西日本新聞

千年書房・九州の100冊

一ノ瀬泰造「地雷を踏んだらサヨウナラ」

戦火の中で見つけた真実

085_01.jpg 佐賀県武雄市街地を一望する御船山のふもと、武雄川のそばに建つ小さな家を久しぶりに訪ねた。伝説的な報道写真家・一ノ瀬泰造の母、信子さん(85)は足がやや不自由な様子だったが、気丈な人らしく声はしっかりしていた。「お久しぶりですね」と向けてくれた笑顔も昔のまま。手には、見せて頂きたいとお願いしていた泰造のカメラがあった。カンボジア内戦を取材したニコンである。
 武雄支局に勤務していた2000年、信子さんと初めて会った。戦場に消えた泰造の業績を世に出すために心を砕き、奔走する信子さんは、写真部勤務が長い私にとってぜひとも取材したい人だった。
 戦争も戦場も今の日本人には「遠い世界」。なのに、無性に泰造の写真が見たくなることがある。そして災禍に見舞われた国で撮られた写真なのに、なぜか心が温かくなる写真がある。泰造は戦場に何を求め、そこで何を見つけたのか? 久しぶりに信子さんを訪ねたのは、その理由を探ってみたかったからかもしれない。出発点として、泰造のカメラに触れたかった。ニコンはズッシリと重かった。

 泰造は1972年1月、東南アジアに入り、ベトナム戦争などを取材。73年11月、カンボジア内戦下のアンコールワットに単独潜入し消息を絶ち、82年に両親が死亡を確認した。写真・書簡集「地雷を踏んだらサヨウナラ」は、安否が確認できなかった78年、カンボジアなどで取材したフィルムと、友人や知人、両親とやりとりした手紙類をカメラマン仲間らがまとめて出版された。
 タイトルは泰造がアンコールワットに潜入する直前の73年11月18日付で友人にあてた手紙の一節から採られた。
 〈今回は、地雷の位置も全然解らず行き当たりドッカンで、例の所の最短距離を狙っています。旨(うま)く撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだらサヨウナラ!〉
 信子さんは「初めてタイトルを聞いたとき、胸に何かがぐさっと刺さり、痛みが走るような気がした。軽い調子だけど、本当の気持ちを表していると感じました」と述懐する。
 泰造は学生時代、友人と「一流のカメラマンになりたい」「有名になるには他人と違うことをしなければ」と語り合っていた。66年のアサヒグラフでベトナム戦争を知り、ピュリツァー賞を受賞したカメラマン、沢田教一の写真でベトナム行きを決断した。「豊かな日本にいたのでは分からない、自分で見て肌で感じた戦争や真実を世界に伝えたくなったのでしょう」と信子さんは語る。
 日本を出た72年、ポル・ポト軍は世界最大級の石造仏教寺院遺跡アンコールワットを占拠していた。立ち入りが禁じられたワットの写真は「撮れば2万ドルの報酬」とうわさされ、世界中のカメラマンがスクープを狙った。泰造は「『自由とカネと栄光』を旗印とし、(中略)われこそ1番乗り、と大きな野心に燃えて、その門前町であるシェムリアップに腰を据えて」(「泰造 見てますか?」一ノ瀬信子著)取材態勢を整えて“戦列”に加わった。24歳の年である。

 硝煙や銃火をかいくぐって取材を続けた。攻撃を受け道路脇に逃げる兵士、奇襲を受ける兵士たち、負傷兵の救出、兵士の遺体…。両親への手紙で〈好きな仕事に命を賭けるシアワセな息子が死んでも悲しむことはないヨ、母さん〉〈迫撃砲の集中攻撃を受け、心臓が凍ってしまいそうにこわいこともたびたびですが、僕は“ワー・フォトグラファー”、こんなにやりがいのある仕事はありません〉とつづっている。
 友人や両親への手紙から浮かび上がるのは、世界の写真史に名を刻もうという野心あふれる若者の姿だろう。野心を支える勇気もあった。ともにカンボジア内戦を取材した千葉県柏市の報道写真家、馬渕直城さん(63)は語る。「小銃弾が飛ぶ中でも彼は立ち上がって、地面にはいつくばっているぼくらの写真を撮っていた」
 やがて泰造に微妙な変化が訪れる。
 〈僕はカンボジア人が好きです。人が良くて、のんきで、この4カ月のうちに、多くの友達を得、彼等(かれ ら)がいろんな助けをしてくれました〉。遊び場にロケット弾が撃ち込まれ、一緒に戦争ごっこをしていた子ども3人の命が奪われた。馬渕さんは「戦場という過酷な条件に耐える民衆の生活、表情にも彼のレンズが向くようになった」と感じた。泰造は大きな心境の変化を記す。〈アンコールワット入りは1番じゃなくてもいい〉と。
 写真の狙いが変わった。休暇で自宅に戻った兵士を迎える家族、突然の戦闘に逃げ惑う民衆、硝煙が上がる戦場を背に川遊びをする子どもたち…。信子さんは言う。「アンコールワットで村人や政府軍、ポル・ポト軍ともひざを交え、戦争の無意味さ、カンボジアの素晴らしさ、平和の尊さについて語り合い、そんな場面を撮りたかったのでしょう」
 有り余る野心も戦争への怒りも、人間に対する愛も注いだカンボジアで、泰造は殺される。その時、泰造の胸に去来したのはどんな思いだったのだろうか。
 取材の終わり、戦場に立ったことのある馬渕さんに1つの質問してみた。
 「泰造さんが生きていたら何を撮ると思いますか」
 「抽象的だけど」の後に少し間を置いて答が返ってきた。「戦争を起こしたくなる人間の本性を写し出す写真を泰造さんなりに探るんだと思う。平和につながるような写真を」
 (写真、文=写真部・永田浩)

▼いちのせ・たいぞう

 1947年11月1日、佐賀県武雄市生まれ。日本大学芸術学部写真学科を卒業した後、UPI通信社東京支局に勤務。その後、フリーの報道写真家として東南アジアに入り、ベトナム戦争などを取材する。カンボジアで内戦が続いていた73年、クメール・ルージュ(後のポル・ポト軍)の支配下にあったアンコールワットに単独潜入後、消息を絶つ。26歳だった。82年、両親が現地で遺骨を確認した。遺骨の一部はカンボジアに眠っている。

●私の推薦文

精いっぱい駆け抜けた生きざま 角 良孝さん(58)=泰造さんの出身高校の後輩(佐賀県武雄市)

 一ノ瀬泰造さんの写真を初めて見たのは、ある週刊誌だったと記憶する。過激で生々しい戦場の写真ではなく捕虜の交換の様子だったと思う。何となくばつが悪そうな、照れくさいような笑みを浮かべ、川を渡る捕虜たちの顔を思い出す。その後、泰造さんが撮るようになる写真の一面を感じ取れるような気がした。私は戦場の激しく生々しい写真もさることながら、悲惨な戦場の中でも日常の暮らしや、ほのぼのとした優しい写真に引かれる。そこに泰造さんの人柄が表れている。今回のTAIZO展のポスターが私の1番のお気に入りだ。戦場での活動は2年足らず。にもかかわらず映画、出版物、写真展など没後34年、いまだに取り上げられる。若い人たちはもちろん多くの人が、大きな夢や目的へのたゆまない挑戦、短い人生を精いっぱい駆け抜けた生きざまに大きな共感を覚えるのではないだろうか。

●メモ

 ■佐賀県武雄市は、一ノ瀬泰造の生誕60周年を記念した写真展「TAIZO+TAKEO展」を30日まで同市武雄町の図書館・歴史資料館で開催しています。代表作の1つ「届いた手紙」など126点が並びます。入場料は一般1000円、高校生500円、中学生以下は無料です。問い合わせは、同市観光協会内の実行委=0954(23)7766。

 ■泰造に関する手記や写真・文集は「もうみんな家に帰ろー!」(窓社)や「泰造見てますか?」(同)など8冊あります。写真はどれも母親の信子さんが焼き付けた作品です。戦争の何を伝えたかったかが迫ってくるようです。

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