西日本新聞

千年書房・九州の100冊

岩下俊作「富島松五郎傳」

 夕暮れどきを歩いた。北九州市小倉北区のJR小倉駅から、繁華街を貫く平和通りを南へ約700メートル。通りに沿って走る北九州モノレールの旦過駅近く、左手にある商工貿易会館の裏に回った。ビルの谷間を、ひんやりとした風がすり抜ける。ここだ。
 「富島松五郎傳」の主人公、車夫の松五郎が暮らしていた古船場町の一角。地元有志が建立した「無法松之碑」がある。辺りの様子は、原作にこう記されている。
 〈古船場3丁目-独身者の松五郎が住んでゐた町で、この町は小倉の無頼の徒の巣であつた。俥(しゃ)夫、羅宇(らお)の仕替、香具師(やし)、土方等の自由労働者達が大勢住んでゐた〉
 時代は、明治末期から大正である。

 松五郎は、荒くれ者でけんかっ早い。賭博現行犯で小倉を追放されたこともある。若いころ、剣術の先生とけんかをして、みけんが裂ける大けがを負う。以来、あだ名は「無法松」。そんな武骨な男が、軍人の夫を亡くした美しい女性とその息子に生涯、純愛を貫く物語だ。当時の社会には階級意識が横たわる。松五郎は恋慕の情を心の奥底に押し込めたまま、2人に貯金を残し、48歳で孤独に亡くなる。
 岩下が小説「富島松五郎傳」の執筆を始めたのは、1938年。盟友の火野葦平が同年、小説「糞尿譚」で芥川賞を受賞したことに刺激を受けた。作品は39年、雑誌「改造」の懸賞小説で選外佳作に。これを同人誌「九州文学」に掲載し、直木賞候補に2度挙がった。
 42年、文学座が舞台化した。43年には、映画「無法松の一生」の名で公開され人気を博した。脚本は伊丹万作、監督は稲垣浩、主演は阪東妻三郎、園井恵子。戦時中の検閲で一部、映像が削除された。女性への松五郎の思慕がにじむ場面だ。
 戦後、稲垣監督は同じ映画を撮り直し、58年に上映された。主演は三船敏郎と高峰秀子。第19回ベニス国際映画祭でグランプリを受賞し、世界に「無法松」の名をとどろかせた。
 「松五郎」を追い越し、「無法松」はますます独り歩きした。映画化は計4回。「モデルは誰なのか」。人々の「無法松捜し」が熱を帯びる。岩下の三男、八田昂(たかし)さん(66)=同市小倉南区=は「松五郎は虚構の人物」と強調するが、福岡県篠栗町の山王寺に「松五郎愛用の人力車」が奉納されていることなどからも、当時の熱狂ぶりが分かる。
 現実と非現実の混乱、錯覚。ただ、岩下には原風景があった。父親の初次郎は、人力車が発着や休憩をする「立て場」を営んでいた。松五郎が、運動会の飛び入り500メートル競走で一等賞を取る舞台となった小倉工業学校(現・小倉工高)は、岩下の出身校だ。
 47年、雑誌「若草」に載った岩下の随筆「『無法松』が生れた頃(ころ)」が、作家の心情をよく表している。
 〈あれは私の少年時代に接した多勢の無法松的な人物や事件を寄せ集めたので特定の無法松は小倉にはゐなかつた。たゞ私は浮世の波風に叩(たた)かれた敗残者達の中にある眞珠のやうな愛情を書きたかつた〉

 「一見すると豪快で気性が荒い。しかし内面はナイーブで、孤独感を併せ持つ。それが松五郎です」
 活動写真弁士の麻生八咫(やた)さん(54)=大分県豊後大野市出身、埼玉県在住=が語る。麻生さんは10月31日、原作を忠実に朗読するパフォーマンスを本年度の文化庁芸術祭参加作品として東京で公演する。その後は、ライフワークとして全国で上演していくつもりだ。
 仕掛けたのは、映画愛好家団体「北九州シネマサロン」代表の松永武さん(71)=北九州市門司区。
 「白紙の状態で、静かに原作を見つめ直そう」。約2年前、知人の麻生さんに朗読を持ち掛けた。
 麻生さんは、中学時代に読んだ原作をあらためて手に取った。高校卒業後、小倉の予備校に通っていたときの記憶が皮膚にまでよみがえった。18歳の多感な時期を過ごした街の熱気が、文章に織り込まれている。松五郎が太鼓を打ち鳴らす7月の小倉祇園の祭りもそうだ。

 〈梅雨上りの湿気が立ちこめて、町中は風呂場の様に蒸れてゐた〉

 そして何より、懸命に生きる松五郎に惹(ひ)かれた。早くに生母を亡くし、母性愛に恵まれなかった悲しさ。女性とその息子への熱い思い。余りある愛情を自分の中で押し殺し、一途に自身の人生をささげるけなげさ、見事さ。
 麻生さんが原作朗読をライフワークと決めたのは、松五郎の「節操」を伝えたいから、と言う。
 〈柳行李(ごうり)が、彼の残したたつた1つの遺産だつた。(中略)吉岡良子の名義のものが200円ばかりと、吉岡敏雄の名義のものが300円近くもあつた。一同は顔を見合せた。吉岡夫人は人目もあらず貯金帳を顔に当てて慟哭(どうこく)した〉
 戦後、日本人が当たり前のように捨て去ったもの。100年前に“生きた”1人の男が、現代の私たちに教えてくれる。
 (文=北九州支社・野中貴子 写真=写真グループ・岡部拓也)

▼いわした・しゅんさく

 1906年11月16日、現在の北九州市小倉北区に生まれる。本名は八田秀吉。地元の天神島尋常小学校の同級に作家の劉寒吉、2年後輩に松本清張がいた。小倉工業学校機械科卒業後は、八幡製鉄所に勤務しながら創作活動を続けた。32年、劉らとともに詩誌「とらんしつと」を創刊。38年、北部九州の同人誌が大同団結した第2期「九州文学」に参加した。小説「辰次と由松」「諦めとは言へど」「西域記」も直木賞候補になった。61年、55歳で八幡製鉄所を定年退職。その後は、北九州市立郷土資料館初代館長などを務めた。80年1月30日、73歳で死去。 (写真は遺族提供)

●私の推薦文

言いたかったのは「質実剛健」 篭原 裕明さん(57)=田川科学技術高校長(北九州市小倉北区)

 岩下俊作さんと同じ小倉工業高校を卒業しました。
 「無法松」といえば、小倉祇園太鼓をたたいたり、お酒を飲んだりする場面を思い浮かべて荒くれ者の印象を持つ人が多いかも知れません。しかし、岩下先輩が原作で書いた「富島松五郎」は、かなわない恋心を抱きながら、自分の力量で大切な人を精いっぱい支えていく男です。素朴で純粋、たくましく、しんが強く、曲がったことが嫌い。作品で言いたかったのは、「質実剛健」だと思います。
 岩下先輩が八幡製鉄所に勤めながら文学でこつこつ表現に取り組まれたのは「勤労努力」を表し、職場でも技術面で成果を上げられたのは「真理探究」のたまものです。いずれも、青春時代を過ごした同校の校訓が表れています。
 人力車引き、という庶民生活を通して描かれた松五郎の生きざま。そこを読んでほしいと思います。

●メモ

 ■「富島松五郎傳」の単行本は絶版ですが、図書館で借りて読むことができます。また、北九州市の外郭団体「北九州都市協会」が、「岩下俊作選集」全5巻を発行しています。A5判、各巻約300ページで2500円。同協会=093(592)9500。

 ■北九州市八幡東区の高炉台公園に「岩下俊作文学碑」があります。岩下が勤務先の八幡製鉄所で結成した「創作研究会」が中心となって1990年4月に建立されました。桜と酒を愛した岩下をしのんで毎年4月上旬、ここで「俊作忌」が営まれています。現地は、八幡製鉄所を望む高台です。洞海湾をはさんだ対岸の若松区・高塔山には、「火野葦平文学碑」が建っています。

 ■福岡県篠栗町の山王寺に奉納されている「富島松五郎愛用の人力車」が、福岡市早良区百道浜の市博物館で開かれている展覧会「空海と九州のみほとけ」に出品されています。寄贈者の信仰の厚さを物語る品です。会期は10月29日まで。

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