西日本新聞

千年書房・九州の100冊

原尞「私が殺した少女」

品格高きハードボイルド

 その電話が新聞社にあったのは、2月下旬、霙(みぞれ)交じりの冷たい雨が降っている夜だった。落ち着いた女性の声だった。
 「毎週、日曜日の『九州の百冊』のことです。もう98冊目になりましたが、わたしの大好きな、あのシリーズは取り上げる予定でしょうか?」
 「あのシリーズ? 何でしょう?」
 「探偵沢崎シリーズ、ご存じですよね。作者の原尞さんは鳥栖の人だし、私、沢崎のファンだから…気になって」
 「うーん、そうですね。リクエスト編で考えてみましょうか」
 「ぜひ、お願いします。あっ、それから本屋さんを覗(のぞ)いてみてください。『このミス』に、ファン必見の記事がでているんです」

 電話はそこで切れた。だがなぜ、春先の今、『このミス』(正式には『このミステリーがすごい!』)なのか? あの本は、年末にその年の推理小説ベストテンを、ミステリーファンたちが投票で選ぶ年の瀬の季語のような雑誌。いささか季節がズレてやしないか?
 釈然としないまま、翌日、書店に足を運んだ。季節はずれの『このミス』が平積みにされていた。創刊以来20年。書店に並んだ冊子は、記念の総集編らしい。早速、ページをめくった。《過去20年でもっとも面白かったミステリー&エンターテイメントはコレだ! ベスト・オブ・ベスト発表!》という、売り物らしい企画に視線を走らせた。
 電話の女性が言った通りだった。原尞著『私が殺した少女』は、この20年に何万冊も刊行されたミステリーの中で、国内編のベスト3にランクされていた。日本ミステリー史に鮮烈な一撃をくらわせた一冊。電話で女性はそう言いたかったのかもしれない。

 1989年に刊行された『私が殺した少女』は、その前年、出版社に第一作『そして夜は甦る』をいきなり送り付け電撃デビューを果たした作者の第二作である。もちろん、主人公は中年の渋さをたたえた私立探偵・沢崎。第102回直木賞も受賞した。
 物語は、ぶっちぎりの疾走感で展開する。西新宿にある沢崎の事務所に何者からか電話が入る。電話の依頼は「行方不明人について相談があるので作家・真壁の目白の邸宅に出向いてほしい」という内容。現場に着くと、真壁家では天才少女バイオリニストの呼び声高い娘・清香が誘拐され、6000万円の身代金要求が突きつけられていることが判明する。そして、さらに奇妙な事態も判明する。なぜか、身代金受け渡しに犯人が指定したのが沢崎だったのだ。「少女誘拐事件」の渦中に放り込まれた沢崎は、いきがかり上、この事件の謎を解明していくことになる-。
 一読してまず、洒脱(しゃだつ)な文章、ウイットに富んだ会話に唸(うな)った。文中に〈まるで拾った宝くじが当たったように不運な1日〉だとか〈初夏の1日は借金の申し込みの前置きのようにだらだらと長く〉といったスタイリッシュな表現がさりげなくちりばめられている。
 そして緻密(ちみつ)に計算し尽くしたストーリー、日本を舞台にしたリアリティーのある事件、結末の鮮やかなどんでん返しにも目を見張った。それに愛車のブルーバードに乗り、両切りのピースを愛して止まない、若干古風な沢崎のダンディズムもイカしていた。彼はさりげなくこんな言葉をつぶやくのだから…。〈人間のすることはすべて間違っていると考えるほうがいい。すべて間違っているが、せめて恕(ゆる)される間違いを選ぼうとする努力はあっていい〉
 文芸評論家の郷原宏氏は、この小説を「魅力ある文章と魅力ある1人の探偵を造形し、日本ではじめて実現した品格高きハードボイルド小説」と評する。ついでに作者の原尞が、先日、私のインタビューに答えて語った「この小説が目指したもの」についても記録しておこう。 「この小説は、日本語という言語の1人称で、どれだけ魅力的な人物が造形できるか、その難題にぎりぎりまで挑戦した作品だ」

 原は探偵沢崎と同様、自分のスタイルとペースに徹底的にこだわる作家である。必然的に寡作で、エッセーにはこんな記述がある。
〈自分の書くものを少しでもましなものにするためには“最初の読者”としての自分の眼をごまかさないこと、少なくとも、自分では読みたくも買いたくもないような小説を書かないこと-私はそれ以外の創作方法を知らない〉
〈死ぬまでに書く小説の数はそらで題名を全部言えるくらいにしておきたい〉
 そこからは、一切の妥協を排し、ひたすら質の高い作品の供給をのみ目指す一種の職人的完全主義の創作姿勢が浮かび上がる。原が、沢崎シリーズ第一作を書く際、百通りの書き出しと十通りの第一章を書いたことは半ば伝説だし、シリーズ第三作の巻頭にたった二行の箴言(しんげん)を引用するため、「ニーチェ全集」全24巻を読破したことも有名な話だ。
 原が小説を書き始める前、ジャズ・ピアニストをしていたころからの友人で、北九州市小倉北区でジャズ喫茶を経営する林直樹さん(65)が語る。
 「原くんは、店の開店記念日の12月17日に、毎年、ジャズのレコードを送ってくれる。マニア垂涎のヤツなのに、二枚あるから、なんてカッコつけて…。だから、私もお礼に缶ピースを送るんだ。沢崎にやってくれって。彼が書きたいのは、そんな、すこし粋な大人の世界じゃないかなぁ」
 今、沢崎ファンの間では、第五弾の刊行がいつになるのか、が最大の話題だ。第四弾『愚か者死すべし』から、すでに4年が経過している。
 「時期はミステリーですか?」
 私の問いに、原はこう答えた。
 「今、沢崎を尾行している。彼が手掛けている事件の概要もまだ言えない。ただ、秋には報告書を提出したい」
 (文=文化部・藤田 中 写真=写真部・永田 浩)

▼はら りょう

 1946年12月18日、佐賀県鳥栖市生まれ。本名孝。福岡高校を経て、九州大学文学部美学美術史科卒。大学卒業後上京し、ジャズ・ピアニストとして活躍。その後、帰郷し執筆に専念、1988年、探偵沢崎を主人公にした「そして夜は甦る」で作家デビューした。その作品は米国のハードボイルド作家レイモンド・チャンドラーの影響を強く受けている。沢崎シリーズは、その後長編「私が殺した少女」「さらば長き眠り」「愚か者死すべし」と展開。短編集に「天使たちの探偵」、エッセーに「ミステリオーソ」がある。本紙書評委員も務めた。鳥栖市在住。

●私の推薦文

媚びず信念貫き通す 林 直樹さん=「ジャズストリート52」店主 (北九州市)

 私は少し驚いて周りの人々を見渡した。壇上の彼は用意していた原稿を淡々と読み上げていた。「直木賞の方が恥ずかしくなる様な作家にならなければ」。平成2年2月12日、東京・丸の内「東京會舘(かいかん)」。第102回直木賞授賞式での原尞の「あいさつ」の中で、思いもかけない言葉を聞いた時だ。
 「なんと肝っ玉の座った男だ!」
 幸運にもというか、何故?というべきか、私はその式典に原尞の招待を受けていた。この日を挟んで前後40年近く、つかず離れずの交流が続く。
 彼が私を訪ねてくれた時は必ず2人で食事をとる。酒を口にしない彼とは、この時間にゆっくりと好きな煙草(たばこ)をくゆらせながらの会話がはずむ。至福の時。世間的には晴れの舞台である直木賞授賞式で放った前述の言葉に忠実に媚(こ)びる事なく信念を貫き通している。美しい男である。「イイぞ! 原尞」。私は時々、心の中でつぶやいている。

●メモ

■ペンネーム・原尞の「尞」は、字形が名字の「原」に似ていることからつけたそうです。また、主人公の探偵「沢崎」の下の名前は著者しか知らず、発表の予定も公表するつもりもないそうです。

■原氏は、兄が経営するジャズ喫茶「コルトレーン コルトレーン」(鳥栖市東町3丁目912―1)で、月に4度ほどピアノを演奏しています。

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