西日本新聞

千年書房・九州の100冊

内田百閒「第一阿房列車」

なんにも用事がないけれど

〈なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う〉
 内田百閒の随筆集「第一阿房(あほう)列車」は1950(昭和25)年、61歳の百閒が大阪への旅を思い立った場面から始まる。翌51年6月30日午後9時、博多行きの急行「筑紫」が東京駅を発車した。百閒が陣取るのは最高級の一等個室寝台。集中の一編、「鹿児島阿房列車」の始まりである。

 「阿房」に込められた深い意味は後述するとして、まずはその「阿呆」ぶりを紹介しよう。
 生涯借金まみれだったにもかかわらず、百閒は常に一等車を選んだ。〈50になった時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた〉。当時の列車には一、二、三等車があり、運賃はざっと二等は三等の倍、一等は二等の倍。当然、旅費には苦労している。〈なんにも用事がない〉最初の大阪行きも借金で実現した。友人に金を借りる際の弁が奮っている。収入が少なく生活費がかさむというのであれば金を返せる見込みはない、それに比べ自分の借金は〈あんまり用のない金なので、貸す方も気がらくだろう〉。

 時刻表で旅程を考えるのは好きなのに、切符を事前に購入するのは大嫌い。〈先に切符を買えば、その切符の日附が旅程をきめて、私を束縛するから〉だ。駅に出向くと売り切れである。すると〈何が何でも是が非でも、満員でも売り切れでも、乗っている人を降ろしても構わないから、是非今日、そう思った時間に立ちたい〉と言い出す。裏から手を回し、何とか切符を手に入れると〈うれしくて堪(たま)らないから、そこの食堂で一杯飲みたい〉とウイスキーを傾ける。赤ら顔をしている隣席の客に〈真っ昼間からお行儀が悪い〉とケチをつけ、自らについては〈旅の恥は掻(か)き捨てだと云(い)う事にした〉。ご都合主義の固まりである。
 旅のお供は、常に「ヒマラヤ山系」君こと国鉄職員の平山三郎さん(故人)と酒だった。「筑紫」にもお澗(かん)をした酒が入った魔法瓶二本とつくだ煮、おにぎりを持ち込んでいる。発車間もなく、二人の夕げが始まる。〈何の話しもないけれど、何となく面白くない事もない〉時間を過ごし、差しつ差されつで酒が進む。酒がなくなると、ボーイに頼んで途中の駅で買い足しては飲む。〈今どの辺りを走っているのか解らない。何しろ大分夜更けである〉
 評論家の川村二郎さんは「阿房列車」の面白さについて〈一般性を全く持たない点に、笑いを触発する第一の契機がある〉(「内田百閒論」)という。とっぴでわがままな行動と、へ理屈めいた口上が、世間の常識と懸け離れているからこそ、多くの人を魅了するという分析だ。
 ところで、「阿房列車」の旅で百閒は何度も熊本県八代市を訪ねている。目的は国指定の名勝史跡「松浜軒(しょうひんけん)」。1688(元禄元)年、細川藩の筆頭家老だった松井家の茶室として建てられ、1951-58年には旅館として営業していた。管理にあたる栗田欣次さん(76)によると「紹介状がないと泊まれなかった」そうだ。百閒は〈巡幸の時行在所になった家だそうで全く恐れ入る。宮様方も度度お泊りになると聞かされた〉と気に入り、計9回も宿泊したという。芸術院会員に推薦された百閒が、「イヤダカラ、イヤダ」という名(迷)セリフで辞退したエピソードは有名だが、一方で名誉や権威を無邪気に喜ぶ側面もあった。
 百閒が一筋縄ではいかないとこだ。

 新幹線の開通や高速道路の整備に伴い、夜行列車は次々と廃止され、現在、東京-九州を結ぶ夜行はわずか一本になった。空路なら2時間弱で行くことができる東京-熊本を約18時間。現代版「阿房列車」の旅を味わってみようと、午後6時3分、東京駅発の寝台特急「富士・はやぶさ」号に乗り込んだ。
 予約したB寝台は長さ2メートル、奥行き70センチ程度で、毛布とシーツ、枕、浴衣が用意されている。上着を脱ぎ、ネクタイをほどいて夕暮れの景色を眺めると、日ごろ味わえないゆったりとした気分に包まれた。
 並走する山手線、京浜東北線の電車はサラリーマンでぎっしり。対して、こちらの乗客はこの日約50人。定員の2割前後の乗車率で、まったく乗客がいない車両もあった。同じ鉄道なのに、全く別の時間が流れている。灰皿には国鉄を意味する「JNR」の刻印。「新潟鉄工所 昭和51年」という車両のプレート。どんどん時間感覚がズレていく。
 「飛行機が苦手なんです」という同じボックスに乗り合わせた熊本市内の団体職員(58)が、缶ビールを開けた。誘われて、私もビールを飲みながら、規則的な揺れに身を任せてみる。ぼんやり車窓をながめながら考える。
 人はどうして「鉄道」に引かれるのだろう。
 よく自転車を走らせ、列車を見に行った小学生時代を思い出す。特急、急行、貨物、そして新旧の車両。多彩な顔ぶれには、それぞれ個性があり、見飽きなかった。何より「自分の知らない、どこかへ連れて行ってくれる」という思いに誘ってくれた。そして、時間がかかる列車に乗ることは、移動ではなく、非日常的な旅の一部となる。百閒もまた、列車旅の非日常性を偏愛したのではないだろうか。
 「阿房列車」というタイトルは、中国・秦の始皇帝が計画した巨大宮廷「阿房宮(あぼうきゅう)」から取ったとされる。百閒はそこに、実用性を超えた壮大で贅沢な遊びを見たのだろう。阿房宮計画は頓挫(とんざ)したが、百閒の旅は終わらない。東京に戻った時から、次の旅が始まっているのだ。
 〈毎晩、お膳の後で汽車の時刻表を眺めて夜を更かした。眺めると云うより読み耽(ふけ)るのである〉
 (文=文化部・塩津健司 写真=写真グループ・納富 猛)

▼うちだ・ひゃっけん

 小説家・随筆家。1889年5月29日、岡山市の造り酒屋の一人息子として生まれる。本名栄造、別号百鬼園。旧制第六高校を経て東京大独文科卒。大学時代から夏目漱石門下となり、芥川竜之介、森田草平らと親交を結んだ。陸軍士官学校教授、法政大教授などとしてドイツ語を教えた傍ら、1922年に初の短編集「冥途」を刊行、以後「旅順入城式」など独特の恐怖感を表現した小説に加え、風刺やユーモアに満ちた随筆「百鬼園随筆」「百鬼園俳句帖」「ノラや」などを出版した。鉄道など乗り物好きとして知られるほか、琴にも堪能で、作曲家・箏曲家の宮城道雄との交流が知られる。71年4月20日、老衰のため死去。

●私の推薦文

「漫画にしたい」思い実現 江上 英樹さん(48)=漫画雑誌「IKKI」編集長(東京都千代田区)

 「阿房列車」は、しゃれと気骨と自由という、内田百閒の魅力が詰まった作品です。文学の世界に限らず、筋の一本通った思考を持つ人が減っている今こそ、その魅力を広く知ってもらいたいと漫画化を思い立ち、自分が編集長を務める雑誌で六月から連載を始めました。
 作画は「わさび」などの作品で知られる一條裕子さんです。古風な日本家庭を描くことにおいて、右に出る人はいないと思いますが、実現には曲折もありました。原作はモノローグで展開されているので、章立てを設けたり活字に大小をつけて、読者を飽きさせない表現を工夫しました。また当時の風景を正しく再現しようと資料集めにも腐心、「省線電車」の室内灯の位置なども書き直してもらったほどです。
 実は私も鉄道ファン。日本国中にレールが張り巡らされ、駅に人があふれるという、列車の旅が元気だった時代を紹介することで、「鉄道頑張れ」という思いを伝えたいです。
 

●メモ

■「阿房列車」の旅は1950年から55年まで続きました。同行した平山三郎さんの推計では移動距離は3万キロに達しています。九州を舞台にした作品も「鹿児島阿房列車」「春光山陽特別阿房列車」「雷九州阿房列車」「長崎阿房列車」「不知火阿房列車」と数多く、関門トンネル、肥薩線のスイッチバックやループ線に感激した様子などが記されています。

■熊本近代文学館は、百閒が松浜軒を訪ねた模様を描いた「八代行」の生原稿を収蔵しています。故郷の岡山県も百ケン生誕100年を記念し「内田百ケン文学賞」を設けるなど、その魅力を伝える作業も続いています。

■百閒と門下生の交流を描いた映画「まあだだよ」(93年、東宝)は、映画監督、黒澤明さんの遺作になりました。松村達雄さんが百閒を演じています。

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