|
|
小山ムツコが福岡市で診療所を開く清水大一郎(54)を訪ねてきたのは十年前だった。
「残された人生でやりたいことがたくさんある。病院に縛られたくない」
小山は末期がんで「余命六カ月」と告知されていた。五十歳。イベント企画会社を切り回しながら市民運動にも情熱を傾けていた。転移が分かり、小山は往診で痛みを取り除いてほしいと訴えた。
清水の専門は痛みを和らげる麻酔科。重い腰痛や肩こりに悩む患者を外来で診ていた。
当時、末期がん患者の緩和ケアは入院が常識だった。まして激痛が伴う骨に転移していた小山が、自宅で暮らすことは困難に見えた。
清水は引き受けたものの内心は「無謀」だと思った。
●写真/清水さんの診察室にある小山さんのベッド。「診療に役立てて」と、遺族が寄贈した
|
|
その清水が今は「ファイナルステージを考える会」の世話人を務めている。この会は自宅やホスピスで最期を迎えたいという末期がん患者や家族を支援する。そこにたどり着いたのは小山と一緒に生死を見つめてきたからだ。
小山は車いすやつえに頼りながら精力的に講演や執筆活動をこなし、七年後に亡くなった。その壮絶な生き方に自分の死生観が変わった。
「多彩な生き方があるように多彩な死に方があっていい。患者の死は本来、患者が決めるものなのに医療に奪われている」
考える会は清水と小山が中心となって一九九四年に設立した。小山が亡くなった後も清水が志を継いで活動している。がん患者を支える市民ボランティアは九州で百五十人。
末期がん患者に寄り添い、不安や苦悩を共有することで心の痛みを和らげる。ボランティアの一人の末崎好子(53)はこう言う。
「いたずらな延命より安らかな最期を望んでいる。死を間近にしたがん患者の言葉は深い。人は死を意識してからこそ精いっぱい生きる」
|
|
|
病院で亡くなる人と、自宅で亡くなる人の割合が逆転したのは七七年である。以降も「在宅死」は減り続け、二〇〇一年は一割程度になった。
現代医学のめざましい発展は無数の命を救ってきた。しかし、先端医療は命を引き延ばせても、その先にある「生」のサポートは軽視してきた。いくつもの管を体のあちこちに差し込まれ、家族と会話も交わせないまま死ぬ。そんな風景が日常になった。
医学の進歩、経済的な繁栄、核家族化…。現代社会は「死」を病院に隔離した。「病室を出てわが家に戻りたい」。それはこの連載で追った末期がん患者たちの共通した思いだった。そこでは現代医療が見失いがちな「充実した生」とはなにか、を問いかけている。
清水は指摘する。「二十一世紀は自らの死を選び取る時代にするべきだ」。その選択肢の一つとしての在宅ホスピスがある。
「生と死」が希薄な時代。在宅ホスピスを考えることはそれぞれの「命」を見つめ直すことでもある。(敬称略)
|
|
[2003/03/25朝刊掲載]
|
|