記者にこだわり続けた94年
何年前だったか、博多・箱崎の放生会の夜店で一冊の古いノートを見つけた。麻ひもでザラ紙をとじ、表紙に「蘇峯(そほう)集」とある。表紙裏は授業時間表。「珠」「修」「裁」など、今はない教科名が並び、「第六学年12組 近藤正子」と鉛筆で書かれていた。
約100枚のザラ紙には徳富蘇峰の新聞コラムがていねいにはられていた。昭和...

何年前だったか、博多・箱崎の放生会の夜店で一冊の古いノートを見つけた。麻ひもでザラ紙をとじ、表紙に「蘇峯(そほう)集」とある。表紙裏は授業時間表。「珠」「修」「裁」など、今はない教科名が並び、「第六学年12組 近藤正子」と鉛筆で書かれていた。
約100枚のザラ紙には徳富蘇峰の新聞コラムがていねいにはられていた。昭和...
「三十三年の夢」にこんな場面がある。
シャム(現在のタイ)に日本から移民たちを連れていったときの話である。中国人の苦力(くーりー)千余人が乗り込んできた。船は大揺れに揺れる。アヘン臭、床虫(ゆかむし)、おなら。そこらじゅうに吐きまくり〈ゲブゲブの声はあたかも戦場のラッパのごとく〉。みんなトイレ代わりの竹筒を持って...
「3つ子の魂百まで」という。福沢諭吉の歩んだ道をたどると、彼ほど父母の影響を強く受けた人も少ないのではないかと思われる。
諭吉は1835年、大分・中津藩下級武士の末っ子として生まれ、幼くして父を失い、母の手一つで育てられた。教養人でありながら下級武士という身分のため不遇な生涯を送った父の無念を思い、諭吉は理不尽な身分制度に異議を唱え続ける。一方、母は貧しい生活の中にあっても近所の子供たち...