日本と結婚した朝鮮の魂
白磁に、呉須(ごす)が深い藍(あい)をたたえる下絵、筆の妙が織りなす鮮やかな色絵-。
佐賀県有田町を中心とする伝統工芸品の有田焼。古くは「伊万里」と呼ばれた、この真っ白い磁器は豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592-98)の際、朝鮮半島から連行されてきた陶工が有田・泉山で陶石を見つけ、本邦で初めて焼き始めたと言われる。
伊万里支局へ1年9カ月前に赴任して以来、連日のように有田焼を取材する。器や花瓶が、夢にまで出るようになった。次第に約400年前の朝鮮人陶工のことも分かった気でいた。しかし「百年佳約」を読んで穴に入りたくなった。陶工たちの異国での思いや、一方で生きるための図太さをまざまざと示され、目の前に陶工たちが現れたような気さえして、私の浅い理解を見透かされた気がしたからだ。
話の主人公は朝鮮人陶工集団を率いた老女、百婆。死後、子孫繁栄を祈る一族の守り神になったところから物語が始まる。もう1人の主役は新頭領になった息子十蔵。村田さんの想像を交えて描かれるテーマは人間の生の象徴の1つ「結婚」である。
冒頭のシーン。神になった百婆は朝鮮式の饅頭(まんじゅう)形の墓に「小さい体を乗せてちょこんと腰掛け」キセルを「スパリと」吸う。そして朝鮮人陶工同士の良縁を願う。「クニ」の伝統と血を守りつつ子孫繁栄を成就させるためだ。一方、母親の死を機に十蔵は母に逆らい、日本に同化するため息子、娘らを日本人と縁づかせようとする。「外へ嫁にやれば、やがて皿山中に渡来の根が広がっていく」と。事もあろうに婿探しの席に選んだのは百婆の49日の法要の席だった。ところが、その後も十蔵がもくろむ縁結びがうまくいかない。神の百婆も折々に現世へちょっかいを出す。渡来人一世の百婆と二世の十蔵。そして日本しか知らない三世の娘らの思いも重なり、結婚相手探しは紆余(うよ)曲折しながら続く。
一方で、民族の伝統を守ろうとする陶工たちの姿もストーリーの随所に盛り込まれる。「山登り」と称して一族で山に登り、故国の方角へ慟哭(どうこく)したり、女たちがチマチョゴリをふわふわ舞わせながら朝鮮式の板飛び遊びに興じる。
両国の文化の違い。世代間の違い。それらがぶつかりながら、国際化が進む現代日本の複雑さをほうふつとさせる様子が約400年前の有田を舞台に描かれていく。
実は百婆にはモデルがいる。朝鮮人陶工・深海(ふかうみ)宗伝の妻、百婆仙だ。有田で最も有名な朝鮮人陶工は、泉山で1616年に陶石を発見したとされる「李参平(日本名・金ケ江三兵衛)」であって、宗伝、百婆仙の方は今はあまり語られることがない。
百婆仙は宗伝の死後、良質な陶石を求めて今の同県武雄市から一族を率いて有田町稗古場(ひえこば)に移住。金ケ江、深海両一族を中心に有田の基礎は固められた。百婆仙は、その名の通り、百歳近い96歳の長寿で亡くなったと伝えられる。
古伊万里好きを自認する村田さんは10年ほど前に有田を取材旅行。老舗有田焼メーカーの香蘭社や深川製磁に近い稗古場の報恩寺を訪問。境内で百婆仙を祭った石の法塔と対面した。「その墓もまた日本式で、いわゆる朝鮮の土饅頭型ではない。その時私は鍋島藩の殖産業として隆盛した歴史を思い返し、彼等が帰化の道を辿(たど)ったことに気づかされたのだった」。村田さんは「おんなの 有田皿山さんぽ史」(有田町歴史民俗資料館編)に、こうつづっている。
そして書かれたのが「百年佳約」の前作となる「龍秘御天歌」(1998年)だ。百婆が夫の死に際し、日本式ではなく朝鮮式の葬儀にこだわったために起きた混乱劇を活写。死をめぐる異文化の衝突をあぶり出した。「『百年佳約』の構想はじつはその合間に生まれたものだった。弔いと結婚は吉凶相反しながら、じつはつながっているのである」(「百年佳約」あとがき)。
今年1月中旬、私も百婆仙を訪ねた。報恩寺の加藤元章住職(73)が案内してくれたのは、こけむした高さ140センチの法塔。確かに朝鮮式の饅頭形ではないが、目の当たりにした瞬間に百婆が法塔の上にちょこんと腰掛け、キセルをスパリと吸う姿が頭に浮かんできて、ほほが緩んだ。
住職はさらに裏山へ登った。息を切らして登り詰めると眼前に草地の頂上が広がった。この「観音山」こそ、かつて朝鮮人陶工が母国へ慟哭した場所だったという。「こっちが朝鮮半島の方角です」。住職が指す遠くの山の稜線(りょうせん)上をゆっくり白い雲が流れる。突然、もの悲しい音が響く。住職が木の葉を口に当て「アリラン」をふき始めたのだった。「韓国の人が時々この観音山へ来る。聞かせてあげるんです」。月末には必ず、朝の読経で百婆仙と宗伝らを永代供養するという。「有田の恩人、守護神ですから心を込めて。焼き物不況でもあり、お見守りくださいとね」。
寺と反対側へ観音山を下る。ふもとに百婆仙らが築いたとされる登り窯跡「稗古場窯跡」「天神山窯跡」の痕跡が斜面を駆け上るように残る。村田さんが描く創業期の有田の喧騒(けんそう)が聞こえてくるようだった。
ふと気になった。「百年佳約」で百婆が守ろうとした深海一族はどうなったかと。探してみた。すると末裔(まつえい)は有田町内外で陶磁器の卸商社や小売店を営んでいた。その1人で同町で陶磁器の絵の具を製造販売する深海商店の深海良治社長(48)は「祖先を尊敬し誇りに感じています」と胸を張る。時々、法塔の清掃にも出掛けるという。
百婆の時代から400年をへた有田。現在も朝鮮人陶工を尊敬しつつ、百余りの窯が磁器を生産し続ける。「百年佳約」が描く結婚は見事に日本社会の中で成就したようだ。百婆は天からこの様子をどう見ているだろう。そう思ったとたん、キセルを手に、にんまりした顔がまた浮かんだ。
(文=伊万里支局・末広浩 写真=写真部・納富猛)
▼むらた・きよこ
1945年、福岡県北九州市八幡生まれ。福岡県中間市に住む。77年に「水中の声」で九州芸術祭文学賞を受賞したのを機に文筆活動に入る。85年に個人誌「発表」を創刊して著者自身のタイプ印刷による創作発表を続けた。87年の「鍋の中」で芥川賞、90年に「白い山」で女流文学賞。98年、「望潮」で川端康成文学賞に選ばれた。「百年佳約」の前編とも言える「龍秘御天歌」は芸術選奨文部大臣賞を受賞している。「百年佳約」は2003年1月から同年10月まで西日本新聞、中日新聞、東京新聞、北海道新聞など全国の新聞6紙に連載された。
●私の推薦文
尾崎 葉子さん(52)=有田町歴史民俗資料館長 有田の女の歴史描いた村田さん
1998年、有田町歴史民俗資料館では「おんなの 有田皿山さんぽ史」という本を出版した。有田焼は江戸時代から海外へも輸出されているほどなのに、その歴史には女性がほとんど名を残していない。でも、その半分を支えたのは、おんなであるはずと、ライターも内容も女性を、と意気込んだ。
しかし、残念ながら、その内容は男中心にならざるを得なかった。が、時を同じくして村田喜代子さんが皿山の代表的な女性・百婆仙をモデルに「龍秘御天歌」を上梓された。思いは同じと、無謀にも巻頭エッセーをお願いし快諾いただいた。地方の一資料館が出版した書籍に、謝礼もなく芥川賞作家に寄稿していただいたことに感謝の思いでいっぱいである。姉妹作である「百年佳約」の取材に有田を訪れた村田さんを囲んで、さらにずうずうしくも「さんぽ史」のライターが集まり、茶話会を開いた。その折もまた、和やかなひとときをご一緒いただいたのも、有田にとってはかけがえのない時間だった。
●メモ
■「百年佳約」の前作、「龍秘御天歌」は劇団わらび座が2005年から「百婆」というタイトルのミュージカルに仕立てて全国で公演しました。
■深海宗伝・百婆仙と同様、朝鮮半島から連れてこられた陶工の李参平(日本名・金ケ江三兵衛)は1616年に有田・泉山で陶石を発見し、「日本の磁器発祥の地」を掲げる有田磁器はここから歴史が始まったとされます。李参平の子孫、14代金ケ江三兵衛さん(47)は今も有田で「陶祖李参平窯」を営み、「当時、初代も日本人も互いを認め合ったから今があると思う」と、子孫の立場から日韓友好に力を入れています。
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