西日本新聞

千年書房・九州の100冊

尹東柱「空と風と星と詩」

今宵も星が風に吹きさらされる

 〈死ぬ日まで空を仰ぎ/一点の恥辱(はじ)なきことを、/葉あいにそよぐ風にも/わたしは心痛んだ。/星をうたう心で/生きとし生けるものをいとおしまねば/そしてわたしに与えられた道を/歩みゆかねば。//今宵(こよい)も星が風に吹きさらされる。〉「序詩」(伊吹郷訳、以下引用も同じ)
 2月16日。福岡市早良区の福岡拘置所近くで、会社員、主婦、画家、詩人…15人ほどの人たちが一編の詩を朗読した。震える声は吹き下ろす寒風のせいだろうか。「今日は、本当に空が青い」と言う誰かの声で、みな一斉に天空を見上げた。
 63年前のこの日も快晴だったという。清冽(せいれつ)なハングルの詩編を残した隣国の詩人・尹東柱が、27歳という若さで獄死した、その日の福岡も。

 強靱(きょうじん)な意志を感じさせる澄んだまなざしと、きりりと結んだ口元。6年前、韓国・ソウルの延世大学内にある記念室で彼の写真を初めて目にしたとき、しばらくその場を動けなかった。見たこともない清潔さと、全身を包む憂いに吸い込まれた。〈風に吹きさらされる〉一点の星。繊細にゆらめき、光を放つことをやめない星。それは、東柱その人のイメージと重なる。
 東柱は1917年、中国東北部の北間島明東村で朝鮮人開拓民の子孫として生まれた。幼いころにキリスト教の洗礼を受け、中学のころから「童舟(ドンジュ)」「童柱(ドンジュ)」と名乗って、子ども向けの童詩を多く発表した。例えば、38年ごろに書かれた詩「こおろぎとわたしと」。幼い少年のような素直さと純粋さがほほえましい。
 〈こおろぎとわたしと/芝生で話をした。//リリリ ルルル/リリリ ルルル//誰にも教えてやらないで/ないしょの約束をした。/リリリ ルルル/リリリ ルルル//こおろぎとわたしと/月の明るい晩に話をした。〉
 21歳で東柱は祖国に戻り、ソウルの延禧(ヨンヒ)専門学校(現・延世大学校)文科に入学する。当時の友人、故・鄭炳〓(チョンビョンウク)さんはエッセーで東柱の面影をつづっている。
 〈彼はとても優しく潔癖だった。帽子を斜めにかぶることもなく、学生服のボタンを横に傾けて付けることもなかった。洋服のズボンのひざ頭が前に突き出ることもなく、靴はいつもきれいだった〉
 散歩と読書を好み、一週間も二週間も〈思想がりんごのように熟れていく〉のを待って詩を書いた。酒は好まず、決して他人を悪く言うことはなかった。寡黙だったが、みなが東柱と一緒にいたがったという。
 しかし、日本による朝鮮半島支配という時代の激流は、この内省的な詩人もひとしなみに巻き込んでいく。入学の年の38年、日本政府は中等教育での朝鮮語を廃止し、朝鮮全土に国家総動員法を公布。第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)した翌年には強制連行が始まり、創氏改名令が公布された。「星をかぞえる夜」の〈夜を明かして鳴く虫は/恥ずかしい名を悲しんでいるのです。〉は、「平沼東柱」という名を持つことになった自身、そして民族の哀しみの声を伝える一節だろう。

 「尹東柱の詩は、ただ美しく、ただほのぼのするものではありません。その言葉には魂が入っている」。福岡市東区の韓国語教師、元玉子(ウォンオクジャ)さん(42)は今年の元旦、日記に「序詩」を書き写し、「私も恥ずかしくない生を送ろう」と書き添えた。
 東柱は、この詩を延禧専門学校の卒業時に出そうとした自選詩集「空と風と星と詩」の序文に置いた。技巧を廃し、追求せんとする〈一点の恥辱なき〉、〈与えられた道〉を〈歩みゆかねば〉という強い決意をうたっている。その「道」は日本留学へと続くが、詩は孤独の色を次第に帯びていく。留学先の立教大(東京都)から延禧時代の友人へ送った「たやすく書かれた詩」から、日本で暮らす心情が浮かび上がる。
 〈窓辺に夜の雨がささやき/六畳部屋は他人(ひと)の国、//詩人とは悲しい天命と知りつつも/一行の詩を書きとめてみるか、/(中略)/かえりみれば 幼友達を/ひとり、ふたり、とみな失い//わたしはなにを願い/ただひとり思いしずむのか?//人生は生きがたいものなのに/詩がこう たやすく書けるのは/恥ずかしいことだ。(下略)〉
 詩は必ずハングルで書いた。書簡を受け取った友人は危険を避けて手紙の部分を捨て、詩をひた隠しにして戦後に伝えた。その数、わずか五編。現在唯一読むことができる東柱の日本での詩業である。

 1942年、日本は朝鮮での言論統制を強めてハングル学者らを大量に拘束し、翌年には徴兵制を公布。東柱は京都に転居し、抹殺されゆく母国語の行方を同胞たちと憂えながら詩作を続けた。
 その年7月14日、東柱は治安維持法違反(独立運動)の容疑で逮捕され、蔵書と作品、日記はすべて押収された。夏の休暇に合わせ帰郷の途につく切符を購入し、荷物を送った直後のことだった。
 1944年発行の「特高月報」は、逮捕の理由を〈朝鮮固有文化の抹殺は朝鮮民族を滅亡せしむるものなれば飽く迄(まで)も民族文化の維持向上を図るべしと為し(中略)朝鮮文化の維持に努め〉たためと記録している。福岡刑務所(現・福岡拘置所)に投獄された後、死は1年も待たずに訪れた。毒殺説が一部にあるが、死の真相は今も謎に包まれている。日本人看守は無名の青年詩人だった東柱の最期を「何の意味か分からぬが、大声で叫んで絶命した」と話したとされる。約半年後、戦争が終わった。
 死後、彼は「抵抗詩人」として、新たな光を浴びていく。しかし、中学時代の友人の故・文益煥(ムンイックァン)さんはこう残している。〈「彼の抵抗精神は不滅の代表例である」といった文章を読むたびに、わたしは内心すぐにはうなずけないものを感じる。彼にあってはすべての対立は解消された。その微笑にただようあたたかさに解けぬ氷はなかった。すべての人々が血を分けた兄弟だった〉。「抵抗」という言葉を彼に当てはめるならば、その対象は「恥辱」ではなかったか。侵略という〈風〉に〈吹きさらされ〉、民族の誇りや存在意義さえも奪われた恥辱の時代のなかで、東柱は恥と葛藤し、恥を拒んで生を歩もうとした。人は、社会や重ねる齢のなかで、「恥辱-汚れ」に妥協する自分に気付くとき、東柱の詩にはっとするのではないか。
 獄中の東柱についての記録はほとんど伝わっていないが、東柱の末弟、故・尹一柱(イルジュ)さんは獄中の兄からの届いたハガキについて生前、こう語っていたという。
 〈「筆先についてくるこおろぎの声にももう秋を感じます」と記した私の文章に、兄は「きみのこおろぎはわが独房にも鳴いてくれる。ありがたいことだ」と返事をくれた〉
 心はいつも海峡の向こうにあった。

  (文=文化部・平原奈央子 写真=写真部・大矢海寿帆)

▼ユン・ドンジュ

 1917年、中国東北部の北間島省和龍県明東村(現在の中国東北部朝鮮族自治州)に生まれる。中学在学中から詩を発表し始め、42年に日本へ留学。翌年在学中の43年、京都下鴨警察署に逮捕され、45年2月16日に収監先の福岡刑務所で生涯を閉じた。享年27。
 没後3年の48年、弟・一柱らの編集でソウルで遺稿詩集「空と風と星と詩」が刊行される。68年、延世大学校内に詩碑が建立され、95年には没後50年を記念して同志社大学にも詩碑が建立された。2000年、かつて東柱が暮らした延世大学校内の寄宿舎に記念室が開館した。

●私の推薦文

どうしてこうも、やさしいのか 斎藤 秀三郎さん(85)=美術作家 (福岡市南区)

 「福岡・尹東柱の詩を読む会」に参加して十数年になります。東柱の詩は、平易なようで難解なところも出てきます。そのときは当時の時代状況を考察するのはもちろん、原語のハングルに立ち戻ったり、民族感情の特徴を教え合ったりして理解に努めてきました。容易には答えを出せないままに重苦しい雰囲気に陥ることもありますが、どうにか結論らしいものにたどりついた時に共有する喜びはひとしおであります。ちょうどそれは、長いトンネルをようやく抜けて、眼下に広がるまぶしいまでの風景を目にしたときのあの感動にも似ています。思わず「いい詩ですね」「そうですね」の感嘆が漏れます。
 尹東柱の詩は、どうしてこうも深いのであろうか、またどうしてこうもやさしさに満ちているのだろうかと思わずにはおれません。その素顔に迫りながら、人間・尹東柱を知りたくて詩を読み続けています。よかったら「読む会」に参加してみませんか。お待ちしております。

●メモ

■「尹東柱の詩を読む会」は、毎月第3土曜日に開かれています。次回は4月19日午後6時から福岡市中央区舞鶴の「あいれふ」で。参加費は資料代含め1000円。

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