先人の心感じた10万キロの旅
戦争の傷跡がまだ残る1950年、野田宇太郎は「文学散歩」の旅に出かけた。作品と資料を読み込み、文学者ゆかりの地を訪ね、当時を知る人から話を聞き、作品を生んだ風土を肌で知る。旅は北海道から沖縄におよび、遠くヨーロッパに足を運んだこともある。病床に伏すまでの34年間、移動距離にして延べ10万キロを超える旅を続け、ライフワーク...

戦争の傷跡がまだ残る1950年、野田宇太郎は「文学散歩」の旅に出かけた。作品と資料を読み込み、文学者ゆかりの地を訪ね、当時を知る人から話を聞き、作品を生んだ風土を肌で知る。旅は北海道から沖縄におよび、遠くヨーロッパに足を運んだこともある。病床に伏すまでの34年間、移動距離にして延べ10万キロを超える旅を続け、ライフワーク...
〈べつだん、とりたてていうほど奇矯な風景ではない〉。所々に丘があり、川が流れ、竹やぶがあり、並木が連なる〈ごくありきたりな田舎の眺めをもっているにすぎない〉
控えめな筆致で郷里、宮崎平野の叙述を始めた中村地平は〈しかし、そのくせ、その風景は、よその土地ではけっしてかんじることのできない、一種独特な調子、もち味といっ...
〈なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う〉
内田百†の随筆集「第一阿房(あほう)列車」は1950(昭和25)年、61歳の百†が大阪への旅を思い立った場面から始まる。翌51年6月30日午後9時、博多行きの急行「筑紫」が東京駅を発車した。百†が陣取るのは最高級の一等個室寝台。集中の一編、「鹿児島阿...
〈五足の靴が五個の人間を運んで東京を出た〉と始まる紀行文「五足の靴」(1907年)の前文は、5人をこう語る。〈皆ふわふわとして落ち着かぬ仲間だ〉と。
当然だろう。九州西部のキリシタン史跡を約1カ月かけて旅し、紀行文をリレー形式で新聞に連載した5人の詩人・歌人のうち、引率の与謝野鉄幹を除けば、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里は鉄幹が興したばかりの新詩社の機関誌「明星」に寄った若き学生...
「ここの山の神はですなあ、ふだんは恵みを与える優しい女の神さまですが、怒ると荒ぶる神さまでなあ」
急峻(きゅうしゅん)な山に囲まれた宮崎県椎葉村。ここで農業を営んできた中瀬重利さん(77)は谷あいを見渡し、ごく当たり前に言う。路線バスで日向市から2時間半。台風被害のつめ跡残る耳川を横目に、離合も難しい道を上がってきた身には、自然に受け止められた。
いまから100年ほど前、柳田国男は...
旧陸軍の軍医だった丸山豊は、壮絶を極めた南方戦線から奇跡的に生還した。その記憶を書き残す決意を固めるには、四半世紀の時間を要したと述懐している。丸山にとって戦争は、痛恨の記憶として生涯その胸に刻み込まれていた。一九六九年、本紙に連載した「月白の道」は、中国・雲南省からミャンマー、タイへと敗走を続けた戦場の記録。書き出しは感情を抑えた、さざ波のような文章である。
「私たちはおたがいに心の虫...