くじゅう連山をバックに集まった相沢ファミリー。表情と態度にそれぞれの個性が表れている=9日、大分県九重町

くじゅう連山をバックに集まった相沢ファミリー。表情と態度にそれぞれの個性が表れている=9日、大分県九重町

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 山あいの小さな町の、その中心部からも離れた人口約2200人の高原地帯。大分県九重町の飯田高原に暮らす相沢加代子さん(49)は=写真右=、7人家族の田舎暮らしをブログ(日記風サイト)につづり、発信している。

 「田舎暮らし不便じゃない?」と聞かれることがある。買い物とか、病気のときとか、子どもさんの教育は? なんて。

 買い物は週1回の生協の共同購入と、40分離れた町のスーパーから週2回の配達があります。民宿をやっているので、肉やパンは業者さんが配達してくれます。ネットでおいしいケーキや本を買うこともあるし、服もネットオークション。

 学校は保育園から中学まではある。高校は通学しようと思えばできる。仕事は観光業の求人がけっこうある。

 病気のときは不便だけど、近くの町立の診療所で内科も外科も診てもらう。5人目のお産は、車で40分の産婦人科に通いました。陣痛が来てから、ぶっ飛ばして行って間に合いました。経産婦はお産が早いので…。 (相沢さんのブログより)

■自然が包む 家族の幸せ

 高原の暮らしは、井戸掘りから始まった。1988年5月。カヨ母さんは当時のことを、はっきりと覚えている。

 シャベルで穴を掘る夫の昇さん(53)。カヨ母さんはロープを結わえたバケツで土を引き上げた。昇さんは、昼食のおにぎりも7メートルの穴底でほおばり、1週間がかりで井戸を完成させた。

 カヨ母さんたちは「感動に浸る暇もなく」住まいづくりに取り掛かった。翌年、宿泊施設のオープンにこぎつけた。客室は古い貨車を改装。民営化したばかりの旧国鉄の払い下げで、1両8万円で買えた。

 子どもが1人増えるたび、家族総出で自宅を建て増してきた。業者に頼むお金の余裕がなかったこともある。「自分たちでせんといかんけん、しよっただけですよ」(昇さん)。カヨ母さんも、それが楽しかった。

 カヨ母さんは、山の景色や地元行事の様子をブログで小まめに伝えている。最近、近所のお年寄りから思いがけないお礼を言われた。「あんたのブログというのを、埼玉の息子が見ちょるって。私より九重の出来事をよく知っちょるもん」

 遠く離れてふるさとを懐かしむ人がいる。カヨ母さんも独身時代は関西で暮らした。その気持ちがよく分かる。

 飯田高原に住んで21年。子どもが5人いたおかげで、地域にとけ込みやすかった。長男と末っ子は14歳違い。同級生の親との付き合いも年代が幅広い。

 「若妻会」という地元の女性グループがある。年に数回の飲み会を楽しんでいる。ホタルの名所の温泉に出掛けたことを書いたブログは、いかにも楽しそうだ。

 「飲んだ、飲んだ、食った、食った、しゃべった、しゃべった。生ビール3杯! ホタルも見る予定だったけど、飲んで食っただけで帰ってきましたとサ」

 標高900メートル。山あいに吹く風は、まだ冷たい。昇さんが営む青果店の裏庭で、昇さんと長男昇太さん(21)が材木をのこぎりで切っていた。

 「おい、ドライバー持ってこい」。昇さんが三男大地君(13)を呼んだ。大地君は無言でそれを父に手渡す。不機嫌そうな表情が難しい年ごろであることを物語る。

 翌日、大分市内で下宿している長女の実智さん(16)が帰省した。家族7人そろうのは久しぶりだ。記念撮影をすることになった。場所は、カヨ母さんがお気に入りのラベンダー園がある小高い丘。背後に九重連山がすそ野を広げている。

 カメラを前に、二男の義紀さん(18)が弟たちのひじをつついて、ふざけ合う。大地君にも笑みがこぼれた。さまざまな地域に、家族の数だけの幸せがある。その1つの形がいま、ここにある。「ほら、ちゃんと写んなさい」。カヨ母さんと家族の笑い声が、春を待つ高原にこだました。  (わたしたちの九州)

=2008/03/28付 西日本新聞朝刊別刷掲載=