西日本新聞

千年書房・九州の100冊

別冊・火宅の世界

男と女を比ぶれば コピーライター 矢野寛治

 「千年書房・九州の100冊」は、読者のご意見・感想に励まされながら、70回配本を終えました。今回の別冊のテーマは、煩悩が盛んで不安定な生活を炎上する家宅にたとえた「火宅」です。昔は家庭を顧みず、愛人を作ったり、借金を抱えたりする作家が多くいたものです。創作の原動力となった火宅の世界をのぞいてみましょう。

     ◇

 男と女、どっちが悪いか…。
 どっちもずるくて悪いのだが、男の美学としては、「そりゃあ、男が悪い」と、見栄でも云(い)っておきたい。作家の書く物は、煎(せん)じ詰めれば、すべて男と女の話である。「♪シャーバダ、シャバダバダ、シャバダバダ」の仏映画のスキャットの如く、悉(ことごと)く娑婆(シャバ)の話である。大衆という生き物は「男と女」の話が大好きなのである。だから、テレビのワイド番組の視聴率は高く、女性週刊誌は売れるのである。

 本日は、男女の話をプロとして書かれる、作家なる先生方の、その生身のところをちょいとだけ覗(のぞ)いて、お伝えしたい。小説なんていうものは、平凡に恙(つつが)無く生きている人間をいくら描いても、誰も読んではくれない。背徳、嫉妬(しっと)、アブノーマル、道ならぬ二人を、三角関係を、最期は刃傷三昧こそが、魅力なのである。市井のノーマルな我々が生きること能わない、退廃の人生こそが読み物として光芒を放つ。同時に我々は、文中の人物に「吾」を仮託し、溜飲(りゅういん)を下げるのである。

 先ずは、田山花袋の「蒲団」。田山は岡山から内弟子として上京してきた、岡田美千代に惚(ほ)れる。妻持つ身でありながら、弟子に血道をあげる。美千代には他に惚れた男があり、やがて岡山へと帰っていく。彼女の寝ていた蒲団に顔を押しあて、その残り香を嗅(か)ぎながら花袋は泣く。情けないが、実話である。熊本出身徳冨蘆花は、妻愛子に今までの女性関係をすべて告白する。妻が激しい精神障害を起こすと、懺悔(ざんげ)しつつも殴打する。精神的SM、困った九州男児である。大分の佐伯に、教師として赴任したことのある国木田独歩。有島武郎の小説「或(あ)る女」のモデルとなった、佐々城信子に惚れ、結婚にこぎつけるが、それも短刀で脅して脅しての果てである。結局、1年も持たず離婚。独歩の異常なまでの性欲が原因と云われている。若き日からストイックな生活を送ってきた反動かもしれない。人間、極端は極端に走る。何事もほどほどが良い。

 有島武郎といえば、「婦人公論」美人記者の波多野秋子との恋愛。双方に妻があり、夫がある。今なら、日常茶飯事のよしなし事であるが、時代は大正時代。有島は秋子の亭主に脅迫され、万事休して、軽井沢の別荘で二人仲良く縊死(いし)をする。むべなるかな。島崎藤村は、困ったことに姪っ子に惚れ、関係を結び、孕(はら)ませる。そのことへの懺悔として、「新生」を著した。君が緑の黒髪も、またいつか見んこの別れ、かぁ。

 そうそう、忘れちゃあいけない大事件があった。文豪谷崎潤一郎の奥方千代夫人に惚れて、弟子佐藤春夫は彼女を谷崎に貰(もら)い受けに行く。逆に谷崎は千代夫人の妹せい子に惚れており、「痴人の愛」のナオミとして著している。転んでも、ただでは起きない。柳川出身の北原白秋は隣家の奥方松下俊子と不義密通をし、姦通罪で逮捕されている。これより詩に一層の深みを増す。

 女性で言えば、まず与謝野晶子。与謝野鉄幹の妻を追い出し、愛人山川登美子を押しのけ、鉄幹との間に13人の子を為す。親は、人の夫を盗れと教えしや、である。同じく、現福岡市今宿出身の伊藤野枝は、結婚するや否や東京に逐電(ちくでん)し、上野高女時代の英語教師辻潤に奔(はし)る。辻の妻を追い出し、二人の男児をもうけるも、今度は子を置いて、大杉栄に奔る。葉山日蔭茶屋での、神近市子との刃物沙汰はあまりにも有名である。織田作之助の内縁の妻輪島昭子は、織田と同棲中に、織田が藤原義江歌劇団のプリマドンナ笹田和子と結婚するというので、挙式の朝、自ら織田の紋付袴(はかま)の紐(ひも)を結んで送り出している。案の定、二人は直(す)ぐに離婚し、織田は昭子の元へ帰ってくる。母親の如き、女である。宇野千代のことは、もう皆さんしっかりご存知でしょうから、本日は割愛。

 とにかく、男と女、どっちが悪いか、凡庸な私にはわからない。素人はただ只管(ひたすら)、妻に寄りかかり、妻を恃(たの)みと、「お里・沢市」の如くに生きていくのが賢明。どうぞ皆様も、作家の先生方の「火宅」を真似(まね)されませぬよう、老婆心ながら書き加えまして、筆を置かせて頂きます。シャバダバダ、シャバダバダ。

●父の小説には「生活のにおい」があった

檀一雄の長男、太郎さん

 火宅の作家、と聞いて第一に浮かんでくる作家といえば、やはり「火宅の人」というそのものずばりの作品がある檀一雄(1912-76)であろう。この「火宅の人」に「桂一郎」として登場する長男で、エッセイストの太郎さん(63)は、63年4月号の「婦人公論」に「『火宅』の父 檀一雄を見つめて」と題して寄稿している。こんな一文で始まる。
 〈父の一連の小説に、よく僕の家庭のことがそっくりそのまま描かれているものがある。たいてい、父の恋人の話、僕の愚行についてなどである。その小説を読んだ僕の友人とか父の友人とか父の知人などに、よくいろいろな質問や忠告を受けるが、僕は生まれた時から、父の小説のモデルにされつづけているのでなんとも思わない〉
 小説は小説、と割り切ったクールな息子の論評だった。太郎さんによると、この文章は檀の師匠になる佐藤春夫にも絶賛されたという。「先生に賞金5万円とパーカーの万年筆をもらったんですよ」
 この文章を発表してから40年、檀が亡くなってからでも30年以上が経過したが、太郎さんの「火宅の人」への印象は現在もほとんど変わっていなかった。
 「一般的にはね、実体験を基に書いたといわれるんだけど、やっぱり『火宅の人』はフィクションなんだよね。桂一郎と檀太郎は違うんですよ。そこには父の人物を強烈にみせるためのテクニックがあるし、話を面白くするために作り上げた部分もある」
 そうはいっても、現実と重ねて読んでしまうのが一般の読者だ。特に当時、同時代に読んでいた人たちはスキャンダラスな視線で読みがちだっただろう。
 「僕たちには現実に父との暮らしがあって、小説以外に父をみる土台、要素がいっぱいあった。小説はその一部を取り出したもの。固定観念を捨てて読むともっと深いものがある」
 「火宅の人」は完成に20年を費やした。最後は死の床での口述筆記だった。その創作への執念はすさまじい。凡人が「火宅」の生活を表面的にまねたからといって、同じような小説を書けるものではないのだ。野球に一球入魂、という言葉があるが、太郎さんは父親の小説には同様に「魂が宿っていた」と強調する。「魂をもう少し具体的にいうと愛情かな。父はあらゆる人に愛情を注いでいた。それが作品にも反映されている」
 世に男と女がいる限り、同じような葛藤(かっとう)を描こうとする小説は今後も出てくるだろう、と太郎さんはみる。「でも、最近の小説はただの美しいラブストーリーになりがちだよね。父の小説には後ろに生活のにおいが描かれていた。そこが今も残って読み継がれる一番の要因じゃない?」
 (東京報道部・内門博)

●自分の心に正直な生き方 前原聡子さん(41)=福岡市早良区・主婦

 「火宅」と言えばやっぱり檀一雄ですが、私が思春期に夢中になったのは同じ無頼派でも最初が太宰治、続いて坂口安吾でした。太宰は愛人をつくったり、心中未遂をしたり、とにかく一生が「火宅」という感じです。安吾は愛人というわけではないけど、作家の矢田津世子との真剣な恋愛が印象的でした。
 彼らに共通しているのは、その時、その時を真剣に生き、誠実に人を愛し、何よりも自分の心に正直に生きたということだと思います。その真っすぐな心が、時代を超えて、多くの人々をひきつけるのでしょう。もちろん、無頼な生き方は一般の人間にはなかなかできないので、憧れもあります。女性として無頼に惹かれるのも事実。もっとも、本当に自分の家が「火宅」ではたまりませんが。

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