭りが一段落すると、香村さんから笑顔が返ってきた。いずれノロになるという覚悟はしていたという。伯母の他界から数年かけて、自分がノロになれるのか、「御嶽(うたき)」と呼ばれる聖地で何度も願を立てた。今でも、御嶽に行くと「ご飯をささげなさい」という神様の声や、囃子(はやし)が聞こえてくることがあるそうだ。
ほかの女性たちに、香村さんについて聞くと、「平安座の守り神さー」と口をそろえて笑う。香村さんもきっぱり言った。「私には島を守る役目があります。その気持ちがないとノロは務まりません」。
気さくな“おばぁ”たちと話していると、遠い存在のはずの神様が身近に感じられた。
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香村さんの先祖も、琉球王国の神女組織に所属していたのだろう。知念半島にある「斎場御嶽」へ足を運んだ。組織の最高位にいた聞得大君が就任儀礼を行った場所だ。
山全体が御嶽になっている。木々が生い茂る道を通って拝所(はいじょ)に出ると、長い年月を経て形作られた巨大な鍾乳石があるだけなのに張り詰めた空気を感じた。「今も日常的に祈りの場として使われています」と沖縄国際大学講師の粟国恭子さんが教えてくれた。
「大木がほとんど見当たらないでしょう」
粟国さんの言葉に周囲を見回した。確かに幹回りが細い木が多い。戦時中、激しい艦砲射撃で木々がなぎ倒されたのだ。しかし、樹木よりはるかに大きい鍾乳石の拝所は無事にその姿をとどめている。琉球の繁栄を願った聞得大君の思いが、時を経て通じたのだろうか。
(文化部・福間慎一)