一九七〇年夏、大阪。日本万国博覧会を訪れた中村聡は、敗北感にさいなまれながらも、不思議な安らぎを感じていた。国民総生産(GNP)で自由主義圏第二位に立った敗戦国が、「人類の進歩と調和」をテーマに開催した世紀の祭典。近未来の意匠をまとったパビリオンに並ぶ人々の顔は、誇りと喜びに輝いていた。
「ぼくらの戦いは終わったんだ、とはっきり分かったんです」。五十三歳になった中村は述懐する。「そう、戦いです。龍さんなら『祭り』というでしょうがね」。郷里、長崎県佐世保市でイベント企画などを手掛ける中村は、照れたようにほほ笑んだ。
小説「69」は六九年の佐世保を舞台にした、痛快な「闘争と祭り」の物語だ。
高校三年のケンは相棒のアダマ、後輩のマスガキらと、夜の高校に侵入。屋上への出入り口を机やいすでバリケード封鎖(バリ封)し、校舎のあちこちにペンキで書き殴った。「国体粉砕」「造反有理」「同志よ、武器を取れ」。屋上からはためく垂れ幕には「想像力が権力を奪う」。校長の机にうんこまで垂れた。バリ封後、自宅謹慎をくらう。解かれた後はさっそく、ロックと自主制作映画のフェスティバルへ―。
エピソードはほぼ実話に基づき、登場人物にはモデルがいる。ケンはもちろん村上龍。中村はマスガキで、後日談的につづれば、翌七〇年に卒業式粉砕を決行して退学処分を受け、関西の高校に転校している。
「女にもてたい!」というオスの本能に忠実なケンは、「何かを強制されている個人や集団を見ると」「不快になる」。体制の中で退屈して生きる者には「一生、オレの楽しい笑い声を聴かせてやる」と言い放つ。ほとばしる反権力のエネルギーこそ、このロングセラー小説の魅力である。それは時代を揺るがした力でもあった。
アダマこと室田正則(54)=広島市=は「当時は文化も政治も生活もすべてが変わるという熱気があった」と語る。六〇年代末、「ラブ&ピース」「自由」を叫ぶ色鮮やかなカウンターカルチャーとともに、世界各国で若者による反体制闘争が勃発した。日本の学生たちが闘った大きな敵は主に二つ。体制のヒエラルキーを固定化する大学の管理主義と同盟国・米国が進める“汚れた戦争”、ベトナム戦争だった。
六八年一月十七日、米原子力空母エンタープライズ号の寄港に反対する学生約八百人が、平瀬橋で機動隊と激突した。血を流して追われる学生を市民はかくまい、逃した。「いい女を連れ回し、少ない平地を独占する米国に対するうっぷんが、学生への共感を生んだ」とマスガキ=中村。機動隊に投石した中学生の一人だった。
学生運動はこの年、一気に燃え上がるが、約一年後の東大安田講堂陥落を境に退潮が始まる。
夏、長崎県内有数の進学校だった県立佐世保北高校で村上はバリ封を起こした。まるで、安定期に移行する体制を不意打ちするかのようであった。
六〇年代末の闘いは敗北に終わった―という見方は今も根強い。万博のにぎわいに挫折感を抱いた中村もその一人だろう。が、その後のジェンダー、人権、環境といった多様な分野における、小さいが息の長い闘争をはぐくむ素地になったという意見もある。
ともあれ、一つだけ言えることがある。社会はその後、徐々に熱を失い始めたということだ。
芸能プロモーターとして西日本を奔走するアダマ=室田は「豊かさの中で日本人は去勢されてしまった」とつぶやく。「69」ではバンド仲間のフクちゃんとして登場し、今もベースを弾く増田清晴(54)=福岡市=は「七二年のあさま山荘事件が最後通告。以降、音楽でいえば、『反体制』さえパッケージ化されて消費されるようになった」という。「モノを買う」行為が幸せや満足感、時には自由の感覚やアイデンティティーさえ与えてくれる高度消費社会が到来した。うっすらと虚無感を伴いながら…。
二〇〇五年末、中村と別れて夜の佐世保を歩く。ふらりと寄ったバーで、中年男性が語りかけてきた。「福岡はどう? 佐世保は不景気でどうしようもない」。疲れのにじむ顔が、くたびれた自分を映す鏡のようで気が滅入った。瞬間、村上の精気あふれる顔を思い出す。まったりとした停滞感や退屈、もたれ合いに対する、強烈な嫌悪といらだちは、「69」から近作「半島を出よ」まで一貫して変わらない。「69」に描かれた青春こそ、作家・村上の原点だった。
バーを出ると、星一つない曇り空が広がっていた。朗らかなケンの笑い声を無性に聞きたくなった。
=敬称略
(文=地域報道センター・岩田直仁、写真=写真グループ・岩崎拓郎)
▼むらかみ・りゅう
1952年2月19日、長崎県佐世保市生まれ。佐世保北高校卒。武蔵野美術大学在学中の76年、デビュー作「限りなく透明に近いブルー」を発表し、第19回群像新人文学賞、第75回芥川賞を受賞。主な著作に「コインロッカー・ベイビーズ」「愛と幻想のファシズム」「トパーズ」「半島を出よ」など。「69」は女性雑誌「MORE」に連載された後、87年に単行本として出版された自伝的小説(現在は集英社文庫)。2004年、映画化された。
●私の推薦文
楽しいけど、アブナイ奴 井和美さん(26)=派遣社員
佐世保北高校の一九九七年卒業生です。村上龍さんの母校ということは知ってましたが、当時聞いていたのは「在校時にやばいことを起こして、学校は立ち入り禁止」といううわさ。その「やばいこと」がバリケード封鎖だったんですね。
随分昔の本だけど、佐世保の雰囲気がよく出ていて、すごく面白かった。「全共闘」とか「べ平連」とか全然知らなかったのでネットで調べましたが、あの時代はすごく熱かったんだなぁ、とびっくりしました。
私たちの世代は結構クールな感じだったし、学校に不満があっても愚痴を言う程度。ケンみたいに思ったことを行動に移すタイプはいませんでした。周りにこんな子がいたら面白そうだけど、アブナイから近づかないかも(笑)。








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