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      <title>九州の100冊「千年書房」 / 西日本新聞</title>
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      <description>西日本新聞の連載のページ。九州ゆかりの本１００冊を紹介</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
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         <title>長谷川町子「サザエさん」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="100_01.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/100_01.jpg" width="116" height="170"  align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">進歩性もあった「嫁のメルヘン」</h2>
 
　長谷川町子は現在の福岡市早良区西新で終戦を迎えた。彼女はこの地で生活しているときに「サザエさん」を着想している。当時暮らした家は現在は取り壊されてないが、今一帯を歩くと、モダンなマンションが立ち並ぶ中に「あ、サザエさんの家だ」と言いたくなるような古い木造住宅が何軒か残っていて驚かされる。
　漫画は近くの海辺を散策中に考案され、登場人物に海産物の名が付けられた。今は埋め立てで海岸線が遠のいているが、現在の西南学院大学の敷地北側はすぐ海だった。地元の西新校区自治協議会会長の林暁男さん（７５）は振り返る。「埋め立て前は静かな夜には波打つ音が聞こえとりました」
　この福岡で生まれた「サザエさん」には、１つのちゃぶ台を囲む大家族のイメージがある。それを古き良き家族像として「３丁目の夕日」的なノスタルジーで受け止める人も多い。確かに１つの家に３世代が同居するような家庭は少なくなった。一方で妻の側の実家との結び付きはむしろ強まっている感もある。福岡市博多区の和田典子さん（４１）の場合、実家の両親の大下哲郎さん（６７）、人代さん（６８）夫婦とは同居せずに徒歩約３分のマンションで暮らす。彼女の夫卓也さん（４１）は宮崎県出身で歯科医。子どもは４歳から１０歳まで三男一女がいる。典子さんは言う。「両親と同居も考えましたが、実家のスペースでは手狭だし、やはりお互い気を使いすぎる気もして…」]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">漫画</category>
        
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">は行の作者</category>
        
         <pubDate>Sun, 02 Mar 2008 15:53:52 +0900</pubDate>
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         <title>辻仁成「白仏」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="099_01.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/099_01.jpg" width="114" height="170"  align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">過去と未来、一体となる命</h2>

　そんころはどこん家（いえ）も田んぼの端に墓を立てとってですね。一家に１つやなくて、１人に１つ、石塔のあった家もありました。そん墓の骨ば掘り起こしたことを覚えとります。私は働き盛りちゅうか、４０歳くらいやったです。ええ、そげん疑問とかは感じらんかったですよ。島んもん、みんなが掘り起こしよったから。そん骨を全部寄せて、洗（あろ）うてね。最初は立像を作る予定じゃったが、坐像になったつですよ。いま思うと、ええことを考えたなあと思いますね。みいんなの骨ば集めて、骨（こつ）仏（ぼとけ）さんばつくるちねぇ。ほんとによか考えでしたなあ。　（吉川精作さん）]]></description>
         <link>http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2008/02/post_109.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">小説</category>
        
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">た行の作者</category>
        
         <pubDate>Sun, 24 Feb 2008 16:36:06 +0900</pubDate>
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         <title>村田喜代子「百年佳約」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="080217_02.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/080217_02.jpg" width="113" height="170"  align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">日本と結婚した朝鮮の魂</h2>

　白磁に、呉須（ごす）が深い藍（あい）をたたえる下絵、筆の妙が織りなす鮮やかな色絵－。
　佐賀県有田町を中心とする伝統工芸品の有田焼。古くは「伊万里」と呼ばれた、この真っ白い磁器は豊臣秀吉の朝鮮出兵（１５９２－９８）の際、朝鮮半島から連行されてきた陶工が有田・泉山で陶石を見つけ、本邦で初めて焼き始めたと言われる。
　伊万里支局へ１年９カ月前に赴任して以来、連日のように有田焼を取材する。器や花瓶が、夢にまで出るようになった。次第に約４００年前の朝鮮人陶工のことも分かった気でいた。しかし「百年佳約」を読んで穴に入りたくなった。陶工たちの異国での思いや、一方で生きるための図太さをまざまざと示され、目の前に陶工たちが現れたような気さえして、私の浅い理解を見透かされた気がしたからだ。]]></description>
         <link>http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2008/02/post_106.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">史伝文学</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 17 Feb 2008 14:46:34 +0900</pubDate>
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         <title>平野遼「地底の宮殿」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="097_01.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/097_01.jpg" width="170" height="154" align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">透徹した思索を美に昇華</h2>

　タダものではない。
　それが、もう２０年も前、最初に平野遼に会った時の印象だった。
　１９８７（昭和６２）年秋、平野の西日本文化賞受賞が決まり、当時、北九州支社に勤務していた私はその喜びの声を取材するよう指示を受けた。
　《難解で奇怪な絵を描く画家》《独学で独自の画境を開いた人》－その程度の予備知識だけで、写真記者と小倉北区の彼の自宅を訪ねたのは、ある意味では若さゆえの大胆さからだったろう。
　あの時、彼のアトリエに入り、私の小市民的とでもいうべき感覚は根底からかく乱された。２０坪ほどの板張りの暗い画室の壁際に、無数の絵の具チューブの残骸（ざんがい）が堆積（たいせき）していた。まるで貝塚のように。そして絵の具の飛沫（ひまつ）だらけのイーゼル、壁、床。そこは、創作に没入している画家の厳粛でむき出しの“戦場”を感じさせた。]]></description>
         <link>http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2008/02/post_107.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">作品集・画集</category>
        
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">は行の作者</category>
        
         <pubDate>Sun, 10 Feb 2008 15:49:27 +0900</pubDate>
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         <title>安永蕗子「青湖」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="096_01.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/096_01.jpg" width="116" height="170" align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">凛として強く、景を歌う</h2>

　　ゆらゆらに月壺ひとつを呼ぶべしや湖をあまりて湧く水の音
　　うしろ姿見せて佇ちゐる鷺一羽流離長巻すゑの葦むら　（「青湖」から）

　阿蘇、白川、江津湖－。安永蕗子のそばには絶えぬ水の流れと讃（たた）える景がある。身を委ね、相聞し、ありのままに景を詠む。
　安永は「日の常を詠む」という。日とは太陽であり、日の常とは、朝に太陽が東から昇り、夕べに西に落ちる宇宙の常だ。「人間はこの常がなければ生きてはいけない」と安永は考える。日の光を受けて命輝くもの、あるいは影を見つめる。悠久の時の中の一瞬を、生の実感として三十一音に留める。「五七五七七で詠むのは人間の摂理に即している。短歌の世界に新しいものを作るのは難しい。だが、歌の純粋化、抽象化を進めていくことで新しさに近づいていけるのではないか」]]></description>
         <link>http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2008/02/post_105.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">俳句・詩集</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 03 Feb 2008 16:53:02 +0900</pubDate>
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         <title>松本零士「銀河鉄道９９９」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="095_01.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/095_01.jpg" width="109" height="170" align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">「明日」を信じ、若者は旅立つ</h2>

　〈明日の星には
　　明日の人間が住むと人はいう…
　　いつも夜空には
　　明日を信じる明日の星が
　　数かぎりなく輝いていると人はいう〉
　「銀河鉄道９９９（スリーナイン）」が漫画週刊誌に連載されていたころ、私は小学生だった。家には兄が買った単行本が確か全巻あって、ちょくちょく読んでいた。
　天涯孤独の少年星野鉄郎が謎の美女メーテルとともに銀河超特急９９９号に乗って広大な宇宙を駆け巡る、胸踊るＳＦ冒険活劇－のはずだが、子どもながらに痛快さより、物悲しい読後感を得た記憶がある。二十数年ぶりに読み返してみた。
　舞台はいつとも知れない超未来。人類は全身を機械化して永遠の生命を手にし、全宇宙に広がっていた。だが機械の身体を買えない貧しい者は機械人間に虐げられ、その生命さえもてあそばれていた。
　第一話〈出発（たびだち）のバラード〉で、鉄郎は「人間狩り」を楽しむ機械人間の一団に母を殺される。母は鉄郎に、９９９号に乗って「機械の身体がただでもらえる星」に行くよう言い残し息絶える。鉄郎はどこからともなく現れたメーテルに助けられ、銀河鉄道に自由に乗れるパスをもらう。鉄郎は誓う。「機械の身体を手に入れて帰ったら、地球の機械人間どもを皆殺しにしてやる」
　鉄郎とメーテルの旅が始まる。目指すは機械の身体をただでくれるという、２００万光年かなたの大星雲アンドロメダ－。]]></description>
         <link>http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2008/01/post_104.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">漫画</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 27 Jan 2008 16:02:42 +0900</pubDate>
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         <title>青来有一「聖水」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="094_01.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/094_01.jpg" width="120" height="170" align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">いかにナガサキを脱するか</h2>

　夏になると、長崎市は「ナガサキ」や「ＮＡＧＡＳＡＫＩ」になる。
　被爆直後の荒廃を記録したモノクロ影像がテレビに流れ、８月９日には平和公園で行われる厳粛な祈りの光景が全国に伝えられる。原爆被害の悲惨さを知らしめ、核兵器廃絶のメッセージを発し続けるナガサキ＝ＮＡＧＡＳＡＫＩは聖性と正義というイメージをまとっている。一方、現実の「長崎」には、ごく当たり前の現代の暮らしが息づいてる。優しさや温かさがあれば、偽りや汚濁もある。平和公園の隣にはラブホテルが林立している。
　「既成のイメージを引き受けた上で、それを逆転する、ゆがめるといった試みがないと、長崎を書いたことにならないのではないか」。世界に２つしかない原爆被災地という記号化したナガサキから脱する試みを、長崎を舞台に小説を書くという方法で続けているのが青来有一である。
　青来が描くのは、妄想あり、カルトあり、ファンタジーありの、少し不思議な長崎。核廃絶の訴えも、凄（せい）惨（さん）な被爆体験も出てこない。だが登場人物や土地の奥底に眠る記憶をなぞっていくに従い、静かに原爆がもたらした陰影が浮かび上がってくる。
　２００１年１月、「聖水」の芥川賞受賞をきっかけに、青来は「原爆文学の継承者」と注目された。それは長崎市職員という二足のわらじを履き、長崎で書き続ける青来にとって、葛（かっ）藤（とう）の始まりとなった。]]></description>
         <link>http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2008/01/post_98.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">小説</category>
        
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">さ行の作者</category>
        
         <pubDate>Sun, 20 Jan 2008 16:07:43 +0900</pubDate>
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         <title>高樹のぶ子「銀河の雫」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="093_01.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/093_01.jpg" width="116" height="170" align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">恋愛を糧に自立する女たち</h2>

　福岡県西部の糸島半島、夜の海岸に立った。闇に目が慣れてくると、繰り返し寄せる白い波頭が見えてきた。
　高樹のぶ子の長編小説「銀河の雫（しずく）」には、波についてこんな文章がある。
　〈あれはみな、恋の追いかけっこです。よく耳を澄ませば、誰かが誰かを求めて、ひたすら追いかけてくるのが分かります。追いかけて掴（つか）まえようと必死です。しかし掴まえたときは何もかも毀（こわ）れてとび散ってしまう〉
　糸島半島に住み、人の気持ちを読み当てる不思議な能力を持った老女のせりふだ。確かに波は追いかけっこしているように見えなくもない。
　この作品の主人公は、医師の緑川公憲、妻でバイオリニストの鏡子、妻を事故で亡くしたテレビ局局長の島一草、娘の万里子の４人。一草は昔からの知り合いの鏡子に思いを寄せている。公憲が通うアスレチッククラブの水泳インストラクター、万里子と公憲も次第にひかれ合っていく。そんな４つの「波」が織りなす甘く苦しい恋の物語である。]]></description>
         <link>http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2008/01/post_103.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">小説</category>
        
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">た行の作者</category>
        
         <pubDate>Sun, 13 Jan 2008 16:17:21 +0900</pubDate>
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         <title>川原一之「口伝　亜砒焼き谷」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="092_01.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/092_01.jpg" width="104" height="180" align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">民の言葉で近代の闇を突く</h2>

　庭先に咲く赤いサザンカに誘われるように１軒の廃屋に足を踏み入れ、息をのんだ。
　宮崎県高千穂町。古祖母（ふるそぼ）山（１６３３メートル）の懐にある小さな集落、土呂久。薄暗い室内には、短冊状の和紙がいくつも張られていた。
　「公害にかかりし人は死に果てて　残る我が身ぞたえゆかん」
　ほぼ半世紀前まで土呂久では、鉱山で猛毒の亜砒（ひ）酸が製造され、有毒な煙がまき散らされた。当時、この家で暮らしていた佐藤鶴江（故人）は、体のしびれや呼吸障害に苦しみ、ほぼすべての視力を失いながら、歌を詠み１人暮らしの慰めにしたという。
　「我が不自由なる片目鳥　瞼（まぶた）に浮かぶ我が子恋しき」「苦しみ抜いた４０年今日に至りてあきらかに　もうおそかりし我が体形ばかりのごくつぶし」…。突き動かされるようにメモを取りながら、土呂久公害を掘り起こした「口伝　亜砒焼き谷」（岩波書店）の著者、川原一之を思い起こしていた。彼も同じように必死にノートをとっていたのだろうか、と。
　１９７５年、川原は、悩み抜いた末に朝日新聞社を辞め、この地で鉱毒の実態を克明に記録し世に訴える決意をした。今の私より若い、まだ２０代だった。
　〈新聞記者として何がやれたのか。また、やれるのか。逃げるか、はまるか、２つに１つの道しかない〉。
　川原は当時の心境を後に「新日本文学」でこう書き記している。安定して生活が送れる全国紙の記者という立場に「逃げず」、土呂久に「はまる」道を選んだ川原。４年がかりで古老たちに話を聞き、それをガリ版刷りにまとめ、８０年、「口伝－」に結実させた。]]></description>
         <link>http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2008/01/post_102.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">ノンフィクション</category>
        
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">か行の作者</category>
        
         <pubDate>Sun, 06 Jan 2008 16:34:30 +0900</pubDate>
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         <title>夏樹静子「蒸発」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="091_01.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/091_01.jpg" width="117" height="170" align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">ミステリーで描く女性の今</h2>

　１９７０年早春、東京・渋谷のコインロッカーから嬰児（えいじ）の死体が発見された。同様の事件が相次ぎ、遺棄された子どもはコインロッカーべービーと呼ばれるようになる。渋谷の事件のすぐ後に、女性誌「ａｎ　・ａｎ」が創刊された。続いて「ｎｏｎ－ｎｏ」もスタート。ベトナム戦争に反対するデモに、女性団体が交じり始め、秋に渋谷で第１回ウーマンリブ大会が開催された。ピンクのヘルメットをかぶった中ピ連（中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合）のメンバーがフェミニズムの“あだ花”のように、ブラウン管を彩ったのが７２年である。
　こうした時代の空気を満身に帯びて、７２年、夏樹静子の初期代表作「蒸発」が出版された。複雑な謎解きの面白さに、現代女性のライフスタイルや心性の変化という社会性を加えた新たなミステリーの誕生だった。

]]></description>
         <link>http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2007/12/post_101.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">小説</category>
        
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">な行の作者</category>
        
         <pubDate>Sun, 23 Dec 2007 16:37:11 +0900</pubDate>
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         <title>別冊・文学青年よ永遠に</title>
         <description><![CDATA[<h2 class="text_h2">「いつ鎌倉に引越すの」　コピーライター　矢野寛治</h2>

　１年以上にわたって愛読いただいている「千年書房・九州の１００冊」は、残すところ１０冊となりました。１０冊ごとにお届けする「別冊」は今回が最後となります。テーマは「文学青年よ永遠に」。別冊エッセーの筆者、コピーライターの矢野寛治さんも、実は作家を志した文学青年でした。最終回は自らの半生を振り返って、文学への思いをつづってもらいました。

　　　　　◇

　若き日、作家を志した人はごまんと居るに違いない。不肖、私もその１人である。小学校時代に母が日本文学全集を月に二冊づつ買い与えてくれた。坪内逍遥から時系列に、錚々（そうそう）たる作家というか文士が、我家を訪（おとな）い始めた。泉鏡花は夢中で読んだ。田山花袋もまあ面白い。子供心に断然面白かったのは、谷崎潤一郎、永井荷風。この両者は文章もこなれており、調子が良く、中身もイビツ、もしくは花柳界のことで、否が応でも私の気を引いた。父の持つカストリ雑誌を大っぴらに見るわけはいかないが、文学全集なら子供といえど世間の目を誤魔化（ごまか）せた。両親は、私があまりにも谷崎、永井を耽読（たんどく）するので、全集を与えたのは早すぎたと、夜半に額を付け合って悩んだらしい。]]></description>
         <link>http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2007/12/post_100.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">別冊</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 16 Dec 2007 16:31:18 +0900</pubDate>
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         <title>久留島武彦「童話術講話」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="090_01.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/090_01.jpg" width="110" height="170" align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">一期一会の口演に宿す刹那</h2>

　〈ここに１人の感心な少年がおりました〉。一枚のＣＤが回り始めると、メルヘンの扉が静かに開いた。久留島武彦が１９４９（昭和２４）年に発表した創作童話「海に光る壺（つぼ）」。自らが口（こう）演（えん）している。収録されたレコードを再生したもので、ザーザーという雑音までもが遠い潮騒のように響いてくる。
　－靴磨きの少年が親類の家に行った折、海辺で足を滑らせ、生死のはざまをさまよううち、海中で不思議な老人と出会う。老人は壺に入った五色の魂を少年に見せ、「おまえの魂は水晶色で、まだ何色にも染まっていない。これからも磨いて魂を光らせよ」と告げ、生還した少年はまた靴磨きに励む－
　落ち着いた声色、老人の声は低く、少年の声は弾む。物語はやや足早にペースを刻み、いつしか引き込まれていた。
　童話を口で演じて伝える口演活動は、半世紀にわたって続けられたが、久留島は録音を嫌った。この音声も「久留島のごく親しい人が収録した」とされ、収録された場所、日時は不明だ。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">学術</category>
        
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">か行の作者</category>
        
         <pubDate>Sun, 09 Dec 2007 16:07:02 +0900</pubDate>
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         <title>目取真俊「水滴」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="089_01.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/089_01.jpg" width="113" height="170" align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">沖縄戦の「陰の記憶」も照射
</h2>
　今年の夏、沖縄は揺れた。
　６２年前の住民を巻き込んだ国内唯一の地上戦・沖縄戦の記憶が、全島に呼び覚まされた。９月２９日に沖縄県宜野湾市で行われた教科書検定をめぐる「県民大会」。参加者１１万人（主催者発表）の中に、目取真俊はいた。
　戦後、米軍統治下の「銃剣とブルドーザー」による米軍の土地強奪、祖国復帰運動、１９９５年の米兵による少女暴行事件抗議に対する県民総決起大会…。「島ぐるみ闘争」を幾度か経験してきた沖縄が、いつも対峙（たいじ）してきたのは巨大な権力だった。
　今回の「集団自決と軍命」の記述をめぐる教科書問題では、本土の一部に「１１万人はうそだ」「動員がほとんどだ」などの論争が生まれた。また教科書会社の訂正申請は相次いだが、沖縄側が求めている「検定意見の撤回」は、今のところ無視されている。
　１０月末、沖縄県名護市で会った目取真は、県民大会後の本土側の対応について開口１番、こう言った。
　「沖縄は同じ国ではないのでは」
　怒りに満ちていることは、はっきりと分かった。
　目取真が「水滴」を執筆していたのは、米兵による少女暴行事件で沖縄全島が怒りに震えていた時期。それから１２年。
　「何も変わっていない。いや、どんどん悪くなっている」
　国内の米軍専用施設の７５％を占める基地の島で、基地問題などの評論活動も続ける目取真は本土に対して、そして沖縄自身に対しても、カミソリの刃のように鋭角的なまなざしを向ける。]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">小説</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 02 Dec 2007 16:45:15 +0900</pubDate>
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         <title>藤原新也「少年の港」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="071125_01.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/071125_01.jpg" width="133" height="170" align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">海峡の街は揺りかごに似て</h2>

　１９９３年。私が門司支局に赴任したとき、北九州市・門司港の街は「死にかけて」いた。次々に解体される赤れんが造りの倉庫群、閉鎖されたままの旧門司税関、老舗デパート山城屋は経営破たん目前だった。かつて九州の玄関口として栄え、本州、そして遠く中国から雑多な人や物資が集まった港町の建物はことごとく寂れ、姿を消そうとしていた。
　ただしそこには、色あせ、崩れていくだけの、ありきたりの地方都市の最期とは違う、夕日の残照のような鈍い輝きがあった。その印象が間違いではなかったことを、商店街の本屋で偶然手にした写真集が教えてくれた。
　波に泡立つ船だまりの石段は無数の旅人の足跡に削られていた。木造の古い銭湯の湯船からは気持ちの良いため息と会話が漏れてきた。モノクロの１枚１枚から、古い記憶が立ち上がってくる。藤原新也が生まれ育った門司港を写した「少年の港」（９２年扶桑社刊、絶版）は、開港１００年の街がもつ数々の「物語」の輝きをとらえていた。]]></description>
         <link>http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2007/11/post_92.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">写真</category>
        
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">は行の作者</category>
        
         <pubDate>Sun, 25 Nov 2007 14:43:29 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>原田種夫「九州文壇日記」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="087_01.jpg" src="http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/087_01.jpg" width="120" height="170" align="right"  hspace="12" vspace="12"/><h2 class="text_h2">ペンという「剱」に捧げた生涯</h2>

　粋な着流しに雪駄姿で福博の街を闊歩した文士を、人々は親しみを込めて「ハラタネさん」と呼んだ。
　「九州最後の文士」と呼ばれた原田種夫は、さまざまな顔をもっていた。
　明治生まれの詩人であり、芥川・直木賞候補に計四度選ばれた小説家。九州全域の作家が初めて結集した同人誌「第二期　九州文学」の編集発行人であり、西日本文学史の研究者。さらには造本家でもあった。学生時代の一時期を除き、人生のほとんどを福岡市春吉に暮らした。
　「九州文壇日記」は、昭和４年元日から、亡くなる前日の平成元年８月１４日まで書き続けた日記のうち、主に昭和４年元日から昭和２５年までの２１年間を抄録したものである。原田の年齢でいえば２８歳から４９歳。ペンという「剱（つるぎ）」に生涯をささげた原田にとって、最も熱く激しい季節だった。
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         <link>http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/kyushu100/2007/11/post_97.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">日記</category>
        
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">は行の作者</category>
        
         <pubDate>Sun, 18 Nov 2007 16:40:50 +0900</pubDate>
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