あこがれの故郷を追い求め
「博多弁が耳に入らない世界で、奔放に暮らしたい」
そう願った長谷川法世は、高校を卒業すると窮屈さを覚える郷里の「博多」を飛び出し、東京に夢をはせた。驚異の戦後復興を世界に知らしめた東京五輪が開催される直前の1964年夏のことだ。それから12年後、長谷川は博多弁の世界に戻ってくる。しかも、博多に住んだころ以上にどっぷりと。76年に週刊誌で連載が始まった漫画「博多っ子純情」は、時代の空気と絶妙に合致し、長谷川の出世作となった。
物語は、博多人形師を父に持つ中学2年の郷六平が高校、大学生活を経て博多人形師として生きる決意をするまでを描く。
気が短く、けんかっ早いやんちゃ坊主の六平は、長谷川の考える「博多っ子」の典型だった。校内でのけんかはもとより、福岡城跡や日本最古の禅寺として知られる聖福寺の境内など、福岡市内のあちこちで他校の生徒らと激闘を繰り広げた。同級生の小柳類子のことが気になりつつも隣家に住む年上の女性にあこがれを抱く。高校になると酒も飲めば、たばこも吸う。幼なじみとの話題は、もっぱら「いつコペ転する(童貞を捨て大人の仲間入りをする)か」ばかり。根っからの不良でも優等生でもない同時代の少年が活写されている。
六平が高校2年の時、1年後輩の芹井美子が流産する「事件」が起きる。芹井の日記に交際がつづられていた六平を大人たちは糾弾。実は、日記の内容は空想であり、責任を感じた芹井は自殺未遂に及ぶ。
「芹井は、ただあたき(私)より先い大人になったとじゃあござすまいか」
六平は一命を取り留めた芹井を非難する親や教頭に涙ながらに、こう抗議する。「大人になりたいが、大人のようには割り切れない」。だれもが経験し、記憶する思春期の甘酸っぱさが、読者の共感を呼んだ。
小中学校で長谷川の同級生だった中山雄介(62)=福岡市博多区上川端町=は、漫画家長谷川法世に二度驚かされた。最初は書店でその名を見つけた時。二度目は「博多っ子純情」の六平と、自分の知る長谷川本人との落差だ。「六平と違って、小さいころから法世がけんかしようとは見たことない。目立つ方やなかったけど、頭は良かったけんずっと級長に選ばれとったもんね」。大岡重實(61)=同区冷泉町=も「悪そう(不良)やなかった。大人しい感じで、みんなに信頼されてたなあ」と全く同じ印象を持つ。
博多を舞台に、博多弁を駆使する作品は地元の読者も納得させる写実性に貫かれている。その中で、六平の人物像だけが作者の長谷川と重ならない。「博多っ子純情」は自伝ではなく、主人公と作者が同化する必要はないが、長谷川がどこから「六平」を作り上げたのかが気になった。
本人に疑問をぶつけると、こう答えが返ってきた。「僕は、引っ込み思案やったとに、小学2年の時に担任から級長に指名された。当時『級長は率先して標準語(共通語)を使え』と指導され、博多弁が出ると仲間にからかわれた。だからどこか冷めとったっちゃんねえ」
長谷川は、旧市街地である博多部の旅館に生まれた。しかし家業が振るわず、幼いころに博多部の外に転居している。小学校低学年から体験した越境通学は、疎外感と隣り合わせだった。「同級生たちのように天真らんまんでいたい」という欲求を持ちながら、半分は「よそ者(もん)」である現実が「優等生でなければならない」という理性を働かせた。長谷川少年は、共同体意識の濃厚な博多で居場所を確保するために自分を抑制する知恵を身に付けた。その反動から生まれたのが、六平という奔放なキャラクターなのかもしれない。
「博多っ子純情」を語る上で、地元の誇りである博多祇園山笠は欠かせない。もう1人の「主人公」とも言えるだろう。日ごろ悩みや苦しみを抱える六平が、すべてを忘れて無心に山笠を舁(か)くうちに成長を遂げる姿は、祭りの持つ精神性を明快に表現している。しかし長谷川は、純然たる博多っ子に比べて山笠経験も浅い。高校には博多っ子もたくさんいたが友人たちと山笠の話をした記憶はない、と言う。
郷里と距離を置きたいと、長谷川は東京暮らしを始めた。順調だった。しかし、そのうちに疑問を抱くようになる。「上京した当時、東京は五輪に向けてすさまじい建設ラッシュだった。街並みが目まぐるしく変わる。『五輪が終われば素晴らしい街が出来上がる』と信じていたが、その後も延々と工事は続き、街も魅力的にならなかった」。成長神話が色あせ、先行きの不透明な社会に身を置く長谷川の中にわき起こったのが「博多弁で漫画を描きたい」という強い衝動だった。
高度経済成長の到達点ともされる日本万国博覧会(1970年)の前年、日本と日本人の原点を見つめ直す山田洋次監督の映画「男はつらいよ」シリーズが始まった。73年にはフォークグループ海援隊が、博多弁で親子の情を歌った「母に捧(ささ)げるバラード」でヒットを飛ばした。「博多っ子純情」が人気を集めた理由も、同じ「郷愁」の文脈上にあると言えるだろう。
「俺も人形ば作りたか! 俺も子供のごとのびのび人形に惚(ほ)れこんでみたか…! そげん思うたとです」―東京の大学に通う六平が博多人形師になると心に決め、連載が完結して二十余年。長谷川の知る博多の街並みは、大きく変わった。都市空洞化が進み、山笠の運営も今は地元以外の人に大きく依存する。六平たちが育ち、遊んだ風景は、わずかに博多総鎮守の櫛田神社や古寺の界隈(かいわい)に残るのみだ。
「ふるさとへの思いが、日本人から薄まってしまっとうね」。将来を憂(うれ)う長谷川の博多弁が、一瞬、六平の声に聞こえた。 =文中敬称略
(文=博多まちなか支局・金沢皓介)
▼はせがわ・ほうせい
1945年、福岡市博多区生まれ。同市立博多二中から福岡県立福岡高校に進み、卒業後に上京。68年「正午に教会へ」で漫画家デビュー。76年から、週刊誌漫画アクションで「博多っ子純情」を連載する。同作品などで80年度の小学館漫画賞を受賞した。
現在は活動拠点を博多に移し、2003年から「博多町家ふるさと館」の館長を務める。博多の伝統文化の保存を目的に市民有志がつくる「博多町人文化連盟」の理事長でもあり、明治期に世界を舞台に活躍した博多出身の俳優川上音二郎の顕彰や町家の保存運動などに力を入れる。06年に福岡市文化賞、07年に福岡県文化賞を受けた。博多祇園山笠は土居流から参加する。62歳。
●私の推薦文
青春時代の母校と重なる 森 重隆さん(55)=福岡県立福岡高校ラグビー部監督(福岡市東区)
「博多っ子純情」が世に出たころ、私は九州を遠く離れ、東北の地にいました。新日鉄釜石ラグビー部の選手時代です。ページを開くと、なじみのある風景が目に飛び込んできて「ああ、博多だ」と懐かしく思った記憶がありますね。
主人公の郷六平が通っていた「福岡県立石堂(いしどう)高校」の校門やラグビー部員のジャージーは、作者の長谷川さんや自分の母校である福岡高校とそっくりに見えました。釜石時代に日本一を経験し、日本代表で主将を務めた私の原点は、楕円のボールを追って無心にグラウンドを駆けた福高ラグビー部にあります。今は、後輩を指導する立場でそこに立っています。
昨春、24年ぶりの全国大会出場となる全国高校選抜ラグビー大会の切符を手にし、記念Tシャツを作りました。デザインは長谷川さん。トライを決めた選手が劇画風に描かれています。もしかするとあれが、平成の「郷六平」なのかもしれませんね。
●メモ
■作品は、単行本として双葉社(「アクション・コミックス」全34巻)が刊行し、双葉文庫にも収録されましたが、いずれも絶版となっています。現在、中学生編(全6巻)のみ西日本新聞社から復刊されています。
■双葉社版の単行本第1巻の表紙をよく見ると、題字の「博」の文字に上の「丶」がありません。これについて、長谷川さんは「ずうっと忘れとったです」と第5巻106ページの欄外で主人公郷六平の名を借りて、ユーモラスに釈明しています。後に増刷された分は直されているようです。
■作品は、1978年に映画化(松竹配給)。95―96年に放映されたNHK連続テレビ小説『走らんか!』の原案にもなりました。
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