波間に浮かび、沈む記憶
夜の海は黒く、辺りの建物から漏れる明かりが水面にぬるりとした光の紋をつくっていた。
北九州市・若松港。
〈悲しいのと嬉(うれ)しいので半分半分だから。明日になったらきっと嬉しいほうが大きくなるはずだわ〉
戦時下、朝鮮半島から九州の炭坑に連行された青年、河時根(ハ・シグン)と将来を誓った千鶴(ちず)は、時根の故郷を目指してここ若松をたつ前の晩、目を潤ませて気丈に言う。
希望と不安。焦燥、喜びと憎しみ、そして絶望。波間には時根や千鶴、そして多くの人々の数限りない記憶が漂い、浮かんでは沈む。海峡を越え、その先に霞(かす)むのは、半島―。
帚木蓬生の小説「三たびの海峡」の主人公、時根は17歳のとき強制的な「徴用」で九州に渡った。送り込まれた炭坑では過酷な労働に加え、凄惨(せいさん)なリンチが日常化していた。仲間たちが次々に命を落とすなか、決死の脱走に成功した時根は敗戦後、日本人女性・千鶴を連れ二度目の海峡を渡る。しかし、「倭奴(ウェノム)の女」を連れた時根を故郷は受け入れず、安住の地ではなかった。千鶴は日本に連れ戻される。以来、時根は体の内に根付いた“日本”を抹殺し、無我夢中で働いて、やがて財を成す。物語はここから終盤に入っていく。
小説は多くの在日朝鮮・韓国人一世の体験と重なるだろう。とりわけ、福岡・筑豊ではよく知られたある在日朝鮮人の人生は、驚くほど時根の人生と共鳴する。
福岡県飯塚市に暮らす裴来善(ペレソン)さん(85)。全羅南道高興郡南陽面大谷里の出身。20歳で佐賀県の造船所に連行された。4カ月後、父の危篤を知るも帰国を許されず、脱走。故郷に戻ると父は亡くなっており、幼い2人の弟と母の4人で貧しいながら水入らずの暮らしを始めたが、わずか11日後に再度日本に連れ戻された。「役人が警察を連れてきた。行け、絶対行かない、としたんだけれど、それなら家族の配給券をくれないという」。渡った先は筑豊の炭坑だった。24時間2交代で、昼食は30分。弁当の雑穀は一口か二口の量だった。同じ朝鮮人労働者たちが栄養失調で、落盤で、拷問で死んだ。なんとか脱走し、逃走先の福岡県筑紫野市で終戦を迎えた。
終戦直後、半島に戻ろうとした。帰国船に乗るため博多の築港に急いだが、何万もの朝鮮人に加え、大陸からの日本人帰国者であふれ返り乗船どころではなかった。その後、在日二世の女性と結婚。家族五人を養うために職を点々とするうちに、日本での暮らしが定着していった。
裴さんはやがて食肉処理場で責任者を任され、ホルモン店を営むようになった。傍ら、朝鮮学校の建設に情熱を注ぎ、在日への指紋押捺(おうなつ)強制問題や無年金問題にかかわった。「同等に生きていきたい。私たちも、人間だから」。新聞に取り上げられると賛同者の輪が出来ると同時に、脅迫電話に悩まされた。「チョウセン人!」。名を名乗らない電話は「文句があるなら、半島に帰れ」と言って、切れた。「でも、もう帰れないんですよ」。裴さんの声が静かに上ずる。祖国は分断された。朝鮮籍を取得した裴さんを韓国は受け入れなかった。
1995年。戦後50年を迎えた年、裴さんは一人で、筑豊全域の寺という寺を回り、無念の死を遂げた同胞たちの遺骨や名簿を集め始めた。「どんなことがあっても逃げてやる、報復してやると決意したんだけど、大きな政府、炭鉱を相手に報復しようもなかった」。その無念と憤怒を胸に、「朝鮮人」でも「韓国人」でもなく「在日」を生きながら、裴さんは戦いを続けた。仲間を募り、自治体に理解を求めた。裴さんの執念は2000年、飯塚市営墓地の一角に納骨堂「無窮花(ムグンファ)堂」として結実した。
物語では、老実業家となった時根が、北九州の友人の手紙で心を揺さぶられる。手紙は行政がボタ山と廃坑をつぶし、企業誘致を計画していると伝えていた。ボタ山には、かつての仲間たちが粗末な墓石の下に眠っていたのだ。時根は「三たび」の渡航を決意、日本に戻る。その後の行動を染め上げるのは真っ赤な憤怒である。
福岡県中間市で心療医院を開く帚木さんを訪ねた。執筆の動機は北九州市内の病院に勤務中、在日の患者に多く出会ったことという。
「一番腹が立ったのは」。終始淡々とした口調を崩さなかった帚木さんが、ふと語気を強めた。「教育に対してです。曲がりなりにも文・理の教育を受けてきたのに、私は何一つ知らなかった」。時根は語る。
〈自分の都合のよいように、粉飾したり改変を加えた歴史からは、束(つか)の間のつじつま合わせしか生まれて来ない。たとえそれがいかに心地よいものであっても、長続きはせず、いつかしっぺ返しが訪れるのだ。私は日本にそういう道を歩んでもらいたくはない〉
「誰かが時代のなかで書いておかなければならないことがある」と語る帚木さんはこれを「土壌を作る」と表現する。飯塚市は「無窮花堂」の一帯を「国際交流広場」と名付けた。これもまた、過去を見据え、未来を拓く人々を育む「土壌」だろう。
朝鮮半島と九州の間に横たわる海は、あまたの歴史と現在を抱え込み、今日も波打つ。たゆたう水には涙や血が、そしてあの時、千鶴が抱いたような見果てぬ土地や未来への希望や夢もまた溶け込んでいる。海峡は流れを止めない。
(文=文化部・平原奈央子 写真=写真部・納富 猛)
▼ははきぎ・ほうせい
1947年福岡県小郡市生まれ。東京大学仏文科を卒業後、TBS勤務を経て九州大学医学部に入学。精神科医となる。医療業務の傍ら執筆活動を続け「三たびの海峡」で吉川英治文学新人賞、「閉鎖病棟」で山本周五郎賞、「逃亡」で柴田錬三郎賞をそれぞれ受賞した。「ギャンブル依存とたたかう」など医学書もある。95年には福岡県文化賞を受賞した。「帚木蓬生」のペンネームは、「源氏物語」54帖の巻名「帚木(ははきぎ)」と「蓬生(よもぎう)」から。2005年から通谷(とおりたに)メンタルクリニック(福岡県中間市)院長。60歳。
●私の推薦文
勇気ある意義深い作品 安 元泰さん(74)=韓国版翻訳者(韓国・ソウル)
日本の知り合いから「三たびの海峡」を紹介され、12年前に韓国語版の翻訳を手掛けました。ただでさえ読みが難解な日本の名前のなかでも突出して難しい「帚木蓬生」という名前に加え、その特異な学歴に、まず興味を覚えました。内容も日本の作家として勇気ある作品であり、また細かな叙述について特に韓国を舞台とする部分など、当時を生きた私が読んでもそのころの暮らしがありありと思い浮かび、よく調べてあると思いました。
小説は物語として面白いということはもちろんですが、胸が締め付けられ、自然とこぶしに力が入り誰かに勧めたくなる読み物であったら、と思っています。この作品はまさにそういう小説です。韓国語の翻訳出版後、韓国の読者からも「これまで知らなかった」という声が多く寄せられました。
繰り返しになりますが、この作品は「書いたこと」それ自体が意義ある作品であり、作者の勇気をいま一度たたえます。
●メモ
■小説は、1995年に神山征二郎監督によって映画化されました。主演は三國連太郎さん、ヒロインは南野陽子さん。この映画で、三國さんは日本アカデミー賞主演男優賞を受賞しています。
■安元泰さんによる韓国語翻訳版「三たびの海峡」のタイトルは「情炎海峡」。95年10月、韓国・ハソ出版社から出版されました。
■日本人妻の生きざまをルポした作品には、上坂冬子「慶州ナザレ園-忘れられた日本人妻たち」(中公文庫)、伊藤孝司「日本人花嫁の戦後」(LYU工房)などがあります。
■9月18日、在日コリアン高齢者の無年金問題が福岡地裁に提訴されました。在日1世たちの戦後は終わりません。
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