無限軌道の轟音(ごうおん)がブルドーザーの接近を告げるように、「ドグラ・マグラ」という異様な響きにこそ、この小説が秘めた衝撃力のすべてがある。
主人公の「私」は、柱時計の時報で目覚める。隣室からは少女の「お兄さま」と叫ぶ声。「私」は九州大学医学部の精神病棟に記憶喪失者として収容されている。「私」は正木敬之と若林鏡太郎という二博士に会い、自分の名前は「呉一郎」、隣室の少女は従妹(いとこ)で許嫁(いいなづけ)の「呉モヨ子」らしいと知る。
「私」は催眠状態で二つの殺人を犯したらしいが、その殺人は二博士によって自分の出生以前に計画された「心理遺伝」の証明作業の一段階で、実験は依然進行中と気付き慄然(りつぜん)とする。
果たして自分は「呉一郎」か?
違うとすれば、自分は一体誰か?
恐怖に満ちた「自分探し」の迷宮に、「私」は引きずり込まれていく…。
「これを書くために生まれてきた」と夢野久作が十年間手を入れ続け、奇天烈(きてれつ)な内容と原稿用紙千二百余枚という大作ゆえに出版先が決まらず、一九三五年、自費出版で世に出した執念の作品。久作の熱情とこの作品のルーツはどこにあるのか。彼の日記をひもとくと、一本の映画に行き当たる。
―昭和元(一九二六)年四月五日 銀座にて映画を見る。ガリガリ博士―
「ガリガリ博士」とはドイツ映画「カリガリ博士」のことだ。ある町にカリガリ博士という催眠術師が見世物小屋を開く。出し物は催眠状態で予言をする「眠り男」。眠り男はある観客に「今夜死ぬ」と言い、その通りになる。不審を抱いた若者が博士の正体を追及すると、実は精神病院の院長だった。眠り男はその患者で院長に操られて殺人を繰り返していたのだった。追及した若者は院長の手で患者として病院に監禁され、映画は終わる。
映画を見た久作は、間もなく「ドグラ・マグラ」に着手する。なぜ久作はこの映画に触発されたのか。そこには、久作とこの映画の制作者たちが共有していた「同時代の不安」があったからだろう。
「カリガリ博士」は、ロベルト・ヴィーネ監督らユダヤ系映画人がファシズムの台頭を予感しつつ制作した。当初の脚本では、カリガリは人民を操り、戦争に駆り立てる催眠術師として描かれ、映画の「予言」は数年後、ヒトラーの出現で現実となった。
「夢野一族」「夢野久作読本」の著者、多田茂治(78)は「『ドグラ・マグラ』は、怪奇あり、猟奇ありの内容で目くらましされそうだが、実は文明批判を基軸とした思想小説であり、近代の闇を照らしている」と指摘する。「ドグラ・マグラ」に着手する前年の一九二五年に治安維持法制定、三一年に満州事変、三三年に日本の国際連盟脱退…。軍靴の響きが着実に近づいていた時代だった。
久作は「戦場」(三六年)で「戦争とは(中略)人間の大群が、やはり何の興味も感激もなしにバタバタと薙(な)ぎ倒され、千切られ、引き裂かれ、腐敗させられ、屍毒(しどく)化させられ、破傷風化させられていくことである。その劇薬化させられた感情の怪焔(かいえん)…毒薬化された道徳の異臭に触れよ、戦慄せよ」と激越な表現で戦争を弾劾している。
「ドグラ・マグラ」が刊行された翌月、父で「政界の黒幕」といわれた杉山茂丸は久作に言う。
「汝(なんじ)は俺(おれ)の死後、日本無敵の赤い主義者になるやも計られず」と。久作も「全く痛み入る。あたらずとも遠からず。修業足らざるがゆえに看破されたる也(や)」と苦笑している。
当時の軍国日本の思想、風潮からいえば久作は異端者であった。だからこそ彼は、「カリガリ博士」という戦争の予感に満ちた不安の物語に強く共振していったのだろう。
久作の長男、杉山龍丸は著書「我が父・夢野久作」で印象的なエピソードを紹介している。子ども時代に龍丸が、国学書「大学」を学校で習った通りに「天子の道は民に親(した)しむにあり」と声に出して読んでいたら、「馬鹿っ! そんな読み方をする奴(やつ)があるかっ!」と、書斎から久作が飛び出してきて「これは『民を親(おや)にするにあり』と読むのだ」と怒鳴(どな)ったという。
天皇の親は人民であるという久作の思いとは裏腹に時代は流れた。「大君(おおきみ)の辺にこそ死なめ」―。軍歌「海行かば」に象徴されるように国に殉ずることが美化され、軍部はノモンハン、ガダルカナル、インパールと人民の命を浪費した。ある意味、日本全体が戦争遂行のための、巨大な集団催眠装置と化していったのだ。
戦後六〇年が過ぎた。しかし、くだんの催眠装置は日本のどこかで静かに、そして強力に稼働してはいないだろうか。安らかな眠りを破り、人間が人間でなくなる時代の始まりを告げる柱時計の音が鳴り渡る日は近いのかもしれない。闇の中に一人震える「私」とは、まさにあなた自身のことである。
(文=多久支局・大田精一郎写真=写真グループ・納富猛)
▼ゆめの・きゅうさく
1889年(明治22)1月4日、福岡市小姓町(現中央区大名)に、杉山茂丸、ホトリの長男として生まれる。本名は泰道。慶応義塾大中退後、同市東区香椎に杉山農園を開くが、その後、雲水などをして全国を放浪。1919年に九州日報(現西日本新聞)記者となる。26年、雑誌「新青年」の小説募集で、初めて夢野久作を名乗った「あやかしの鼓」が2等になり注目される。「瓶詰地獄」「犬神博士」「氷の涯」「暗黒行使」「近世怪人伝」などで、探偵小説界に特異な地位を築くが、36年3月11日、前年に没した茂丸の葬儀の決算報告を受けた直後に脳出血で倒れ、死去。
●私の推薦文=「自分」はどこからくるのか 松本サルトさん=フリーライター(福岡市在住)
ミュージシャンで作家の大槻ケンヂ。八〇年代のバンドブームで脚光を浴び始めたころ、彼は「モヨコ」と名乗っていた。その名の由来は古い小説らしいと何かで知った。それが『ドグラ・マグラ』だった。
当時読んだときは、現実と妄想の境目や時間の連続性が曖昧で、グニョグニョな久作の世界観が、ただただ面白かったという印象。あれから二十年。読み直すと、物語の中で繰り返される「私」の言葉にひきつけられた。「自分の心が、自分で自由にならない場合が非常に多い」。
感情をコントロールしたいという意味ではない。心に何かが浮かぶ、そのこと自体を人は止めることができない。魂の奥底からこみ上げる感情を、誰も自由に制御できない。いわんや国家や他人の圧力では。
この小説の真のテーマは「魂の自由」。時代に違和感のある人、ハマってみて。
▼メモ
九州日報記者時代、久作は児童画の審査も担当しました。落選作から気に入った作品を家に持ち帰り、一冊の画帳にまとめ創作に行き詰まったときにながめていたそうです。94年、福岡市で開催された回顧展「快人Q作ランド」に現物が出品されました。表紙には久作の達者なレタリングで「こどもの芸術」と書かれ、久作の人柄を垣間見た気がしました。ちなみに「カリガリ博士」を見た日の映画は2本立てで、日記には「ジャッキー・クーガン」とあります。これは子役の名で、映画はチャップリンの「キッド」だったと推察されます。案外、久作のお目当てはこっちの映画だったのかもしれません。
■久作の一族が眠る杉山家の墓所は、福岡市博多区中呉服町の一行寺にあります。








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