西日本新聞

千年書房・九州の100冊

中村地平「日向」 

故郷はひっきょう自分自身である

 〈べつだん、とりたてていうほど奇矯な風景ではない〉。所々に丘があり、川が流れ、竹やぶがあり、並木が連なる〈ごくありきたりな田舎の眺めをもっているにすぎない〉
 控えめな筆致で郷里、宮崎平野の叙述を始めた中村地平は〈しかし、そのくせ、その風景は、よその土地ではけっしてかんじることのできない、一種独特な調子、もち味といったものを持っている〉と続ける。
 〈どことなしに澄んだ、南方的なかがやきのある、そのくせ古典性に共通なあるふかい悲しみをかくした、一種の調子-うっかりすると、ついみおとしてしまいそうな、味のこまかい感覚的な調子を持っているのである〉
 風土記「日向」の一節である。
 論理的な文体で知られる中村にしては、やや抑制を欠き、もどかしい記述になったのは、古里に対する愛着と執着の大きさゆえだろうか。それでも、この短文には中村の郷土観だけでなく、その創作、さらには自身の存在の核までが描かれているような気がする。

 中村が生まれ育った宮崎市を訪ねた。市街地を貫いて、大淀川がゆったりと流れ、陽光にあふれた大きな空が広がっていた。「日向」が書かれた時代から半世紀以上が過ぎた今も、〈この日向の国へはいればだれでも気がつく、一種気の遠くなるような明るさは、その土地いたるところの山河にゆらめいて〉いる雰囲気は濃厚である。しかし、〈古典性に共通なあるふかい悲しみ〉まではなかなか実感できない。
 「中村にとって、日向には二つの要素があるんです。明るく伸びやかな南方性。もう一つは国生みに至る神話性です」と岡林稔・宮崎大学教授(地域文化)は語る。一ツ葉海岸は南国的明るさに満ちているが、記紀に親しんだ中村は、黄泉(よみ)の国からこの世に戻ったイザナギノミコトが身を清めた〈荒れはてた海岸〉として記憶している。太古へとさかのぼる時間の堆積から漂い出す神や人の〈ふかい悲しみ〉。「明るさだけではなく、光の中にある微妙な影を見いだす感受性」(岡林教授)をもって、中村は日南海岸、飫肥(おび)城下、神楽の里・高千穂、民俗芸能の宝庫・椎葉へと巡る。
 風土記「日向」は、宮崎の光や風、文化や人々の暮らしを、細かい襞(ひだ)まで丁寧にたどり、近代に記された第一級の風土記となった。

 「日向」を出した1944年、中村は長い東京生活を切り上げて宮崎に疎開した。しばらくして宮崎県立図書館長に就任し、以後は死ぬまで宮崎で暮らすことになる。東大在学中に小説を発表し、井伏鱒二門下で太宰治と並ぶ秀英と評された新進作家、中村にとって、さまざまな事情が重なったとはいえ、挫折感を伴った帰郷だったであろう。「日向」は節目の年に世に問うた郷土の再評価であり、再発見だったといってよい。同時に今風の言葉でいえば「自分探し」でもあった。中村は「日向」の後書きにこう記しているのだから。
 〈故郷はひっきょう自分自身である〉
 そして、この時期、中村には自分自身を見つめ直す必要もあった。

 〈僕自身が考えている文学の指標であるが、それは南方文学の樹立である〉と中村がエッセイで高らかに宣言したのは40年。南方性とは〈明るさであるとか、楽天性であるとか、行動的描写の卓越さとか、感情的な詩情とか、神話的空想力とか、熱情的飛躍性〉と記している。既にそれらの特性は、高校時代を過ごした台湾を舞台にした初期代表作「熱帯柳の種子」に打ち出されていた。
 中村にとって南方は二つあった。台湾と郷里・宮崎である。前者の作品には、台湾の少数民族が日本の支配に抗った霧社事件に材を採った「霧の蕃社」、「長耳国漂流記」などがあり、後者の代表作には「土竜(もぐら)どんもぽっくり」がある。いずれにしろ、中村にとっての南方性とは、近代批判としての前近代的な素朴、野蛮、力強さであった。しかし、「日向」出版に前後して、中村は南方文学から徐々に遠ざかり、戦後は私小説に移行してしまう。
 岡林教授が転向のきっかけと推測するのは41年末から翌年にかけて、陸軍報道班員として駐在したマレーでの見聞である。
 「中村の南方文学が戦争翼賛ではなかったことは、評価すべきです。しかし、南方志向が、大日本帝国の南進と重なっていたことは間違いない。マレーで侵略戦争の実相に触れたことが大きかったのではないでしょうか」

 中村は57年、「日向」の改訂版を別の出版社から出した。加筆された部分は主に観光的な情報が多いとされている。県立図書館長となり、宮崎の文化行政に携わる立場となった中村が、観光PRを意識したという見方がある。妥当な説だろうが、自ら闇に葬った南方性を、風土記というスタイルの中では存分に表現できたことも、中村がこの本を再販するほど愛着を抱いた理由だったのではないだろうか。
 晩年の中村と出会い、文芸同人誌「竜舌蘭」で今も作品を発表している宮崎県都城市の久保輝巳さん(78)は、思い出を語る。
 「気むずかしい面もありましたが、実にのんびりと、悠然とした人でした。日向からしか生まれない人柄であり、文学です。中村さんは日向そのものです」
 故郷はひっきょう自分自身である。
(文=文化部・岩田直仁 写真=写真グループ・岡部拓也)

▼なかむら・ちへい

 小説家。1908年、宮崎市生まれ。台湾総督府立台北高等学校を経て、東大美学史科を卒業後、新聞社に入社。2年間勤務の後、退職して作家生活に入る。「熱帯柳の種子」で本格デビューした後、郷里・宮崎や台湾の風土を作品の底流に置いた「南方文学」を提唱。作家、井伏鱒二に師事し「北の太宰治、南の中村地平」と呼ばれるほど、高い評価を受けた。44年に宮崎に疎開し、47年に宮崎県立図書館長に就任。晩年は父の跡を継いで宮崎相互銀行(現宮崎太陽銀行)社長を務めた。こうした業務の傍ら、63年に他界するまで宮崎で小説を書き続けた。現在流通している作品には「日向」(鉱脈社)と「中村地平小説集」(同)がある。

●私の推薦文

宮崎の姿を客観的に描写 巻 庄次郎(54)=宮崎県立図書館員(宮崎市)

 拝啓 中村地平様 初めてお便りいたします。
 図書館長としてのあなたは、戦後の復興期に、参考相談に始まる先進的な多くの図書館サービスを取り入れ、それは五十余年を過ぎた今でも脈々と後輩たちに受け継がれています。
 また、作家としてのあなたの真髄(しんずい)は、この風土記「日向」に凝縮されています。
 あなたは、この作品で「ヨダキイ」「ノサン」に象徴される日向人の気質を風土や神話、歴史を織り交ぜながら客観的かつ温かいまなざしで描いておられます。天孫降臨の地であることを誇りにし、進取性には乏しくとも、正直にのんびりと生きる日向人に対する大きな愛情が感じられます。この本に出会ってから、私は宮崎を知りたいという方々に、まず、あなたの著作を紹介するようになりました。
 あなたの愛した宮崎が、全国から脚光を浴びる今、あなたの著作にも多くの光が当たることを願ってやみません。 敬具

●メモ

■「日向」は宮崎県の多彩な風土、文化、民俗を描いているが、まずは地平が生まれ育った宮崎市大淀川周辺を訪ねたい。同市一ツ葉市民の森には中村地平文学碑がある。碑文は「雲は どこにでも 似つかわしい姿で あらわれる」。もう一カ所訪ねるなら、民俗の里、椎葉村がいいだろう。地平も「日向」で一節を割いて詳述している。神楽や民俗文化を知るには、南九州の土俗文化をアジア史を視野に収めながら紹介する「椎葉民俗芸能博物館」が最適。問い合わせ=0982(68)7033

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