「志賀島」は、博多湾の海岸線が今日のように埋め立てられていない時代、戦中、戦後の博多が舞台である。主人公の宏と友人の竹元という2人の少年が、志賀島で訓練を受けるところから物語は始まる。
宏は勉強が得意だった。竹元は、双葉山のような強い力士に…と、その祖母が願うほど、腕力が自慢の子どもだった。訓練は海軍下士官が指導者となり6年生の男子を引率して志賀島に行く。罵声(ばせい)を浴びせられ、体罰もあり、少年たちは3日間の訓練に苦しむ。そんな中で、宏らの目は、引率した2人の先生に向けられる。彼らは軍人には何も言えず、息を殺して黙認するしかなかったのだった。
岡松和夫は、福岡中学校(現・福岡高校)から旧制福岡高等学校(現・九大)に進み、1950(昭和25)年、東京大学に入学するまで福岡で暮らしている。父は早く死に、母が派遣看護婦として病院で働きながら岡松を育てた。福岡大空襲で家が焼失し、戦後は職も失うなど、母も神経をすり減らして亡くなっている。
福岡市博多区対馬小路に住む黒岩富重さん(77)が振り返る。奈良屋国民学校(現在の博多小)で、岡松より2学年上だった人物だ。
「志賀島、玄界島、能古島…うちの2階から博多湾がぐるりと見渡せました。その家は空襲で焼けて、今の家とは違うとですが…。ジグザグに逃げ回って、最後は現在の那の津大橋付近から海に飛び込んだ。何百人って浮かんどりました」。空襲の記憶は今も鮮明であった。
岡松は「僕にとっては自分の家が無くなってしまった6月19日(福岡大空襲の日)が敗戦」と言う。子どもにとっては、玉音放送があった8月15日が終戦ではなかった。大空襲で岡松が暮らした奈良屋校区は、小学校の鉄筋校舎を残して焼け野原となり、博多湾に浮かぶ島々が、よく見えるようになったという。
岡松作品の多くは博多で暮らした日々をベースに綴(つづ)られ、この時代の体験が岡松の作家としての基盤を作ったことを物語る。
志賀島での訓練の最終日、竹元はカッターを漕(こ)いでいて遭難し、水死しかける。自力で助かったが右目は失明状態となる。大らかな夢を持っていた竹元の人生は、しだいに暗転していく。大空襲をはじめさまざまな不幸が2人を襲い、最終的には宏も竹元も天涯孤独の身となるのだった。
岡松の筆は淡々として明るさを失わなわない。そして、少年の視線に徹する。空襲や九州大の米軍捕虜生体解剖実験などにも触れるが、深入りはしない。むしろ物語の節目ごとに出てくる双葉山(1912-68)についての記述が印象的。この大横綱が時節の推移を現すのに重要な役割を果たしているのだ。
双葉山は不滅の69連勝で知られるが、その連勝記録が始まったのは、2・26事件の約1カ月前。引退は終戦年の11月。黄金期は軍国日本の時代と重なる。その連勝が日本軍の不敗神話と重なり、国民に神格化されていった。
岡松は、大横綱の力の衰えを通じて日本の敗戦をにおわせていく。自身も、作中の少年2人のように双葉山にあこがれていた。双葉山と懇意にしていた親せきもいて、戦後、上京したときに双葉山本人も見かけたことがあるという。
「でも、そういう、『私的な双葉山』ではなく、この作品では戦前の『公的な双葉山』のイメージを使った。双葉山を時代の変動のシンボルみたいに使おうと思った」と岡松は言う。
宏の母親は終戦を境にふさぎ込むようになって自殺し、陽気だった竹元の母も何者かに殺される。小説に無常感が漂う。双葉山はそんな激動期の象徴であった。
東京大学への進学のために上京する宏を送るラストシーン。2人は博多港の船だまりで、志賀島の方に視線をやる。靄(もや)がかかり、宏の眼に志賀島は見えない。竹元は目を閉じて言う。
「志賀島が見えるねえ。昔のままや」
博多の人々がそれぞれに終戦を実感したころ、周囲は焼け野原で視線を遮(さえぎ)る建物はなかった。失意の日々の中で、ふとした視線の先に志賀島を含む博多湾の風景をみて、心の安らぎや希望を感じた人もいたのではないか。
時代は様変わりし、2人は少年から大人になろうとしていた。それでも志賀島は、厳かに泰然として存在している。竹元はさらにこう続ける。
「こうして眼をつぶらんと見えんとやけん」
風景は同じでも眺める側の眼(まな)差(ざ)しは変化する。すでに無(む)垢(く)な子どもの視線では無い。ゆえに、眼をつぶらないと見えない風景もあるのだ。惨めな時代に決別し、不幸な運命と和解して2人は巣立っていくのだった。
今日、志賀島は林立した高層建築物に遮(さえぎ)られてなかなか見えない。「眼をつぶらないと見えない」という竹元の逆説は、私たちに訴えかけているようである。「想像力」という眼差しを、今、あなたは持っているだろうかと。
(文=東京報道部・内門 博 写真=写真グループ・納富 猛)
▼おかまつ・かずお
1931年6月23日、福岡市妙楽寺町(現在の博多区古門戸町の一部)に生まれる。1浪後、東京大に入学。59年に「壁」で文学界新人賞。「墜ちる男」「小蟹のいる村」「熊野」がそれぞれ芥川賞候補作となり、76年に4作目の候補作「志賀島」で同賞を受賞した。中上健次の「岬」との同時受賞だった。初期は福岡大空襲、戦後の母の死など少年期の体験を基にした作品が多かったが、上京後の東大時代を描いた作品、一休や源実朝など中世の人物を題材にした歴史小説など作風の幅を広げていく。86年、「異郷の歌」で新田次郎文学賞。98年、「峠の棲家」で木山捷平文学賞。近作は04年の短編集「少年飛行兵の絵」。
●私の推薦文
郷土色にとどまらず普遍的 長野 秀樹さん(48)=長崎純心大学教授(長崎県諫早市)
以前、岡松和夫さんにお話を伺ったときに話された「21世紀は戦争のない世紀になると思っていた」という言葉が忘れられません。戦争の世紀としての20世紀を生きてこられた岡松さんの原点とも言うべき作品が「志賀島」だと思います。
福岡市出身作家の初の芥川賞作品として、またその題名に表されたように、地元福岡を舞台とした作品として、郷土と色濃く結びついていますが、それにとどまらず、戦中の少年の姿を描いた普遍的な作品となっていると思います。
主人公宏の目を通して、第二次大戦中の福岡とその周辺での幾つかの事件、たとえば、九州大学での生体解剖事件や、双葉山のエピソードなどが語られますが、それらは宏という少年の目を通して語られているということが大事なことなのだと思います。いまの少年たちが大人になったとき、戦争は無くなっているのか、読みながらそうしたことも考えさせられます。
●メモ
■岡松さんの双葉山への関心は深く、やはり戦中戦後の福岡を舞台に旅館の娘を主人公にした小説「手弱女(たおやめ)」(89年)でも、双葉山を思わせる「安徳山」なる横綱を登場させています。主人公の恋愛相手で「志賀島」よりも正面から等身大の双葉山を描いています。
■双葉山については自伝を収録した「双葉山定次‐相撲求道録」(日本図書センター)のほか、ノンフィクション作家、工藤美代子さんの「一人さみしき双葉山」(筑摩書房)などがあります。
■単行本「志賀島」(文藝春秋)は表題作など5編を収録した短編集。86年には文庫化もされましたが、いずれも絶版、品切れとなっています。「芥川賞全集 第10巻」(文藝春秋)でも読むことができます。
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