西日本新聞

千年書房・九州の100冊

石牟礼道子「苦海浄土」

 ある裁判の記録が残っている。一九七四年六月、熊本地裁の出張尋問で水俣病患者の男性が証言した。
 「―私たちは、小さいときに、桃太郎が鬼を退治に行く話をよく聞かされたわけで、桃太郎は本当に気は優しくて力持ちで、弱い者を助けて、鬼を退治すると、本当にえらいなと思っとりましたが、その桃太郎が鬼を退治するんじゃなくて、弱い者をいじめ抜いて本当に悪い桃太郎になってしまったなと、そういうふうに思って、情けないわけです―」
 ここでいう桃太郎とは国家を、鬼とは水俣病の原因企業・チッソを指す。被害者に優しく手を差し伸べるはずの桃太郎が、なぜ弱い者をいじめるのか、と。後日、水俣病の支援者に向けた機関紙に、この証言が再現された。
 「わたしどもは、親たちから小まんか時、桃太郎の話をきいて、桃太郎は、えらかねえ、ち…思いよりました。鬼征伐にゆく桃太郎は、えらかねえ、ち、思いよりました。桃太郎は、…ああ、裁判長さん、今は、逆さま、逆さまの世の中で、桃太郎は弱かもんいじめをして…、鬼がわたしどんばいじむっとこれ、桃太郎はどげ(どこ)…ああほんなこて、こげん裁判ばして、裁判長さん…」
 一読して分かるように、後者は脚色である。だが、それは圧倒的に前者の「事実」を凌駕(りようが)する。石牟礼道子さんの筆にかかってしまうと。

 「苦海浄土」は今日、いわゆるノンフィクションやルポルタージュではなく、小説の項に分類されている。
 しかし、地名や日時ばかりか、人物や団体の名前にも実在のそれが多く登場する。「虚」が、より雄弁に「実」を語る世界に知らず知らずのうちに引き込まれる。
 ふるさと・水俣で起きた未曾有の公害。それを描くことは「悶々(もんもん)たる関心と控えめな使命感を持ち、これを直視し記録しなければならぬという盲目的な衝動」(「苦海浄土・五月」)であったと記す。
 「私の故郷にいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉」(「苦海浄土・死旗」)を語り伝えるために「(私は)近代への呪術(じゆじゆつ)師とならねばならぬ」(同)とも述べる。
 いわれなき死に見舞われた人たちの。脳を冒され人生を失った人たちの。生まれながらに毒に蝕(むしば)まれた子どもたちの。
 その沈黙に閉じ込められた声なき声、言葉にできない言葉を、静かな怒りを込めて代弁する。「石牟礼道子巫女(みこ)説」。今日まで、そうささやかれる由縁でもある。
 それにしても、この本に誘われて一体どれだけの人が水俣に足を踏み入れたことだろう。
 「ぼくら、外から来た人間にはバイブルです」
 水俣市で紙漉(す)き工房を営む金刺潤平さん(46)は即答する。
 大学卒業後、本に触発され縁もゆかりもない水俣に移り住んだ。紙漉きを始めたのも、「胎児性水俣病の子どもたちにも、何かできる作業があるんじゃないかしら」と漏らした石牟礼さんの言葉がきっかけになった。
 「『苦海浄土』は創作だけど、とんでもない労作。あれを読んだら、『自分も何か』と第三者の傍観者ではいられなくなる」
 かつて水銀ヘドロで覆われた水俣湾埋め立て地に、野仏が立つ。石牟礼さん、金刺さんたちのグループが、毎年、数体ずつ手彫りのお地蔵さんを供える。
 水銀に毒された魚介や、実験の犠牲になった猫など、あらゆる生類の霊を悼む。いま五十三体。いずれも、海に向かって手を合わせる。
 一九六九年の発表から三十七年。作品の魅力は、いまも失(う)せてはいない。石牟礼さんを通じて発せられる被害者たちの声は、変わらず水俣病を告発し続けている。
 だが、そうやって輝き続けるが故の「功罪」を指摘する声が、ポツリ漏れ聞こえる。水俣市のある患者支援者はいう。
 「『苦海浄土』のイメージがあまりに強すぎて、水俣はいまだに悲惨な状態だと、あんなひどい症状の人だけが水俣病だと誤解されはしないか」
 もちろん、作品の側にその責があるはずもない。ただ、当然ながら今は「苦海浄土」の水俣ではない。劇症の重篤な症状だけが水俣病でもない。
 そして支援者は続けた。「『苦海浄土』に続く水俣病を誰も書けなかった。『苦海浄土』がでかすぎて、誰もその壁を乗り越えられなかった」―。
 記者は数年前、石牟礼さんにコメントを求めたことがある。
 水俣病事件史のもう一つの主舞台、東京・丸の内にあったチッソの本社が移転することになったため、往時、その“内側”で闘争に立ち会った証人として話をうかがいたかったのだ。
 瞬間、絶句した。「あの当時は、チッソの方々もご苦労されたんだと思います」。消え入りそうなか細い声で、短く、そんな趣旨の言葉が返ってきた。
 祈りの世界など遠く思いも至らず、多少なり憤怒の言葉を期待していた私もまた「苦海浄土」をひきずっていた一人だった。
 (文=社会部 ・進藤卓也 写真=写真グループ・岩崎拓郎)

▼いしむれ・みちこ

 1927年、熊本県・天草に生まれ、生後3カ月から水俣市に移り住む。戦前は代用教員を務めたが、軍国教育の一端を担ったと自責し、戦後退職。結婚後、主婦業の傍ら、56年5月1日に公式確認された水俣病の被害者、家族の姿を書きためた。被害者が起こした水俣病第1次訴訟を支援する「水俣病対策市民会議」の発足に携わる一方で、裁判によらずチッソとの直接対話を求めた故川本輝夫さんたちの自主交渉を支援。その現場を生々しく伝えた。2004年は創作能「不知火」を水俣湾埋め立て地で開催。水俣市に計画の産廃処分場にも、反対の声を上げ続けている。

●私の推薦文=そこに不思議な美しさ 山下 善寛さん(65)=元チッソ社員(熊本県水俣市)

 もう亡くなりましたが、赤崎覚さんという水俣市の職員がいて、まだ誰も見向きもしなかったころから水俣病の患者さん宅を訪ね回っていた。石牟礼さんは、その後からついて歩いて家族の話なんかを聞いておられた。一番ひどかった時期の、一番リアルな様子を見た人です。
 それでいて、「苦海浄土」には不思議な美しさがあります。もちろん、現実の患者さんや家族の姿は、あれほど美しいものじゃありません。ものすごく深い心の持ち主で、患者さんたちの心を全部分かっていたんでしょう。そうじゃないと、水俣病の現実からはあの作品は生まれてはきません。
 石牟礼さんの特徴は「弱い者の立場でものを見る」ということだと思います。それが、多くの人たちに感動と共感を与えたのではないでしょうか。

▼メモ

 ■「苦海浄土」は1969(昭和44)年、講談社から単行本が、72年には文庫判が出版されました(2004年に新装)。「神々の村」「天の魚」と続く2作と合わせ、三部作として完結します。1970年、「苦海浄土」は第1回の大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれますが、石牟礼さんは受賞を辞退しています。近年では、若者に人気の作家・田口ランディさんが「苦海浄土」をテーマにした講演を行うなど、若い作家にも影響を与え続けています。

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