武士道貫く孤高のまなざし
短刀の刃を自らに向け、最期の覚悟。一気に腹に突き立てる。力を込め、横に切り裂く。見届けた介錯(かいしゃく)人の刀が一閃(いっせん)、首を切り落とす。
切腹-。武士道を貫く自決方法として、中世から近世にかけ定着した。動機はさまざま。主君に殉ずるため、責めを一身に受けるため、捕虜の恥辱を避けるため…。それが関ケ原の戦以後、主家の廃絶が進むと、路頭に迷った浪人の間では窮迫を切り抜ける手段としても利用された。
「切腹のためお庭を拝借したい」
衣食に窮した浪人が、神妙な態度で大名の家に訪れる。最期ぐらいは晴れの死に場所で、と。思いとどまらせたい諸侯が金品を与え、帰らせる。体のいいゆすりだった。
「異聞浪人記」の千々岩求女(ちぢいわもとめ)もその1人。彼には深い事情があった。最愛の妻と子が病魔に冒されていた。医者に見せるには金がいる。刀を売っても足りず、切羽詰まって井伊家の屋敷に狂言切腹を申し出た。だが、残酷な老職に謀られ、本当に切腹の場が用意された。周囲からの冷笑の目。事情を説明する事もかなわず、無念のままに命を絶った。
求女は、物語の脇役にすぎない。しかし、滝口はこのくだり、思い入れ強くこう書き記した。
〈人それぞれの心は、とうていはたからはうかがい知れぬものである。-奈落の底にうごめいている浪人者の悲哀は、衣食に憂いのない人々には、所詮(しょせん)わかってもらえることではなかった。血迷った求女の未練を嘲(あざけ)り笑ったその人々が、同じ立場に立たされた時、どれだけのことができるというのか-。〉
封建制下に生きる下級武士や庶民の苦悩、葛藤(かっとう)を描き続けた滝口。時代小説を通して世の不条理を問い、作品群には現代にも通じる「体制と個」という根幹的なテーマが貫かれていた。
滝口の青年時代にさかのぼると、そうした思考の背景が見えてくる。
終戦前の1944(昭和19)年、滝口は当時20歳。配属された海軍の防府海軍通信学校(山口県)は、暴力が人を支配していた。日々続けられる厳しい訓練。懲罰と称して上官は棒で訓練生の尻を打ち、同級生同士で殴り合いをさせた。
滝口と同級生だった都筑均(つづきひとし)さん(83)=福岡県太宰府市=は「あそこではそれがルール。誰も歯向かえんし、従うしかなかったよ」と証言する。
滝口は復員後、佐賀県多久市の炭鉱に就職した。手には何の技術もなかったが、坑外(こうがい)修繕の仕事にまじめに取り組んだ。ところがその3年後、会社から突然の解雇通告を受ける。親族に共産党員がいたことで、無関係だった滝口にも疑いがかけられ、レッドパージ(共産党員追放)の対象となったのだ。懸命に働いてきた会社からの仕打ち。保身のために弱い立場の人間を平気で切り捨てる組織(=権力)への反骨心は、後年になっても忘れなかった。
妻のスエノさん(78)=多久市北多久町=は代弁する。
「そもそも『日本は絶対に正しい』と教育してきた国が、戦前と戦後で舌の根も乾かぬうちに態度をコロリと変えた。曲がった事が嫌いだった主人は、体制や組織に対する不信がぬぐえなかったと思います」
後に、有名作家が所属する「日本ペン・クラブ」から入会を何度も誘われながら断り続けた事実からも、無頼の姿勢がうかがえる。
恨みの文学。そう評された滝口文学。1957年の「高柳父子」から22年間で、直木賞候補六作品を送り出した。
物語の創作時には、資料を探しに地元の図書館によく足を運んだ。武士の理想像を書いた記録書「葉隠」の一文「武士道と云(い)ふは死ぬ事と見つけたり」の精神を貴ぶ佐賀藩に材を求める一方で、空想ものも多かった。
家では普段から和服姿。一度創作に没頭すると家族の者は近づけず、家の廊下を往復しながら思案を重ねた。孤高の文士にふさわしい姿だった。
円熟期を迎えつつあった1983年秋。心臓病に倒れた。脳梗塞(こうそく)も発症し、筆を持てなくなった。武士にとっての刀を永久に奪われ、「西国三人衆」と呼ばれライバルだった古川薫、白石一郎の両氏が次々直木賞を受賞するのを眺めるしかなかった。
それでも、見舞いに訪れる家族や友人たちへの気遣いは忘れなかった。病魔の疲れを隠し、最期まで「つらさを表に見せなかった」(スエノさん)という。思いやりだった。
滝口の死後、親友の古川氏はこんな追悼文を寄せた。
「葉隠れの武士道を体現する人物が、君の作品にあらわれる。そのサムライたちは、滝口康彦そのものだった」
(文=多久小城支局・座親伸吾 写真=写真グループ・永田 浩)
▼たきぐち・やすひこ
本名・原口康彦。1924年、長崎県佐世保市出身。8歳で父を亡くし、9歳のとき母が再婚して佐賀県多久市に転居する。郵便集配員や運送会社員を務め、44年に海軍の相浦海兵団に入団、防府海軍通信学校に転属。戦後は炭鉱員として働く傍ら、小説やラジオドラマを書いては懸賞に応募した。57年発表の「高柳父子」で初の直木賞候補。以後も「かげろう記」「仲秋15日」など計6回同賞候補に選ばれた。59歳の時に心臓病で入院。2004年、急性循環不全のため80歳で死去。
●私の推薦文
2つの「切腹」…その対比 佐藤 和歌子さん(27)=NPO法人理事長(佐賀県神埼市)
制度や規制の制定・撤廃により、社会秩序を維持しようとする指導者の考えは正しいのかも知れないけれど、その行き過ぎは独裁を色濃くし、物事の本質を見失い矛盾を生じることになる…。この本は、さまざまな問題を抱えた「今」を生きる私たちへの強いメッセージが込められ、印象深い一冊でした。
改易や減封による主家の廃絶で浪人が途絶えることのなかった江戸初期に流行(はや)った狂言切腹。この犠牲になった娘婿の敵討ちに残り僅(わず)かの人生を費やした主人公。一方、その主人公の敵討ちにより髷(まげ)を切られ引きこもった家臣たち。
たとえ浪人となっても武士である尊厳を忘れず1つの定めた道に忠実だった故の「切腹」と、武士の身分は保ちながらも、その尊厳を表面的にしか示すもののなかった末の「切腹」。この2つの対比には、人間としての本当に大切な生き方を教えられたように思います。
●メモ
■第68回直木賞候補作「仲秋15日」では、一度は選考会の評決で受賞が決まりかけるも、異論が出て無記名投票となり、「該当作無し」の非運な決着となりました。滝口さんの同賞への並々ならぬ意欲は、二女を「直子」と名付けたことからもうかがえます。
■「異聞浪人記」を原作とした小林正樹監督の映画「切腹」(松竹)は1962年制作。出演者には仲代達矢、岩下志麻、三国連太郎などそうそうたるメンバーが並び、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞しました。
■滝口さんは酒をほとんど飲まず、たばこは全く吸いませんでした。友人らからの書簡はきれいに整頓するきちょうめんな性格で、自著本の後書きには「出無精、ひどく人見知り」としています。
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