新たな自分探す決意刻む
夕刻の佐世保競輪場。楕円(だえん)形のバンクに目を向けると、選手が1人、自らの影を追うように黙々と自転車を走らせていた。
1981年春、小説家を目指しつつも書き出すきっかけをつかめずにいた25歳の佐藤正午は、この競輪場である「事件」に遭遇した。
〈「ずいぶん景気よさそうじゃない」
40年配の男はそう言ってぼくの胸のあたりを手の甲で叩いた。…顔を寄せてくる。囁き声で言う。前歯が2本欠けていた。
「タカちゃんが捜してた。マスターも一緒に…」
(こいつ人違いをしてる)〉
デビュー作「永遠の1/2」は、佐藤がこのささやかな実体験に着想を得て、原稿用紙約700枚に仕上げた長編小説だ。
主人公は、とある地方都市に住む27歳無職の青年、田村宏。度重なる人違いに遭い、自分とそっくりの顔をした男が同じ街にいるらしいと気付く。自分より女にもて、なにやら怪しい事件にかんでいるようである。一体、彼は何者なのか。我を忘れたように男を捜し求める田村に母親が尋ねる。〈何故その人を追いかけるの〉
それは新たな自分を見つけ出したい佐藤の自問でもあった。
佐藤が小説家になることを決意したのは北海道大学に在籍していた22歳の春。書店で芥川賞作家、野呂邦暢の代表作「諫早菖蒲日記」を手にして1年後のことだった。
在学中、佐藤は白昼夢と現実との区別もつきがたいほど野呂の小説に読みふけり、リポート用紙数枚に感想をびっしり埋めて長崎県諫早市在住の野呂に送った。10日後、届いた小説用の原稿用紙には、若き学生の文章を褒め、未来に期待するエールが青いインクでつづられていた。「君の現在の混沌が、豊饒な未来に変わることを期待します」。佐藤は78年4月13日のこの日、わざわざ手帳に「野呂邦暢から返信」と記している。
だが、道はすぐには開かなかった。卒業論文を書かずに仕上げた約100枚の小説に東京の編集者は目もくれず、24歳の秋、佐藤は大学を中退して実家のある佐世保に帰郷している。半年後、野呂邦暢急逝。佐藤はそのころの日々をこう振り返っている。
〈僕は当時、…やるべき仕事の見きわめすらついてはいなかった。ただ僕にできたのは野呂邦暢の小説の登場人物の中に…自分じしんの姿を見ることだけだった。彼らは地方の街で暮らし、穏やかな日常に満たされず、何かを捜して歩きまわっていた〉(「1980年5月7日、快晴」)
うり2つの男を探しながら、本当の自分を見いだそうとする田村を描くことで、佐藤自身の「自分探しのレース」も始まった。未知の可能性を秘めた新たな自分を見つけ、今は半人前であっても理想の自分を一生涯、求め続ける決意を、表題「永遠の1/2」に刻み込んだ。
佐藤は佐世保で生まれた。だが、出生直後から父親の転勤で長崎県内を転々とした。実際に佐世保で生活したのは高校時代の3年間だけ。佐藤は佐世保に帰郷後も自らを〈新参者〉(「佐世保の片隅で」)と称した。
佐藤が描く「ある地方都市」は競輪場や商店街アーケードがあり、佐世保を連想させる。だが、「なぜ、故郷について書くのか」と何度も問われることを嫌がった。佐藤は地元文芸誌のインタビューでいらだちをあらわにしている。「さっき言ったように僕の小説はどこが舞台であっても成立する小説ですから、(中略)まあ、佐世保が好きだからといい子になって言い直してもいいですけど」
最近の佐藤作品は東京を舞台にし、「神保町の印刷会社」「円山町へ向かう道玄坂」など具体的な地名が出てくることも多い。しかし、「佐世保」という地名を具体的に作品に書き込むことは拒否してきた。
佐藤にとっての佐世保はデビュー作を生むために苦悩を重ねた場所。思い入れが強い一方、幼少時代からずっと住んでいたわけではない佐世保を「故郷」として小説に盛り込むことは受け入れ難かったのだろう。
「永遠の1/2」執筆当時、佐藤が追い求める「理想の自分」には、野呂の背中が重なっていたのではないだろうか。佐藤は言う。「『野呂さん』はもう『野呂君』になってしまった。彼は42歳で亡くなり、小説家として7年の経験しかない。僕は52歳で20年以上書いている」。そこには、先導者を追い抜いてもなお走り続けなければならない作家の孤独がある。
岩波書店の編集者坂本政謙さん(42)は担当する佐藤の暗中模索ぶりをこう評する。「正午さんは書いても書いても、違う気がして、また新たな理想の小説を求めて書き続けているのではないでしょうか」
混戦模様の「レース」の中、本当の自分を探し続ける佐藤にも変化があった。それは佐世保に対する気持ちだ。
佐世保が大渇水に見舞われ、給水制限が続き市民生活に支障が出たときは、タクシー運転手に自分から「ここらで雨が欲しいですよね」と話し掛けてみた。飲み屋で知り合った仲間と、たわいもない会話で杯を重ねた。他者と交流することで、新参者の殻を自ら破っていった。佐世保での執筆活動を始めて16年がたった1997年、佐藤はエッセーで〈最近になってようやく僕はこの街を「故郷」として意識できるようになった〉(「ホームタウン」)と告白した。
昨年6月に出版した「小説の読み書き」のあとがきでは、それまでかたくなに封印してきた方言も解禁した。
〈いつか佐世保の小説が書けるかもしれない。架空の地方都市ではなく具体的な固有名詞としての佐世保の小説。そんな小説を書く可能性は、十何年か前にはゼロだったのだが、いまなら、もしいまこの瞬間の幸福を小説にできるなら〉(「この街の小説」)
佐世保を故郷として受け止められるようになったことで、佐藤はようやく佐世保と真っ正面から向き合う小説に取り組む気なのかもしれない。永遠に達成できないかもしれない「自分探しのレース」は過酷さを極めよう。
(文=佐世保支局・川口安子 写真=写真部・納富 猛)
▼さとう・しょうご
1955年、長崎県佐世保市生まれ。佐世保北高校卒業後、北海道大学へ進学。24歳で中退して佐世保に戻り、翌年、ホテルのフロント係や家庭教師のアルバイトをしながら長編小説を書き始める。83年、「永遠の1/2」で第7回すばる文学賞受賞。以後、佐世保で執筆活動を続ける。「ジャンプ」「5」などミステリー仕立ての恋愛小説のほか、「ありのすさび」などのエッセーにも定評がある。
●私の推薦文
細部はリアルで全体は夢なんだ 小西 宗十さん(65)=エッセイスト(長崎県佐世保市)
先日、ある新聞の書評で「佐藤正午は文壇で五指に入る『小説巧者』だ」と評価されていたが、佐藤氏は一言で言えば「うまい作家」。印象をそのまま書くというのでなく、いつも仕掛けをこっそり忍ばせている。彼の小説は現実味があるようで、全体的に見るとまったくフィクションなんだ。読者はその仕掛けにだまされまい、と思いつつもつい引きずりこまれてしまうわけです。
佐藤作品は一見、佐世保という皮に包まれているようで芯(しん)には「東京でもニューヨークでもどこでもいい普遍性」がある。彼は佐世保に住んで佐世保の風俗を書いているようで、まったく架空の世界を創(つく)りあげてゆく。細部はリアルで全体は夢なんだ。だから彼の小説は「古里」という感じじゃない。古いものが何もなく新しいものの寄せ集まりである佐世保という町自体が「故郷意識」を持たせないのではないか。そういう意味では、地域の根付きを失いつつある現代人はみな「故郷喪失者」と言えるんじゃないでしょうか。
●メモ
■「正午」というペンネームは、デビュー作執筆当時、佐世保市内の消防署が毎日正午の時報として鳴らすサイレンを聞いて小説を書き始めるのが習慣だったことに由来しています。
■「永遠の1/2」の舞台になった地方都市「西海市」は当時実在しませんでしたが、2005年に長崎県西彼杵郡北部5町の合併により誕生しました。
■94年に西日本新聞で随筆を連載した際には、代役を頼んだという設定で2回を知人に成りきって執筆。あまりのリアルさに読者から苦情が殺到したという逸話が残っています。
■殺人事件を扱った新作小説「アンダーリポート」が12月15日、集英社から発売予定です。
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