日本と結婚した朝鮮の魂
白磁に、呉須(ごす)が深い藍(あい)をたたえる下絵、筆の妙が織りなす鮮やかな色絵†。
佐賀県有田町を中心とする伝統工芸品の有田焼。古くは「伊万里」と呼ばれた、この真っ白い磁器は豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592†98)の際、朝鮮半島から連行されてきた陶工が有田・泉山で陶石を見つけ、本邦で初めて焼き始めたと言われる。

白磁に、呉須(ごす)が深い藍(あい)をたたえる下絵、筆の妙が織りなす鮮やかな色絵†。
佐賀県有田町を中心とする伝統工芸品の有田焼。古くは「伊万里」と呼ばれた、この真っ白い磁器は豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592†98)の際、朝鮮半島から連行されてきた陶工が有田・泉山で陶石を見つけ、本邦で初めて焼き始めたと言われる。
司馬遼太郎の才能を最初に見いだしたのは海音寺潮五郎であった。
1956年、司馬が講談倶楽部賞を受賞してデビューしたとき、さらに4年後に直木賞を受賞したとき、ともに海音寺が選考委員を務めていた。司馬の候補作を強く推薦したという。
その司馬が西郷隆盛と大久保利通を主人公にした新聞小説「翔ぶが如く」を連載していた75年10月、文芸評論家の磯貝勝太郎さん(71)=東京都=は海音寺宅を訪ねた...