160センチの視点で見つめた「西」
ラフカディオ・ハーン(日本名・小泉八雲)の身長は160センチ弱。
1900(明治33)年の17歳の日本人男子の平均身長は157.9センチ。
ギリシャ生まれの西洋人、ハーンは意外と小柄なのだ。
小泉八雲熊本旧居(熊本市安政町)を訪れると、そのことに得心がゆく。下級武士の屋敷だったこの家は、当時の「日本人仕様」。かもいまでの高さが170センチほどしかなく、身長175センチの記者は頭をぶつけてしまう。
しかしひざを折り曲げて160センチになると、目と同じ高さにいろんなものが映る。柱の美しい木目、障子を通し差し込む柔らかい光、庭のチョウが飛ぶ軌跡-。この家は「ハーン仕様」なのだ。
「ハーンは特に夕日が好きで、西側の部屋を書斎にしていました」。旧居の中島衛館長(60)に導かれた部屋には、執筆に用いた机といすが置かれていた。身長の割に双方とも高さがあるが、「左目の視力を失ったハーンが、顔の近くで読んだり書いたりするために特注したものだそうです」と中島館長。
机から顔を上げると、夕日の差す方が見える。かつて家の近くは墓地が広がっていた。ハーンは墓地を愛したという。
熊本で執筆された日本での第二作、「東の国から」の冒頭に「夏の日の夢」が収められている。長崎旅行の帰途、熊本・三角の宿屋「浦島屋」に立ち寄ったことから、ハーンは浦島太郎を思い起こす。
「その宿屋の屋号が、人をまぼろしの世界へ誘いつれてゆく、或る歌ものがたりに出てくる名前と、そっくりおなじだったからである」
現実の女将に竜宮城の乙姫を重ねたかと思うと、浦島の物語を始めたり、赤ん坊の泣き声を考察したりと、人力車に揺られながら夢と現実の世界を行き来する紀行文だ。
墓地は、あの世とこの世をつなぐ場でもある。現世の人は墓前で祖先を思い、死者の世界との境界をあいまいにする。そんな空間を160センチの視点でながめ、発想したのでは、と思わせる一編だ。西向きの部屋は西方浄土と向き合っている。
ハーンはこの家から、第五高等中学校(現熊本大)の教壇に立つため人力車で通った。車に乗ると、160センチの視点が二メートル近くまで持ち上がる。
車上では「ただ、けしきを眺めるか、それとも、うつらうつら物でも考えるよりほかに、することがない」(『東の国から』「博多で」)のだから、きっと熊本の風景の中に、思索の材料を求めていたのだろう。
ところでハーンは、「熊本が好きではなかった」という説がある。説を裏打ちするのは例えば、「東の国から」に収められた「九州の学生たちと」。
「(第五高等中学では)わたしが出雲の中学で見かけたような、打ち解けた師弟関係はまったくみられない」「(九州の)重要都市である熊本は、保守的精神の中心地になっている観がある」。ハーンは悲しんでいる。「日本のうちでもっとも醜悪な、もっとも不愉快な都会です」と書き送った手紙も残っている。
日本で初めて安住し、教え子たちと深く交わった松江と比べては、確かに熊本は不利だ。西南戦争(1877年)で町の大半が焼け、新しい建物は西洋風のものばかり。八雲が求めた古き良き日本は、松江ほどは残っていなかったのだろう。
しかし「東の国から」の諸作品を通読すると、ハーンの熊本への愛着がそこここに読み取れる。それを強く感じるのは「石仏」だ。
熊本大学の裏手、小峯墓地の小高い丘に上った。案内板をたどりながら、ハーンが心ひかれた石仏を探した。それは暑い日差しの中、「蓮華の花のうえに座して」いた。
160センチの視点で、ハーンは石仏と正対したのだろうか。隣に座り、柔和な顔を見上げたのか。
ハーンは石仏の前を流れすぎた時間を思う。「加藤清正の時代にも今と同じように座っていらしたのだろう」「長い年月の風霜に(中略)形をゆがめられてできた表情である」。そして東洋と西洋を比較し、自然と科学を論じ、過去と永遠について語る。ハーンの世界観が自由ほん放に広がり、展開してゆく過程は読んでいて楽しい。思索が小峯墓地の石仏のかたわらで生まれたのは、なかなかどうして、熊本の土地はハーンを強く刺激している証左だと思えるのだが。
熊本が、ハーンの「日本永住」を決定づけた。熊本近代文学館の馬場純二参事(44)は、そんな考察を披歴してくれた。幼いころから父母の愛に恵まれず、欧米を放浪したハーンの半生。長男一雄が誕生し、「水入らず」の家庭を築いた熊本。「ハーンは長男の誕生をとても喜んだ。熊本で、かけがえない家族を再認識したはずです。その思いが、日本を終(つい)のすみかとする決心につながったのでは」。馬場さんが例に引いたのが、前出の「夏の日の夢」。浦島の物語に触れる中、ハーンは玉手箱を開けた浦島ではなく、浦島の帰りを待つ乙姫の姿を想像し強く同情を寄せている。「子どものころ、1人預けられた親せきの家で、母の迎えを待つ自分の姿を重ねたのではないでしょうか」
別の文章で、ハーンは三角の海辺に立ち、はるか遠いギリシャを思ったと、記している。いくら背伸びしても、波の向こうに何かが見えるわけじゃない。それでも160センチの視点を高く高く持ち上げようとするハーンの姿が浮かんで、悲しい気持ちになる。夕日を好み、書斎の机を西に向けたハーン。その目は墓地や西方浄土を通り越して、生まれ故郷を真っすぐに見つめていたのだろう。
近年、「怪談」の作者としてのみ語らがちなハーン。しかし「東の国から」に代表される紀行文や文化論には、日本の現状、例えば「本当に美しい国」とは何かを考えるヒントが満ちている。熊本で生まれたハーンの思索は、古びていない。
(文=地域報道センター・塩田芳久 写真=写真部・岡部拓也)
▼ラフカディオ・ハーン
1850年6月27日、ギリシャに生まれる。父はイギリス軍医、母はギリシャ人。早くに父母と別離、16歳のとき左目を失明するなど不遇なときを送る。19歳で渡米し、新聞記者を経験。90年に来日。松江中で教べんを執り、小泉セツと結婚。翌年、熊本の第五高等中学校(現熊本大)に赴任する。主に熊本時代に執筆した「知られぬ日本の面影」(94年)、「東の国から」(95年)を後に出版。96年に小泉八雲と改名し、帰化。東京帝国大講師として上京した。「霊の日本」「骨董」「怪談」など日本研究書や小説を精力的に発表したが、1904年、心臓発作で亡くなる。54歳だった。
●私の推薦文
多彩な物語 巧みな表現 麻田伸太郎さん(41)=会社員(福岡市中央区)
書店でハーンの本を探すとき、いつも「あれっ」と思うんです。例えば岩波文庫だと、まず緑帯(日本文学)の棚をのぞいてしまいます。ないぞないぞ、と焦って、そうか赤帯(外国文学)かと気付くのはしばらく経ってから。それほど小泉八雲という日本名と、日本語の美しさを体現した文章が頭にこびりついているんでしょう。
ハーンといえば「怪談」です。最近流行のホラー小説より、何倍もぞぞっとします。それは道具立ての巧みさに由来するのでしょう。全身に書かれた「般若心経」、雪女が吐く白く輝く息、屋台のそば屋の提灯。映像がすぐ浮かんでくる描写は、何度読んでも関心させられます。
「東の国から」も九州を舞台にしたものが多く、気に入っています。「柔術」には柔道の嘉納治五郎が出てきたり、「赤い婚礼」は心中物語だったりと、作品がバリエーションに富んでいるのがうれしいですね。
●メモ
■熊本時代のラフカディオ・ハーンを訪ねるなら「小泉八雲熊本旧居」(熊本市安政町)は外せません。最初の1年をすごした家で、ハーンの足跡を記したパネル展示や、毎朝お参りした神棚などがあり興味深いです。同旧居=096(354)7842。
■熊本大黒髪キャンパスには、没後100年を記念してレリーフが設置されました。「石仏」の仏様は熊本大学裏、立田山の上り口の小峯墓地にあります。「夏の日の夢」の旅館浦島屋も、宇城市・三角西港に復元されています。
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