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音楽随想(矢内原洋介)

トニー・ベネットの技1988

11/12/13(Tue)

トニー・ベネット生誕85周年記念デュエットアルバムと大袈裟に銘打たれたアルバムを聴いていた。

85才になったトニー・ベネットとレディー・ガガのデュエットがすごくいい。

自分を包んでくれる百戦錬磨の飼い主のもとでガガの才気が湧き出ている。

相方のパフォーマンスを引き上げる技を持っているらしい。

シェリル・クロウがこんなに歌がうまかったのか。

ノラ・ジョーンズに色気が舞い降りている。

そんなポイントに気づいた。


今は枯れてしまった声がもっと艶やかだった頃、僕は目の前で稀代の歌い手の歌声を聴いたことがある。


日本で初めて青山に「ブルーノート」がオープンした時の最初のゲストは確かトニー・ベネットだったように思う。(間違っているかも知れません。)

1988年のことだ。

僕は女友達に誘われてその特別なショーに行った。

「ブルーノートのオープニングショー行こうよ。関係者が友達なのよ。チケットあるから行こうよ。」

28才の彼女は、僕の拒絶はまるで存在しない前提でそう言った。僕は返した。

「すごいな。チケット高いんだろう?でも、誰のショーなの?」

彼女はハンドバッグからチケットを取り出して読んだ。

「トニー、・・・ベネ・・・トかな?」

僕はそのチケットを彼女から取って確認した。印字は「TONY BENNETT」となっていた。

「嘘みたいだな、ほんとかよ。トニー・ベネットが来るんだ。行こう、そのオープニング。幾らだ?」

僕は2万円でも行こうと思った。もし3万円でも、数分間考えて行くことにしただろう。

「だから、その友達が私にくれたのよ。その日は業界人だらけらしいよ。それにしても、君が好きだと思ったんだ、そのトニベネって人。ところでさ、そのショーの後に相談事ありなんだけど。オーケー?」

彼女はいつも濡れたように口紅を塗っている唇で煙草を吸いながらそう言った。
僕はすぐに答えた。

「あのう、トニベネじゃなくてトニー・ベネット。トニー・ベネットが聴ければ何でもオーケーです。」

1988年、28才の僕は、62才になった稀代の歌い手をたいへんな至近距離で鑑賞した。

音楽に関してこの幸運を超える出来事はそれ以来まだ到来していない。


「あのさ、トニベネほんとに、ほんとによかったよ。」

彼女はまるでこのショーが僕のおかげでもあるかのように言った。

彼女はカンパリソーダ、僕はジャックのソーダ割りを相当飲んでいた。

赤の薄いニットのセーターが彼女のラインを優美に見せていた。

「まあトニベネでもいいけどさ・・・やっぱりよかったな。声も衰えてないよ。映画「ゴッドファーザー」の中で、「声が衰えて最近不振だ。」とドン・コルレオーネに映画出演の話を何とかしてほしいと頼みに来た歌い手を思い出したよ。あれは彼がモデルらしいけど、実際の声は衰えてない、ぜんぜん。」

「ジャズってあんまり聴かないけど、男のボーカルっていいね。私、男好きだからかな?体に響くんだよね。今日は特にそうだった。生の男の太い歌声って私の体と共鳴するのかな。」と照れ笑いした後で、「その男好きの話なんだけどさ・・・」と言って、彼女は急に暗い顔になった。といっても、涙への中間点であるような暗い表情ではなく、どこか、「人間だからこの程度はしょうがないよね。」と訴えている表情を顔に少しだけ滲ませていた。

吸っていた煙草を灰皿に擦りつけてその火を消しながら話し始めた。

その日は何故か口紅の付いた煙草がセクシーに感じた。

彼女は1週間前に別れた男との思い出話とどうすればその男と元に戻れるかについて、1時間近く僕に一方的に話した。昔、アナウンサーを目指していただけに、歯切れのよいしゃべりで、起承転結のはっきりした話だった。

女性から感情移入のほとんど無い別れ話を聞かされたのはその時が多分初めてだった。

別れた原因は彼女の浮気らしい。

僕はできるだけ親愛の情をこめて、
「その男好きを直さない限り同じことの繰り返しだよ。」と言った。

僕はここ数年の彼女に纏わるすったもんだの男話を思い返した。10件以上はあるだろう。

「でも、今回はまじで好きだったのに・・・。もっともいつもその時はまじなんだけど。」

彼女はクスッと笑った。

僕もできるだけ親愛の情をこめて少し笑った。

僕は、彼女の綺麗な顔や優美な体のラインや開放的な性格などを原因として、たいへん男にもてることは必然なのだと常日頃から思っていたが、こんな風に隣に接近して彼女と長時間いると、彼女と男たちのすったもんだの原因はそれ以外にも重要な理由があることに気がついた。

彼女のどこかから、何かフェロモンばりの化学物質が排出されており、それに男たちが反応しているのではないかと思った。

実際にその日の僕には化学物質が充分到達していたように思う。

僕は彼女を性的対象物として強く感じたのは、彼女と2年前に友達になって以来初めてだった。

その日彼女は酔い潰れたので、僕はタクシーで彼女を彼女のマンションの部屋に送って行った。

彼女はすぐに寝てしまい、僕はソファーで寝ることにした。

化学物質は彼女が寝てしまってからも排出され続けていた。

僕は僕の中の理性を最大限に活性化して、化学物質によって起こる体内の反応を抑制し続けた。その夜、ほとんど眠れなかった。

その後、僕は数カ月間彼女と付き合うことになった。

日本の女性としては希少なカテゴリーの女について面白い体験を授かったのは、彼女がそう呼ぶトニベネの生の歌声のちからのおかげだったのだと、今になって思い出の整理をした。

それにしても、トニー・ベネットは、女性のパフォーマンスを高めることのできる稀有な男として、21世紀を生きる男たちに生誕85周年を祝福されるべきかも。

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