7月 1日 飾り山一般公開 (14日夜まで)
7月 1日 夕方 お汐井取り(当番町)
7月 9日 夕方 お汐井取り(全流)
7月 10日 夕方 流舁き・流区域内
7月 11日 朝山 流舁き・流区域内
7月 11日 午後 他流舁き・流区域外
7月 12日 追い山ならし 15時59分
7月 13日 集団山見せ 15時30分
呉服町→明治通り→市役所
7月 14日 流舁き・流区域内
7月 15日 追い山笠
本紙掲載タイトル
博多と一つになれた 新潟出身記者 山笠取材体験記 厳しい伝統 最後に感じた心地よさ

15日の「追い山」で博多の街を疾駆する三番山笠・恵比須流の舁き山。一致団結し目標だった31分台をマークした
 博多祇園山笠は十五日早朝の「追い山」で終わった。今年は博多祇園山笠振興会が発足してちょうど五十年。その節目に取材を続けてきたが、入社一年目で新潟出身の記者にとっては、異文化体験の連続だった。

 「山笠があるけん博多タイ!」。期間中、三番山笠・恵比須流の綱場町から行事や追い山に参加させてもらって、この言葉の意味が氷解できた気がする。

 スタートは六月一日、恵比須流の棒洗いだった。今でこそ行事の意味や位置づけは理解できるが、役職などの専門用語や旧町名などが飛び交う会話に、不安でいっぱいになった。

 「そんことなら〇〇町の××さんが知っとるけん、聞いちゃらんね」。そんな言葉に何度助けられたことか。本紙・都市圏版で十六回にわたって連載した「疾走半世紀―博多祇園山笠振興会」は、そんな気さくな“おいしゃん”たちの回想で戦後の山笠の歴史をひもとくことができた。

 「相談なしに福岡部で飾り山を建て、振興会と対立」(新天町)「批判されながらも、発泡ウレタンで新しい山笠人形作りを」(博多人形師・亀田均さん)。連載に取り上げたエピソードの一部だが、山笠の伝統は、新しいもの好きの博多っ子の精神が支えていた。

 山笠の運営の現場は命令系統が確立した完全なタテ社会。年配者はともかく、若者は拒否反応があるのではと思ったが、逆にある種の安心感を抱いているようにもみえた。人生の先輩であるお年寄りを立て、経験者に怒鳴られながら人間関係や舁(か)き方のテクニックを学びとる。今の時代、山笠参加者にだけに与えられた特権なのかもしれない。

 「追い山」では、記者が参加した恵比須流は目標タイムの三十一分台をマーク。ゴールとなる「廻り止め」は喜びの雄たけびを上げる男たちで埋まった。この心地よさは何だろう。日本人のDNAにあるものが引き出されたのだろうか。

 「また来年、会おうや」と、肩をたたかれた。記者も博多という街と一体になれた気がした。

 (地域報道センター・飯田崇雄)

2004/07/16付 朝刊

博多山笠振興会50年=追い山 勇壮、華麗 山笠フィナーレ 90万人歓声

勢いよく清道を駆け抜ける二番山笠・千代流 =15日午前5時5分、福岡市博多区の櫛田神社
 太鼓のごう音が、博多の街の静寂を破った。その瞬間、血気盛んな男たちは「ヤーッ!」「オイサ、オイサ」とうなり声を上げ、色鮮やかな山笠を一気に舁(か)き出した―博多祇園山笠のフィナーレ「追い山」が十五日早朝、福岡市博多区上川端町の櫛田神社から同区須崎町までの約五キロのコースで行われ、十五日間にわたった日本有数の夏祭りは、沿道を埋めた約九十万人(櫛田神社調べ)の観衆に見守られ、大熱狂のうちに幕を閉じた。

 星空が広がった同日午前二時前。七流(ながれ)の舁き山は見物客と夜店でにぎわう櫛田神社前の土居通りに次々と集まった。舁き手たちの顔に緊張感がみなぎる。出走十分前、一番山笠・西流が「櫛田入り」の山留め(スタート位置)に着くと、観衆から拍手と声援が沸き起こり、熱気は最高潮に。

 午前四時五十九分。太鼓の音と同時に、西流の舁き山は境内の清道旗をめがけて突進した。半周後、桟敷席の客らと「祝いめでた」を大合唱し、砂煙を巻き上げながら一気に街に飛び出した。その後、五分おきに各流が出走。勇壮な舁き山が空の白み始めた博多の街を疾駆すると、沿道からは「がんばれ」の声と勢い水が浴びせかけられた。

2004/07/15付 朝刊

「追い山」疾走 山笠フィナーレ

 博多祇園山笠の「追い山」が15日早朝、福岡市博多区上川端町の櫛田神社から同区須崎町までの約5キロのコースで行われ、大勢の見物客が15日間にわたった祭りのクライマックスに歓声を上げた。

 午前4時59分、「ドーン」という太鼓の音とともに、今年の一番山・西流が櫛田入り。ほかの流も5分おきに次々と博多の街へ駆け出した。

出番を待つ七番山笠・中洲流 勢い水を浴びながら駆け抜ける四番山笠・土居流

博多山笠振興会50年=オイサ 福博に熱 集団山見せ

集団山見せで街を駆ける一番山笠・西流 =13日午後、福岡市博多区
 真夏の青空が広がった十三日、博多祇園山笠の「集団山見せ」が福岡市中心部であった。地元政財界の知名士が台上がりした七流の舁(か)き山は、福博のメーンストリート・明治通りを「オイサ、オイサ」の掛け声とともに疾走した。

 舁き山が、博多部から那珂川を越えて福岡部に入るのはこの日だけ。午後三時半、同市博多区の呉服町交差点を出発した一番山笠・西流は、勢い水を浴びながら、見物客が埋め尽くす約一・三キロのコースを十五分ほどで中央区天神の福岡市役所まで駆け抜けた。

 福岡市は同日、最高気温三四・三度を記録。今年三番目の猛暑の中で、舁き手たちは沿道に用意されたバケツの水を頭からかぶっていた。

2004/07/14付 朝刊