「ミズヲ」が見た長崎の夏の記憶
「水を」「水を」「水をください」-。あの日、頭上で炸裂(さくれつ)したもう1つの赤い太陽の下で、人々は水を求めながら息絶えていった。
2007年夏、長崎の爆心地。傍らには川が流れ、平和公園や原爆資料館には犠牲者の魂を癒やすための泉や噴水が水をたたえている。
果たして、亡き被爆者たちはいま、安らいでいるのだろうか。果たして、あの記憶はいま、受け継がれているのだろうか。
劇作家、演出家の野田秀樹は1999年の暮れ、長崎原爆を題材に、天皇の戦争責任を問うた戯曲「パンドラの鐘」を上演し、文芸誌「文學界」の2000年1月号に戯曲を発表した。主人公は死者を葬る葬式屋「ミズヲ」である。
〈生まれてはじめての俺の記憶は、赤い風景。見渡す限りが、夕陽で赤くただれ、そして誰かが洪水ほど涙を流した。何故かは知らない。その日、何がおこったのか。気がつけば、俺(おれ)はみなし児だった〉
物語の序盤、ミズヲは初めての記憶を語る。自らの名前の由来は思い出せない。だが、記憶の力が、自分を突き動かしていることには気付いている。野田は、世紀末に長崎原爆を描くことで、20世紀に対する自分なりの決着をつけようとした。突き動かしたのは、やはり野田が抗い続けてきた、自らの記憶だった。
原爆投下から10年後の1955年、野田は長崎県西彼杵半島の傍らに浮かぶ崎戸島(現・西海市)に生まれた。原爆投下前日の人々を描いた小説「明日」で知られる井上光晴ゆかりの土地でもある。
パンドラの鐘の翌年に上演した「カノン」の公演パンフレットに、野田は自らの原風景を捜しに出掛けたエピソードを語っている。四歳で故郷を離れ、30歳で初めて崎戸を訪れた。
〈そこは、絶海の孤島のような景色で、生まれた家は、島の1番高いところにあって、外へ出ると、茫(ぼう)洋(よう)たる冬の海が、眼下四方に広がる。なかなかどうして自慢できる景色であった。こんなにも美しくて、怖い風景を、4歳になるまで毎日無意識に見ていたのだ〉
「パンドラの鐘」上演時、舞台奥には山に抱かれた入り江が描かれていた。それは長崎の湾のようにも見えるが、崎戸から爆心地・長崎を眺めたときに見える海岸線そのものだった。
物語は、考古学者たちによって巨大な古代の鐘が発掘された太平洋戦争開戦前夜の長崎と、滅亡前夜の古代王国という2つの時代を何度も行き来する。鐘とともに葬られていた古代の秘密とは何だったのか。その謎解きに、葬式屋・ミズヲと自らの命を葬って国民を守ろうとする古代女王・ヒメ女(じょ)とのラブストーリーが絡みながら、物語は進む。
舞台上に現れる巨大な鐘の上部には尾翼が付いている。長崎に投下された原爆、ファットマンと同じ形だ。ヒメ女は、もう1つの太陽の投下を防ぐため、自らを埋めろと命じる。登場人物の台詞やエピソードには、原爆製造やポツダム宣言、原爆投下を回避できなかった昭和天皇の戦争責任という歴史が投射されている。
そしてミズヲはついに、初めての記憶が、赤い景色が、最後の景色だったことを思い出す。
〈このパンドラの鐘の真下で見る未来だ。その日、俺の頭の上で、もうひとつの太陽が爆発するんだ。思い出したぞ。未来のその日を。8月のとある1日を。俺の頭上でおこる、真っ白い光を。その直後に目に見えるすべてが、焼けたセルロイドのように、真っ赤に揺れていくのを。『水をくれ、水をくれ』。はじめて俺が覚えるコトバだ。赤く焼けたすべての人間が木が建物が風景が、俺のことをそう呼ぶ。『水をくれ、水を、水を』。それが俺の名前になる。誰もが、俺をそう呼ぶ。『ミズヲ、ミズヲ!』〉
野田の得意とする縦横無尽な言葉遊びが、物語最大のカタルシスをもたらすとともに、悲劇の到来を決定付ける瞬間である。
野田は著書「野田秀樹 赤鬼の挑戦」(青土社、鴻英良共著)で、「パンドラの鐘」を書くに至った経緯を語っている。
ロンドン滞在時、大英博物館にある中国の巨大な釣り鐘を見て、原爆を想像した野田が、その発想をイギリス人演出家に語った。「長崎生まれだからこそ思いついたんだな」と言われた野田は、初めて長崎出身という出自を素直に自覚し、覚悟した。〈原爆何十周年のイヴェントに来てくださいとか言われても、俺は関係ないからと断ってきたんだけれども、自分が長崎生まれである以上は、そうでない人よりは常に原爆のことはどこかで意識してるんだ〉
「パンドラの鐘」を境に、野田戯曲はより政治的、社会的なメッセージを色濃くしてゆく。特に03年の「オイル」は、2つのタワーを崩壊させた9.11の米国同時多発テロが、2つの原爆を落としたアメリカへの復讐だった、という強烈なイメージで描かれた。それは「パンドラの鐘」の続編ともいえ、報復の愚かさ、忘却することの大罪を鋭く告発していた。
「外の人が扱うのは難しいけど、長崎の人間だから、書こうと思うし、やらなきゃと思った。きっと野田さんもそうだったと思う」。長崎で劇団F’scompany(フーズカンパニー)を主宰する福田修志さん(32)は昨夏、原爆をモチーフにした寓話を上演した。劇団結成10年目の今夏は、平和都市・長崎で兵器が製造されている矛盾を描いた芝居を上演し、高い評価を集めた。野田戯曲に強い影響を受けた演劇人の1人であり、被爆三世である。「長崎の人間として、この街や、僕自身に受け継がれたもの、引き継いできたものを描き続けていきたい」
いかに大切なことを記憶していても、記憶は嘘をつくし、いつしか書き換えてしまうかもしれない。自らの体験でなく、誰かから受け継いだ記憶であれば、なおさらだ。それでも、仕方がない、しょうがないという言葉であきらめ、折り合いをつけることは罪なのではないか。
水を-。6000度の熱線を浴び、原子野で手を伸ばした人々の夏の記憶、ミズヲの見た原風景。私は、私たちは、あの夏の記憶を忘れずに、引き継いでいるだろうか。
(文=文化部・塚崎謙太郎 写真=写真グループ・伊東昌一郎)
▼のだ・ひでき
1955年、長崎県崎戸町(現・西海市)生まれ。60年に一家で東京に移り住む。72年、東京教育大付属駒場高校在学中に「アイと死を見つめて」を自作自演。東京大入学後、76年に「劇団夢の遊眠社」結成。81年に東大法学部を中退し、83年の「野獣降臨(のけものきたりて)」で岸田国士戯曲賞を受賞。92年の劇団解散まで、作・演出兼俳優として、若者の熱狂的な支持を集め、80年代の小劇場ブームをけん引した。92年にロンドン留学後、93年NODA・MAPを設立。「キル」「贋作・罪と罰」「Right Eye」「パンドラの鐘」「オイル」「ロープ」などの作品で鶴屋南北戯曲賞など数々の演劇賞を受賞。歌舞伎やオペラの脚本や演出も手掛け、06年には第1回坂口安吾賞を受賞した。
●私の推薦文
常に孤独つきまとう主人公 田坂哲郎さん(23)=劇団「非・売れ線系ビーナス」主宰(福岡県小郡市)
福岡で劇作をしてるんですが、ほんっと、野田秀樹には影響を受けたのです。野田チルドレンというやつです。初めての出合いが「パンドラの鐘」。これでもかという言葉遊びと、戦中の長崎と古代の王国を自由自在に行き来する構成に高校生の私は啓蒙(けいもう)され、心酔したのでした。そういうこともあってか、いまだに「パンドラの鐘」は、私の中の野田ランキング堂々の第1位です。
野田戯曲の主人公には、いつも孤独がつきまといます。孤独という名の毒を飲み、孤独の果てにたどり着く。そしていつまでも待ち続ける。それが野田戯曲の主人公なのです。聖と俗、天皇の戦争責任、というあたりが話題になりやすいこの作品ですが、やっぱり見所、というか切なさポイントは、国を守るため死んでいく恋人が幽霊になって出てくるのを待ち続けるミズヲの孤独。東大在学中に華々しくデビューし、常に演劇界のトップランナーでありつづけた野田秀樹の孤独が、作品に表れているような気がするんです。その辺どうですか、野田さん?
●メモ
■「パンドラの鐘」は99年11月ー12月に東京・世田谷で上演。ミズヲを堤真一さん、ヒメ女を天海祐希さんが演じ、松尾スズキさん、富田靖子さんらが出演しました。同じ脚本で、ほぼ同時期に全く違う出演者による蜷川幸雄さん演出バージョンも上演され、話題を集めました。こちらの主演は勝村政信さん、大竹しのぶさんでした。
■野田秀樹さんの次回作はNODA・MAP第13回公演「キル」(東京都渋谷区のBunkamuraシアターコクーン、12月―来年1月)。妻夫木聡さん、広末涼子さん主演で、チケットは10月28日発売です。
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