凛として強く、景を歌う
ゆらゆらに月壺ひとつを呼ぶべしや湖をあまりて湧く水の音
うしろ姿見せて佇ちゐる鷺一羽流離長巻すゑの葦むら (「青湖」から)
阿蘇、白川、江津湖―。安永蕗子のそばには絶えぬ水の流れと讃(たた)える景がある。身を委ね、相聞し、ありのままに景を詠む。
安永は「日の常を詠む」という。日とは太陽であり、日の常とは、朝に太陽が東から昇り、夕べに西に落ちる宇宙の常だ。「人間はこの常がなければ生きてはいけない」と安永は考える。日の光を受けて命輝くもの、あるいは影を見つめる。悠久の時の中の一瞬を、生の実感として三十一音に留める。「五七五七七で詠むのは人間の摂理に即している。短歌の世界に新しいものを作るのは難しい。だが、歌の純粋化、抽象化を進めていくことで新しさに近づいていけるのではないか」
安永は1920年、父信一郎、母春子の長女として熊本市に生まれた。父は歌人の宗不旱や種田山頭火、徳永直と親交があり、師事した尾上紫舟主宰の短歌結社「水甕(みずがめ)」の同人だった。母も準同人である。両親は市内に書籍と文具を商う店を出し、生計を立てた。
幼いころは、よく歌会に連れていかれた。熊本県立第一高等女学校に入学してからは油彩を描き、ブラックやゴッホに傾倒した。父の薦めで第五高等学校(当時)の教授に漢籍を学び四書や論語も読んだ。文学への傾倒と作歌の下地が養われたのはこのころからだ。
熊本県女子師範学校専攻科を卒業後、小学校の教職につくが45年7月には空襲で一家は焼け出された。戦争の疲労がいえぬ48年、安永は結核で胸を病んだ。28歳だった。
医師が覚悟を告げ、父でさえ「葬式に誰を呼ぼう」などと言う。こうなると母の方が行動が早かった。家を飛び出し、戻ってきた手には特効薬の抗生物質ストレプトマイシンが20本握られていた。一命はとりとめた。だが病院と自宅での療養は7年に及んだ。
「あなたは長生きしないだろうから、毎日歌を一首作りなさい。目の前にあるものを詠み込んでいったらいいでしょう」
そう言って歌作を勧めたのも母だった。昼は店番をし、夜は自室の天窓から星空を見つめた。体力も気力も、将来への展望もまだ持てない様子を見かねてのことだった。
そのころ父の書棚に中城ふみ子の歌集「花の原型」「乳房喪失」を見つけた。中城は30歳を過ぎてまもなく、がんで早世した。自己を見つめ愛や性をつややかに歌っていた。
「人間や周囲へ優しいまなざしを向けながら、己の無残を見据える強さがある」。安永はそんな中城の歌に触発された。それからまもなく、安永は父が主宰する歌誌「椎の木」の編集を手伝い、作歌を始めた。
極北におく星白く乱れつつ眼潤むといふこと悲し
卵黄にたつ血紅もいやしまず愛にたくらむことある朝は (「棕梠(しゅろ)の花」から)
56年、安永は「棕梠の花」(第一歌集「魚愁」所収)50首で「角川短歌賞」を受賞した。歌を初めて「椎(しい)の木」で発表した翌年での受賞。彗星(すいせい)のように歌壇に登場した。
「棕梠の花」の歌は後年の作に比べると、安永の生々しい感情の吐露が目立つ。そこには生活の具体を通して「孤独な1人が生きていく上で、哀感を伝えるには短歌よりほかにはない」という決意がある。
安永は以後、熊本を離れることなく歌を詠み、16冊の歌集を発表した。一貫しているのは、身じろぎもせず佇(たたず)む北の恒星に象徴される宇宙の摂理への畏敬(いけい)であり、漢籍で養った文語体の骨太さに柔肌のような和の感性をまとわせた自然詠の数々だ。
とりわけ熊本市南部にある江津湖は、歌心をはぐぐむ場所だという。幼いころ両親と歩き「人間ではなく、自然を詠め」と諭した亡き母の言葉を思い出させる。来る年、変わらぬ相貌(そうぼう)を見せる自然の強靱(きょうじん)さも感じさせる。「熊本に生まれ、そこに生きる人々や自然、風土に私ははぐくまれ、支えられた」と話す安永にとって「生地は聖地」なのである。
その想いがこの第11歌集「青湖」に詰まっている。江津湖畔に居宅を移した後に上梓され、約360首の大半は江津湖を歌った。日々湖畔に佇み、眼前の風景の感情を詠む。それは絵を描く作業にも似ている。
安永はよく、歌会での批評で「形式の中に志を簡明に、歯切れよく、絵が描けるように詠め」と諭す。「短歌は啖呵(たんか)だ」と。安永らしい胸のすくような言葉だ。詠み人を前にして原作の歌を崩さずに添削していく。
「私たちは事実を歌うしかない。その人にしかない経験を歌っていることに、私たちは尊敬の念を抱きます。そこが歌詠みのいいところなんです」。通俗や人為を離れて詠む歌の強さを知る安永だからこう言えるのだ。
(文と写真=久留米総局・宇田懐)
▼やすなが・ふきこ

1920年、熊本市生まれ。同市在住。「棕梠の花」(角川短歌賞)、「朱泥」(79年刊、現代短歌女流賞)、「くれなゐぞよし」(87年刊、短歌研究賞)、「冬麗」(90年刊、迢空賞)、「青湖」(92年刊、詩歌文学館賞)、「褐色界」(2003年刊)などこれまで16冊の歌集を発表。エッセーに「風のメモリイ」「風やまず」「みずあかりの記」ほか多数。89年に西日本文化賞受賞、91年に勲四等瑞宝章受章。98年から2007年まで、宮中歌会始詠進歌選者を務める。作家の永畑道子さんは妹。
●私の推薦文
大和言葉の伝統と漢語の創造 大江 捷也さん(75)=熊本県文化協会専務理事(熊本市)
安永蕗子さんにとっては、短歌は作るものではなくて自然とわき出てくるものらしい。唇から次々に作品が零れてくる。膨大な秀歌の群れは既に16冊の歌集にまとめられている。
父の歌人、信一郎氏から、物心ついたころから磨き上げられた感性と、20歳代に貪欲(どんよく)なまでに読み上げられた日本と中国の古典の知識の宝庫を、知性として体の一部としてしまっている。だからこそ最初の角川短歌賞に輝いたのである。
作品群は大和言葉による伝統性と、古典をもとに造語された漢語による創造性を見事に融合させている。「朱泥」は20歳代の読者に、「蝶紋」は30歳代に、「青湖」は60歳代に、より深い感動を届けることだろう。
才能は他者の見えないところで他者の数倍もの努力によって保障されている。紡ぎ出した短歌はもちろん、人生そのものを芸術的に生きる安永さんは、短歌の第一線にありつづける若さを秘めている。
●メモ
■「青湖」は現在入手困難ですが、「安永蕗子全歌集」(河出書房新社)に収録されています。このほか、自選歌集、評論を含む「現代歌人文庫 安永蕗子歌集」(国文社)、「短歌入門・はじめのはじめ」「短歌入門添削と鑑賞12章」(東京美術)などの著作があります。
■安永さんは新聞や雑誌、テレビの短歌選者も数多く務めています。書家としても活躍しており、書家・町春草氏に師事後、日本書道美術院に所属。82年には同美術院梅華賞を受賞しました。公職も多く、85年から90年まで熊本県教育委員会委員長に就任しました。
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