朝、集団登校する子どもたちは、学校玄関の前で立ち止まり、声をそろえて朗詠する。
若竹の伸びゆくごとく子ども等よ真直ぐにのばせ身をたましひを…
宮崎県日向市東郷町内の小学校5校では、登校時、若山牧水の歌を詠む。20年ほど前から受け継がれてきたその節回しは、学校によって微妙に異なっているのだそうだ。
「今日も一日楽しく過ごそうって気持ちになります」。ランドセルの児童がそう言う。ここ東郷小学校でも、それは毎朝のあいさつ代わり。牧水の歌の心が、子どもたちの心に溶け込んでいるようだった。
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ
「どの歌も子どもたちは明るい声で詠んでいますよ」とは、圖師(ずし)宗忠教頭(46)。秋の夜の哀愁も子どもたちにかかれば、春の朝のさわやかさに変わるのだった。
幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく
旅をこよなく愛した歌人若山牧水。「旅ゆく」牧水は何を思い、何を求めていたのだろうか。彼の故郷、東郷町を訪ねた。生家がある坪谷地区を牧水は次のように書いている。
「家は村を貫通する唯一の道路に沿ひ、真下に渓に臨んで居る。(中略)私はものごころのつく頃から痛くこの渓と山の雨とを愛した」
牧水という号の「水」はこの渓流、「牧」は母の名マキにちなむ。牧水の歌の原点は故郷にある。進学のため14歳で故郷を離れて延岡市に移った牧水は、以降東京、沼津と居を移し、東は網走、西は韓国の珍島まで旅をした。生涯に詠んだ約9000首のうち三分の一は旅の途上で生まれ、全国各地には300近くもの歌碑が残る。歌人で、宮崎県立看護大学の伊藤一彦教授(62)はこう話す。
「常に外界にあこがれながら、同時に古里を求めていた。その二面性が表現の源なのです。歌を詠むためには、旅をせずにいられなかった」
旅に出ては、そこの自然に故郷や妻子の表情を重ねる歌を詠み、家にあっては、遠くの山水に思いをはせる。いとしいものを率直に求める心は、ありのままの良さを歌い上げる「牧水調」を生んだ。
あるときその牧水調が、読点を多用した破調へと変化をみせた。
思ひつめてはみな石のごとく黙み、黒き石のごとく並ぶ、家族の争論
第六歌集「みなかみ」は、牧水が27歳のころ父の病により坪谷に帰郷した時代の作品。いとしいはずの故郷の自然が、苦悩を投影する対象として描かれている。二代続く医者の家の長男として生まれた牧水にとって、帰郷し、そこに根を下ろすことは、歌人としての道を絶つことを意味した。
若山牧水記念文学館の那須文美事務局長(64)の案内で、生家の裏山に向かった。斜面に沿って横たわる直径二メートルほどの石に、歌が刻んである。
ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り
「この岩に寝そべって、自分の行く末を思い悩んでおったそうです」
ひんやりとした岩に座り込むと、牧水が「かなしい」と詠んだ尾鈴山の緑が目前に広がった。分厚い雲が辺りを包み、心なしか緑もくすんで見える。この緑を、彼はどんな思いで見つめたのだろう。目を閉じて川のせせらぎと鳥の声を聞いた。
納戸の隅に折から一挺の大鎌あり、汝が意志をまぐるなといふが如くに
歌人として生きることを選んだ牧水は再び故郷を離れた。もう故郷に住むことはない。このとき、坪谷の自然は牧水にとっての確かな原風景となったに違いない。伊藤教授は言う。
「牧水が多く歌に詠んだのは、風光明美な名所ではなく、ありふれた里山だった。坪谷の代わりを探していたわけではないが、坪谷のような場所に、自然と足が向いてしまう」
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
坪谷から川に沿って伸びる一本道を下り、太平洋に臨む海岸まで足を運ぶと、空に海鳥が一羽、目的が定まらないかのように、ぐるぐると低空飛行を繰り返していた。
白鳥が漂い続ける「あお」という名のよりどころ。それは何だったのだろうか。故郷か、家庭か、歌の道か、旅なのか。
牧水の妻、喜志子もまた歌人だった。4人の子どもを育てながら、夫の帰りを待っていた。いい歌ができたとき、帰宅する牧水の足音がひたひたと軽やかで、それを聞くのが幸せという人だった。つらくなかったのだろうか。よほど心が強かったのだろう。私には耐えられそうにない。2人は互いを、方法は違えど同じ道を歩む同志のように感じていたに違いない。
故郷の原風景と同志のような妻に支えられ、何ものにも染まず漂い続けた牧水。その姿はすがすがしい。たとえそれがかなしくもあれど。
(文=熊本総局・大矢和世 写真=写真グループ・岡部拓也)
▼わかやま・ぼくすい
1885年、宮崎県東郷村(現在の日向市東郷町)生まれ。本名繁。旧制延岡中学時代から短歌投稿を重ね、早稲田大学では同級生の北原白秋らと交流した。人妻、園田小枝子との恋愛と苦悩を中心に詠んだ第3歌集『別離』(1910年刊)が好評を博し名を成す。歌人でもある妻、喜志子と結婚してからは神奈川県や静岡県沼津に居を置き、全国各地を旅しながら詠んだ歌を発表した。「酒の歌人」としても知られ、酒を詠んだ歌は約三百首。1928年9月に没した。死因は肝硬変だった。生涯に15冊の歌集と紀行文集や随筆などを残している。
●私の推薦文
旅は自分を放ち前進する儀式 高橋 恵美さん(34)=牧水記念文学館を訪れた 会社員(札幌市)
ここ数年、一人旅に出ることが多い。思ってもみなかったが、どうやらやみつきになったらしい。旅から戻っても、気付けばまた旅の計画を立てている。現実逃避といえなくもないが、少し違うようだ。旅先には自分を縛る日常がない。出会う人、景色、すべてが常に新鮮だ。そのせいか、それらに触れたときの感覚が思わぬ自己の発見や確認につながることがある。生涯旅した牧水の歌に「けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれて行く」というものがあるが、まさに旅は自分を放ち、「在処離(あくが)れ」て行くことにほかならない。それは逃避ではなく、今いる場所から進むための儀式なのだ。こころの鉦は自分だけでは鳴らせない。さまざまなふれあいがあってこそ鳴るのである。
▼メモ
■宮崎県日向市東郷町坪谷にある若山牧水生家は今もそのままの状態で保存され、隣家の「寅(とら)おぢやん」に贈った歌や牧水が生まれた縁側などが残されています。近くの対岸には「牧水公園」が整備され、そこに記念文学館があります。








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