西日本新聞

千年書房・九州の100冊

夏目漱石「草枕」

 那美さんに会ってみたい。
 「草枕」の読み方はいろいろあるだろうが、私のような三十代後半、中年の域に差しかかる男性ならば、同じ読後感を抱くのではないか。作品を二週間前後で書き上げた三十九歳の漱石が、ヒロインに寄せるひそかな思いを行間に読み、共感するからだ。
 この作品は、漱石が旧制第五高等学校(熊本市)の英語講師時代に体験した小天(おあま)村(熊本県玉名市)への小旅行を題材にしている。
 主人公は漱石を投影した「画工」。那美さんは、画工が宿泊する温泉宿に出戻った美しい女性として登場する。このヒロインが実に魅力的だ。画工が俳句を書き留めた写生帳にこっそり自作の句を書き込んだり、湯船につかっていたら全裸で現れたり、夕暮れの廊下を振り袖姿で何度も往復してみせたり。画工はとっぴな行動に引かれつつ、おろおろするばかりだ。

 「私が身を投げて浮いている所を―苦しんで浮いてる所じゃないんです―やすやすと往生して浮いている所を―奇麗(きれい)な画(え)にかいて下さい」
 「え?」
 「驚いた、驚いた、驚いたでしょう」―。
 那美さんにも実在のモデルがいる。孫文らの辛亥革命に深くかかわった女性だった。

 華道家宮崎蕗苳(ふき)さん(80)=東京都豊島区=は、昭和の初めごろ、自宅の向かいに住む「おツナおばあさん」を覚えている。祖母の姉にあたる人で、熊本から上京してきたという。
 「とても穏やかな人だったわね。小学校への通学路沿いにあったから、帰り道に立ち寄ったりしてたんですよ。いつも質素な着物姿でした」
 那美さんのモデル、前田卓(つな)(戸籍上はツナ。一八六八―一九三八)の晩年の姿である。そして卓の妹の夫、つまり蕗苳さんの祖父は日本亡命中の孫文を援助し、辛亥革命を成功に導いたアジアの快男児、宮崎滔天(とうてん)(一八七一―一九二二)=熊本県荒尾市出身。
 卓は小天村の大地主で、自由民権運動の先導者でもあった前田案山子(かがし)の二女として生まれた。武芸に秀でた、おてんば娘だったらしい。だが、奔放さが時代に受け入れられなかったのか、三度の結婚に失敗。実家も兄弟姉妹間の争いの果てに没落していく。
 一九〇〇年、卓は自活の道を求めて上京。滔天に勧められ、孫文らが結成した中国革命同盟会の拠点、民報社に住み込み、家事の「取り締まり役」となる。ただの賄いのおばさんではなかったらしい。民報社は当時、国際政治の陰謀渦巻く場所だった。
 「ずいぶん危ない橋を渡りました」
 彼女は後年、漱石のまな弟子、森田草平にそう語っている。

 漱石が小天村を訪れたのは一八九七年暮れ。案山子が迎賓館として活用していた別邸に八日間宿泊した。卓は二度目の離婚を経験して実家に戻っており、漱石の世話をしたらしい。
 評論家江藤淳は著書で「重要なことはこういう女(卓)に金之助(後の漱石)が惹(ひ)きつけられたという事実である」と書いている。恋愛感情があったかは分からない。ただ、漱石は小天村を「那古井(なこい)」と表現しており「那美さん恋し」の暗示とも読める。
 「草枕」は「吾輩は猫である」「坊っちゃん」に続く、漱石三作目の小説として世に出た。前二作にはヒロインと呼べる登場人物は見当たらないから「那美さんは漱石が初めて描き、その後の作品で追求した『新しい女』の原型だった」(中村青史・元熊本大教授)といっていい。
 女性像だけではない。博多、久留米、佐賀、宇佐、日田、阿蘇…漱石は熊本時代に九州各地を旅し、その体験を「二百十日」「三四郎」「道草」などの作品に生かしている。彼は生涯で二千句近くの俳句を残しているが、うち四割がこの時代のものという。漱石の文学は九州で幅を広げた。

 後に知識人の苦悩を描き、近代の意味を問い続けた漱石が、九州の片田舎で新時代の風に触れながら悶々(もんもん)とした日々を送る卓に、少なくとも親近感を抱いたのは間違いない。だが、さすがの彼もアジアの革命に目を開いていく「新しい女」のたくましさまでは見抜けなかったのかもしれない。
 「草枕」が発表されてちょうど百年。漱石が歩いた「山路」をたどり、かつての小天村を訪ねた。菜の花が目に染み、ヒバリのさえずりが聞こえた。峠を越えて眼下に現れたのは有明の海に縁取られた鄙(ひな)の里だった。
 この風景で二人が出会って十数年後。卓は漱石の自宅を訪れ、その後の波乱の人生を語っている。遠い日に心を寄せた女性の思わぬ身の上話に、漱石はどのような感慨を抱いたか。
 「…そういうことだったのか。それではひとつ『草枕』も書き直さなければならないかな」
 文豪はそうつぶやいたという。
(文=熊本総局・山本敦文 写真=写真グループ・岡部拓也)

▼なつめ・そうせき

 本名・夏目金之助。1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区)に名主の末っ子として生まれる。幼いころに養子に出され、青年期まで塩原姓を名乗る。東京大学英文学科卒。愛媛県尋常中学校(松山中学)英語教諭を経て1896年、第五高等学校に英語講師として赴任。熊本には4年3カ月暮らし、結婚や長女の誕生、6回の転居などを経験している。英国留学の後、東京大講師に就任。1905年、「吾輩は猫である」を雑誌「ホトトギス」に発表、大評判となった。代表作に「坊っちゃん」「三四郎」「それから」「こころ」など。1916(大正5)年、胃かいようによる内出血で死去。

●私の推薦文

絵のように情景が浮かぶ 井上 靖さん(46)=「草枕温泉てんすい」総務課長(熊本県玉名市)

「草枕」は情景が目に浮かびやすい、絵のような小説ですね。例えば、漱石はこの作品で十数種類の花を描写しています。菜の花、タンポポ、スイセン、モクレン…ヒロインの那美さんをツバキに、画工自身を木瓜(ぼけ)に例えたりしている。これらの花の一つ一つを思い浮かべるだけで、漱石が桃源郷として描いた「那古井の里」の風景が広がってきそうです。
 私が最も好きなのは画工の目の前で那美さんが別れた夫にこっそり金を渡す場面。とてもスリリングで、映画のクライマックスのようなシーンです。この後、ミカン畑の「白壁の家」が出てきますが、私の実家はこの近くなんですよ。古里が名作の舞台になっているのは、なんとも不思議な気分ですね。
 まず作品を読んで、旧小天村の風景を目で確かめて、もう一度作品を読み返す。「草枕」の世界を楽しむ、ひとつの方法だと思います。

▼メモ

 本文に登場する滔天の孫、宮崎蕗苳さんの母親は、実は九州の炭鉱王の妻という立場で駆け落ちして騒がれた歌人柳原白蓮(びゃくれん)です。「草枕」と世紀の恋愛事件の両ヒロインは縁戚関係ということになります。もちろん、漱石はその事実を知らなかったでしょうが、名作には歴史の糸を紡ぐ不思議な力があるのかもしれません。蕗苳さんによると、漱石の死後も卓と夏目家の交流は続いたそうです。卓は現在、埼玉県新座市の平林寺に養子とともに静かに眠っています。

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