進歩性もあった「嫁のメルヘン」
長谷川町子は現在の福岡市早良区西新で終戦を迎えた。彼女はこの地で生活しているときに「サザエさん」を着想している。当時暮らした家は現在は取り壊されてないが、今一帯を歩くと、モダンなマンションが立ち並ぶ中に「あ、サザエさんの家だ」と言いたくなるような古い木造住宅が何軒か残っていて驚かされる。
漫画は近くの海辺を散策中に考案され、登場人物に海産物の名が付けられた。今は埋め立てで海岸線が遠のいているが、現在の西南学院大学の敷地北側はすぐ海だった。地元の西新校区自治協議会会長の林暁男さん(75)は振り返る。「埋め立て前は静かな夜には波打つ音が聞こえとりました」
この福岡で生まれた「サザエさん」には、1つのちゃぶ台を囲む大家族のイメージがある。それを古き良き家族像として「3丁目の夕日」的なノスタルジーで受け止める人も多い。確かに1つの家に3世代が同居するような家庭は少なくなった。一方で妻の側の実家との結び付きはむしろ強まっている感もある。福岡市博多区の和田典子さん(41)の場合、実家の両親の大下哲郎さん(67)、人代さん(68)夫婦とは同居せずに徒歩約3分のマンションで暮らす。彼女の夫卓也さん(41)は宮崎県出身で歯科医。子どもは4歳から10歳まで三男一女がいる。典子さんは言う。「両親と同居も考えましたが、実家のスペースでは手狭だし、やはりお互い気を使いすぎる気もして…」
結婚当初、典子さんは両親とは距離を置き、できるだけ子育てなどで協力を仰がないように心掛けていたという。
「最初は1人でちゃんと子育てしたいと思ってましたから。でも変に意地を張るのも違うと思うようになった。子どもが大きくなるとともに母親が集まる行事も増えて、そういう会合のときは気兼ねせず両親に頼むようになりました」
孫と顔を合わせると両親も喜ぶ。哲郎さんは言う。「子ども自体は甘やかしちゃいかんと思って遠ざけたいが、孫の方はやっぱりかわいい。少し離れているぐらいがちょうどいいのかも分かりません」
マスオさん的な立場にある夫の卓也さんは冷静にこう分析する。「妻が『嫁』という立場で家に入るとやはり嫁姑問題になり、ぎすぎすしがち。サザエさんのように妻の親側に夫が同居するか近くに住む方が理想的な気がします。実際、最近は地方の中小企業が不況で長男でも家業を継がないって家も増え、割と平気で妻の両親の近くに住むということをよく聞きますから」
昨今は妊婦が出産前に実家に帰り、実家近くの病院で出産するいわゆる「里帰り出産」も多い。現代社会は卓也さんが理想というような妻の家族との結び付きが強い「女系家族」の時代になりつつある。そうした点に着眼すると実のところ、サザエさんはノスタルジーの漫画ではなく、時代を先取りした漫画との見方もできなくもない。
「サザエさんからいじわるばあさんへ」の著書がある評論家の樋口恵子さん(75)は「サザエさんは確かに大家族なんですけど、女系家族で夫の実家の方に顔を出したりする場面はほとんど描かれていないんですよ」と指摘する。現在ではほのぼのとしたアニメ版の印象が強いが、漫画の方は日本の伝統的な家族の形とは違った斬新さがあった。「新聞で連載が始まった当時、既婚女性はほとんどが『嫁』と名付けられる状態。サザエさんのように隣近所で言いたいようにものを言い、のびのびと生活するのは考えられなかった」
樋口さんはそのうえでこう強調する。「あのころの嫁にとって、サザエさんはメルヘンの物語だったんですよ」
終戦後まもない時期に町子がそのような漫画を描けたのは思春期以降、女ばかりの家族で育ったことに起因する。父親を14歳で亡くし、町子を真ん中にした三姉妹と母親で戦中戦後の激動期を乗り越えた。町子の自伝漫画を原作にしたNHKのドラマ「マー姉ちゃん」の脚本を書いた小山内美江子さん(78)はドラマの初回を3人がそろってジョギングするシーンから始めている。「元気のいい一家だから勢いよく出そうと。女所帯でしょ。力合わせて走る感じも出したかった」
このドラマの町子ら長谷川家がモデルの女たちはおっちょこちょいでそそっかしく、まるでサザエさんそのものだ。小山内さんは推測する。「当時、女所帯の設定で漫画を描くのは無理だった。町子さんは生涯独身で他の姉妹も夫を早く亡くされますが、自分たちが結婚して家族を作ったときはこんなだったのかな、というイメージをサザエさんに反映させたのではないか」
樋口さんが「サザエさん」の連載4コマ漫画の中で一番好きなのは71年ごろに新聞に掲載されたこんな回だそうだ。
〈貸し切りバスと乗用車が狭い道路で向かい合う。乗用車には人相の悪い男たちが乗っていて、その1人が「バックしろ」と怒鳴って威勢よくバスに乗り込んでくる。だが、車内にはサザエさんを含んだ女性たちが眼光鋭い顔でずらりと座っていて「ウーマンリブご一行様」の旗が掲げられていた。男はすごすごと引き上げて乗用車にバックするように指示する〉
60年代後半に米国で起こった女性解放運動が日本にも入ってきたころだった。
「痛快でしたね。品のいい笑いに包んでいるから気づきにくいが、サザエさんは日常の描写は保守的ながら、時事的な変化に対しては結構過激な描き方も多いんです」
町子は生前のインタビューで「好きな人は」の問いに「大内兵衛先生」と高名なマルクス経済学者の名を挙げてもいる。国民的漫画の中では前面に出さなかったが、彼女に進歩的な一面があったのは間違いない。カツオ君などは家事を手伝う場面が多く描かれ、現在の「男女共同参画」の精神をいち早く取り入れている。
先見性という意味では町子は高齢者への関心も早かった。母親が晩年、現在でいう認知症だったことも関係するだろう。小山内さんは町子と電話で話していて、ある時、「素晴らしい人なのにこんなになって悲しいわ」と漏らしたことを印象深く覚えている。樋口さんも町子と面識はないが、一度だけ手紙をもらったことがあり、やはり母を気に病む記述があったという。今の家族が直面するお年寄りの介護の問題に町子は既に直面していたのだ。
日本の65歳以上人口が7%を超え、高齢化社会を迎えたのは70年。「サザエさん」はその4年後に終わり、高齢化問題までは描ききれなかった。代わりに「いじわるばあさん」でお年寄りを明るく元気に描いたが、サザエ、マスオは波平、フネの介護問題にどう向き合ったのか。女性ならではの生活者の視点で昭和を描き続けた町子ならではの切り口も読んでみたかった。
(文=東京報道部・内門博 写真=写真部・大矢海寿帆)
▼はせがわ・まちこ
1920年、佐賀県東多久村(現・多久市)生まれ。福岡市の春吉小から福岡県立高女(現福岡中央高)に進学、同校2年の時に上京し山脇高女に転校した。「のらくろ」で知られる漫画家、田河水泡に師事。戦前に3人娘の学園生活を描く「仲よし手帖」で人気を得た。戦争中は福岡市に疎開、西日本新聞に入社し、戦後の46年から「夕刊フクニチ」紙上で「サザエさん」の連載をスタート。3年後に朝日新聞に舞台を移し、74年まで長期連載を続けた。他の代表作は「いじわるばあさん」「エプロンおばさん」など。92年に死去後、国民栄誉賞が贈られた。
●私の推薦文
「磯野家」は理想の家族 磯野 和子さん(38)=会社員(福岡市)
同姓のよしみで「サザエさん」一家には勝手に親近感を抱いています。子どものころはからかわれるネタになって嫌でした。漫画の本もアニメと違い、時事的な話題が多くて難しく、苦手でした。ただ表紙がカラフルで手に取ってかわいいなあと感じたことは強く印象に残っています。
大人になってからは初対面の人と打ち解けられる話題にもなり、役立っているんです。携帯ストラップなど身の回りのものにサザエさんのキャラクターグッズを愛用し、自分から話題のきっかけづくりをするようになりました。国民的人気の漫画ですから効果は絶大です。本当にすごいなあ、と思うのは子どもから大人まで誰にでも通じ、好感度も高いことですね。
自然と自分の家族観にも影響しているかもしれません。波平さんのような厳格な父親がいてマスオさんのように優しい夫がいて…。サザエさんを中心にわきあいあいとした家族は私の理想の家族になっています。
●メモ
■長谷川町子さんは戦中に西日本新聞社編集局絵画課に所属。退社後1946年から夕刊フクニチで「サザエさん」の連載を始めます。その後、朝日新聞に移り74年まで続きました。フジテレビのアニメは69年から現在まで続いています。
■「サザエさん」は戦後の生活記録として資料価値も高く、樋口恵子さんは「生活道具から地域のたたずまい、人間関係まで戦後四半世紀の日本人の生活全体の記録として貴重」と評価します。
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